ここから本文です
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫神社のお話

記事検索
検索
イメージ 1
鳥居





イメージ 2






イメージ 3
手水舎






イメージ 4
手水舎




イメージ 5
社殿





イメージ 6





イメージ 7
神徳無窮





イメージ 8
家内安全





イメージ 9





イメージ 10






イメージ 11


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申し上げます。

日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。
我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。

今回ご紹介させていただく皇子(おうじ)神社は揖保川のほとり、兵庫県たつの市御津町中島19-1に鎮まります。


イメージ 16






イメージ 12
ご祭神

第二三代顕宗天皇(記紀・『播磨国風土記』に伝えられる第23代天皇)の
 弟君 弘計王命

 第二四代仁賢天皇 兄君 億計王命


 大炊命(オオタキノミコウト)

 古刀比羅大神 (コトヒラノオオカミ)  

イメージ 13
拝殿





イメージ 14






イメージ 15


我々の祖先は皇室を中心として実に素晴らしい国づくり、地域づくりをしてこられました。現在の日本人には考えも及ばないものです。
祖先が残してきたすべてのもの、文化、慣習を時代につなぐことが不遜になってしまった現代日本人に一番求められています。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)


イメージ 1






イメージ 2
鳥居



イメージ 3






イメージ 4

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申し上げます。

日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。
我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。

今回ご紹介させていただく蛭子(ひるこ)神社は姫路市白浜町宇佐崎南一丁目に鎮まります。
当社由緒によると、天平宝字七年(763年)伊諾尊(いざなぎのみこと)第三子夷子(えびす)三郎(蛭子神)を小島山頂に鎮座。当時この地(小島)はその名のとおり海の中にありました。現在の八家(やか)川はその当時、棲神川(やかかわ)神のすむ川と呼ばれていました。



イメージ 5



イメージ 23
参道右側の碑は蛭子神社山上奉遷記念新塩浜開発由来碑です。


今も昔も海を埋立ることは大事業です。寛文八年(1668年)沖新浜は宇佐崎住民によって開発に成功し、この地(蛭子神社)は陸続きとなりました。この事業の成功は蛭子の神のご加護の賜物と宇佐崎住民の篤い信仰の対象となりました。
寛保三年(1743年)現在の地に齋遷。
昭和二十五年頃、木造社殿が荒廃し、礎石、狛犬、灯籠の石造物が残った。昭和五十九年現在の社殿を再建、平成元年灯籠を奉献。
ここ姫路市白浜町は「灘のけんか祭り」でも知られています。
筆者も播州人ですが、白浜町の方々の神社を崇める崇敬心は全国屈指と言っても過言ではありません。白浜の地から日本各地へ出て行った人々も10月14日・15日の「まつり」には必ず帰ってこられると聞きます。

平成元年に灯籠を施工した石材店より筆者らに土工事、石工事の依頼が昨年四月にあり、五月一ヶ月で階段工事を行いました。
完成より一年が経ち施工に異常がないか参拝させていただきました。
異常箇所も認められず安堵いたしました。



イメージ 24
改修前の石階段





イメージ 6
改修後





イメージ 7
改修後






イメージ 8
参道





イメージ 9
参道 





イメージ 10






イメージ 11
社殿





イメージ 12
社殿





イメージ 13
改修前からの狛犬





イメージ 14
改修前からの狛犬






イメージ 15






イメージ 16






イメージ 17




イメージ 18





イメージ 19
社殿から播磨灘を望む。





イメージ 20
海からの参道



イメージ 21
境内より播磨灘を望む。






イメージ 22
境内より播磨灘を望む。


我々の祖先は皇室を中心として実に素晴らしい国づくり、地域づくりをしてこられました。現在の日本人には考えも及ばないものです。
祖先が残してきたすべてのもの、文化、慣習を時代につなぐことが不遜になってしまった現代日本人に一番求められています。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)




イメージ 1
一の鳥居




イメージ 11
一の鳥居




イメージ 2
絹巻神社より城崎温泉を望む

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログにご来訪くださり感謝を申し上げます。

日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。
我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。
今回ご紹介させていただく絹巻神社は兵庫県豊岡市城崎町気比に鎮まります。
但馬を南北にわたる絹巻神社・出石神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社、この5つの神社を総称して「但馬五社」といいます。各神社間は約12km、この五社を参拝すると大変御利益があるといわれています。


