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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
わが国では約二千年前に稲作が始まりました。森を切り開き耕地整理をし、道路や集落を形成してきました。 今回は兵庫県加西市若井町に鎮まる礒崎神社です。
若井町は加西市の最北部に位置し、釜坂峠を経て神崎郡市川町に隣接する農村です。筆者はここで生まれ育ちました。いわば礒崎神社の氏子でもあるのです。
日本のファッションデザイナーの草分け的存在で、コシノヒロコ、ジュンコ、ミチコの3姉妹の母、小篠綾子さん(平成18年逝去)もこの地で生まれました。
小篠の半生をモデルにした連続テレビ小説「カーネーション」が平成23年に放送され話題になりました。
いわばこの地が小篠(コシノ・元々の姓はおざさ)ファミリーのルーツとも言え、氏子でもあってのです。
今月末で最終回を迎えるNHK連続テレビ小説「カーネーション」の主人公のモデルで、世界的なファッションデザイナー、コシノ3姉妹の母、小篠綾子さん(1913〜2006年)が、実は加西市生まれ、とはあまり知られていない。ドラマでは描かれていないが、綾子さんは生前、加西をたびたび訪れ、生まれ故郷に思いを寄せていたという。親交のあった人たちは「“お母ちゃん”は大きな人だった」と、いまもふるさとのヒロインとして慕う。http://archive.fo/wMGHc#selection-827.1-843.94 神戸新聞より引用 名称 礒崎(いそざき)神社
社格 村社
ご祭神 田心姫命(たごりひめみこと)
応神天皇
境内社 八坂神社
ご祭神 素戔嗚尊(すさのおみこと)
合祀社 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)
御祖神(みおやのかみ)
素戔嗚尊(すさのおみこと)
大歳神(おおとしのかみ)
武甕槌命 (たけみかづちのみこと)
大山祇命(おほやまづみのみこと)
軻遇突知命(かぐつちのみこと)
八王子大神(はちおおじおおかみ)
由緒
礒崎(いそざき)神社の創立は天正十五年(1587)推定にして現下道山町礒崎神社より田心姫命(たごりひめみこと) 応神天皇 二柱の御分霊を勧請し、最初若井町字芝大歳神社に奉斎せしが、後寛文十二年(1672)現在地に社殿を建立奉還す。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下諸神は明治四