イメージ 3
絹巻神社由緒

御祭神:天火明命、相殿:海部直命、天衣織女命
祭礼日:1月1日、歳旦祭、2月3日・節分・厄除祭、3月20日・祈年祭、4月28日・祭、7月30日・川下祭、11月23日・新嘗祭、12月31日・除夜祭
境内社稲荷神社
 

イメージ 4
二の鳥居




イメージ 5
絹巻き神社は上記の画像の円山川河口に架かる港大橋東詰めに鎮座していますが、港大橋架橋のため現在地に移設されて間もないため境内も社殿も新しい。現在は県の天然記念物指定の暖地性原生林で覆われ良く分かりませんが、社殿の背後鎮守の杜、絹巻山は玄武岩で形成され、その眺めは絹織反物を積み上げた様子をうかがわせています。「ひめはるぜみ」の棲息地としても知られています。


イメージ 6
手水舎



イメージ 7
手水舎




イメージ 8
但馬五社明神巡拝 案内板



イメージ 9
但馬五社明神巡拝 案内板




イメージ 10
社務所



イメージ 29
社殿




イメージ 12
県の天然記念物指定の暖地性原生林




イメージ 21
三の鳥居




イメージ 13
奉納された錨



イメージ 14
奉納された錨




イメージ 15




イメージ 16
由緒



イメージ 17
狛犬



イメージ 18
狛犬



イメージ 19
狛犬



イメージ 20
本殿再建二百年祭




イメージ 22
拝殿



イメージ 23
拝殿




イメージ 24
本殿




イメージ 25
本殿



イメージ 26
境内社 稲荷神社




イメージ 27
境内社 稲荷神社



イメージ 28


城崎の地は多くの著名人が愛した地です。時間がゆっくり流れているように思える風光明媚なところです。近くに来られたらぜひお立ち寄りいただきたい。

神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)




イメージ 1
鎮守の杜





イメージ 2
兵庫県重要文化財 石鳥居





イメージ 3
随神門




イメージ 4
手水舎



イメージ 5
手水舎





イメージ 6
拝殿



イメージ 10
拝殿




イメージ 13
拝殿 五箇条のご誓文





イメージ 11
空からの境内





イメージ 7
本殿




イメージ 8
本殿



イメージ 9
本殿




イメージ 12
本殿




イメージ 14
さざれ石



イメージ 15
さざれ石




イメージ 17
弁天社



イメージ 16
愛宕社



イメージ 18
愛宕社



イメージ 19
稲荷社





イメージ 20
出現社




イメージ 21
八幡社



イメージ 22
八幡社



イメージ 23
皇大神宮社




イメージ 24
針神社、赤山社




イメージ 25
裏参道大鳥居



天皇彌榮(すめらぎいやさか)

日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

筆者は冒頭の日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国の語句にはじまり、末尾の人々に崇(あが)められるようになったのですまでの語句を必ず記載するようにしています。
これらはまさにわが国を表し、我々の祖先の生き様を今日に伝えるものと筆者は確信しているからです。
我々の祖先の「清明心」は神社に詣で、そのこころを子孫にもうしおくってきた精華といっても過言ではないでしょう。

今回ご紹介させていただく旧郷社 播磨國  日吉神社は兵庫県池上町に鎮まります。富家(ふけ)とはかっての土地柄を言います。
筆者が中学時代を過ごした加西市立泉中学校は日吉神社から西へわずかの距離にあります。
由緒は、太古の昔、人々は山・木・岩等、自然の「もの」の中に「神」を見出していた。当社においても、例外ではなく現在奥宮の存する鎌倉山を御神体山とし拝した。その大神様を里にお迎えし、約1300年前その地に近江国日吉社(現在の滋賀県大津市日吉大社)より御分霊をいただいたのが、現在の当社である。(日吉神社HPより)

ご祭神は、

大山咋大神和魂(おおやまくいのおおかみのにぎみたま)

大己貴大神(おおなむちのおおかみ)亦の御名を 大国主神・大物主神 と称す

田心姫大神(たごりひめのおおかみ)

白山比賣大神(しろやまひめのおおかみ)

大山咋大神荒魂(おおやまくいのおおかみのあらみたま)

鴨玉依姫大神和魂(かもたまよりひめのおおかみのにぎみたま) 

鴨玉依姫大神荒魂(かもたまよりひめのおおかみのあらみたま)

(日吉神社HPより)

ご神徳は、五穀豊穣を始め国家鎮護・開運・家内安全・鬼門除け等が主であるが、当社大祭がお産の場を表すところから安産の神として知られる。江戸時代には遠く能登半島から安産祈願に参られ、無事男児出産のお礼として輪島塗の大盃を奉納された。これは今も祭事には欠かせないものとして使用している。





神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
何も足さず、何も変えず、ありのままを後世に伝えて行く、民族の魂を・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

神宿る島 宗像大社

神勅(しんちょく)






神勅とは天照大神の御教えです。御親の神、天照大神は国づくりの前に、宗像の神に「歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いおまつりを授けられよ」と示されたという記述が、日本最古の史書、日本書紀に見られます。(宗像大社HPより)


沖津宮(島全体が御神体です)





中津宮(なかつみや)







辺津(へつ)宮








宗像三社位置図






天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへご来訪くださり感謝申し上げます。


宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)。 日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮でもあります。

上記の画像にも記載していますが、「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称です。
宗像大社は天照大神の三柱の御子神(みこがみ)をおまつりしています。この三女神(さんじょじん)のお名前は、田心姫神(たごりひめのかみ)湍津姫神(たぎつひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれおまつりされています。
記紀にも記載されている、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔男尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神です。
三女神は天照の神勅を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが宗像大社の起源とされています。
上記の動画に誓約(うけい)について述べられていますのでご参考にされてください。

三女神(さんじょじん)は朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから崇敬された神々です。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表されています。
地図上で辺津宮・中津宮・沖津宮を線で結ぶと、その直線は朝鮮半島の方向に向かっており、古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路でありました。
14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后(きさき)神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐(さんかんせいばつ)際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされています。またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえます。

宗像大社は、またのお名前を「道主貴(みちぬしのむち)」と呼ばれています。
「貴(むち)」とは神に対する最も尊い呼び名で、すなわち宗像大神は最高の道の神であると日本書紀は記しています。
大社には二千数百年前に交通安全のためにお供えされた、人形(ひとがた)馬形、舟形といわれる石製の形代(かたしろ・実物に代わるもの)が、現在国宝として保存されています。
これは古代より、道の神様としての篤い信仰を集めていたことを表し、遠く大陸に渡った遣唐使などの使節団も安全祈願のために必ず参拝をしていました。
明治時代になり、全国に鉄道が敷かれるようになると、鉄道関係の人々の参拝も多くなり、現在では、自動車交通の発達に伴い、車を運転される多くの人々が安全運転を誓って参拝しています。

今日大化の改新と呼ばれる、乙巳の変(いっしのへん)以降、国郡の制が敷かれると、宗像一郡が神領として与えられ、豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになりました。

辺津宮は宗像市田島に鎮座する辺津宮は、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)をおまつりしています。また、古くから三宮の総社として、数々の祭祀を行っています。 境内には、重要文化財の辺津宮本殿、辺津宮拝殿のほか、宗像神領の七十五末社、百八神(やおよろずのかみ)もおまつりされています。
辺津宮には、宗像大神ご降臨の地と伝えられる「高宮祭場」があります。悠遠のいにしえより、この地でお祭りが行われて以来、現在も古式にのっとって続けられています。 神籬(ひもろぎ)・磐境(いわさか)というお祭りの原点を今に残す、全国でも数少ない古代祭場です。高宮へと続く宗像山入り口に、沖津宮、中津宮の御分霊をお祭りする、第二宮・第三宮が鎮座しています。第二宮、第三宮は、伊勢神宮の第60回御遷宮古材によって再建された唯一神明造の社殿です。 伊勢神宮の別宮である伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)・伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の古殿で造営され、第二宮が沖津宮(沖ノ島)、第三宮が中津宮(大島)の御分霊をお祀りしています。

宗像市大島に鎮座する中津宮は、湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祭りしています。海運漁業者の信仰が、とりわけ篤いお宮です。 大島の北側には「沖津宮遙拝所」があります。沖津宮の鎮まる沖ノ島は、島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っているため、往古(おうこ)の昔より、女性の方々は遙拝所で祈りを捧げました。


沖津宮遙拝所

拙稿、神社のお話(十四)富士山では、富士山そのもの御神体であることを述べさせていただきました。
前述していますが、沖津宮の鎮まる沖ノ島は、島全体が御神体とされています。
今でも女人禁制です。また、男性でも毎年5月27日外の上陸は基本的に許されず、その数も200人程度に制限されています。
宗像大社の神職が1人で10日ごとに常時滞在している以外は、誰もいない無人島です。

動画にもありましたが、一般人の上陸が許可されるのは、通常毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時に限られています。上陸できるのは事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人の男性のみです。
但し、海が荒天の場合はとりやめ、順延はありません。
上陸はすべて神事の一環として行われるため、前日に筑前大島の中津宮に参拝して事前の手続きを受け、船で現地に着いたあとは裸で海に入って禊(みそぎ)をします。
玄界灘に浮かぶ孤島であるため、荒天時などに付近を航行中の船が避難できるよう港湾設備が整備されていますが、そうした際に寄港して上陸する場合にも、社務所に許可を取って禊をすることが必要とされています。


禊(みそぎ)


島全体が御神体の神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされていますので、島内の「一草一木」たりとも持ち帰ることは許されていません。ただし、島内の湧き水(ご神水)は例外とされています。
現地大祭が日本海海戦記念日に行われるのは、日本海海戦の戦勝記念と英霊の鎮魂が祭礼の発端であったからである。現在は、神への感謝と交通安全の祈願が主目的となっているが、神官より沖ノ島沖で繰り広げられた日本海海戦が紹介される。 これは、沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎氏が、樹上から日本海海戦の始終を目撃したことに由来し、仔細は、創建以来書き継がれている沖津宮日誌に記されています。
かっては神宿る島として、島の有様については一切口外が許されなかった神聖な島であるのです。
戦後、宗像大社復興期成会が結成され、三次の発掘調査が行われ、古代祭祀跡から約8万点の祭祀遺物が出土(そのほか約2万点の縄文時代、弥生時代の遺物が出土)し、第一次、第二次調査出土品は昭和37年に国宝に指定、第三次調査出土品は重要文化財に指定された。
国宝と重要文化財を統合、未指定物件が追加指定され、関連遺物全てが国宝に指定されている。こうしたことから、沖ノ島は海の正倉院と称されています。
平成21年1月5日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成遺産の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載されています。

宗像大社の秋季大祭は毎年10月1日〜3日の3日間行われます。放生会(ほうじょうえ)ともいい、国家の平穏、五穀の豊穣と海上安全及び大漁を感謝する祭りで宗像最大の祭りです。
初日の10月1日の初頭を飾るのが海上神幸「みあれ祭」です。この「みあれ祭」は田島の辺津宮(宗像大社)で宗像三女神が一同に会して秋祭大祭を行うために、辺津宮にお祀られている(三女)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が沖の島にある沖津宮にお祀りしている(長女)田心姫神(たごりひめのかみ)と筑前大島の中津宮にお祀りしている(次女)湍津姫神(たぎつひめのかみ)を乗せた2隻の御座船をお出迎える祭りです。宗像三女神それぞれの御輿を載せた3隻の御座船を中心に大規模な船団が周回します。




宗像市伝統の祭り 海上神幸 みあれ祭.avi



四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族、海洋民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。


自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません。

神宿る島、宗像大社はそれを語っています。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)


アメブロにタイトル同じで移行。
アメブロにタイトル同じで移行。
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

友だち(51)
  • たけし
  • にっぽに屋にっぽん
  • bug*nno*e
  • 大企業Grや富豪の脱税情報募集
  • success
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事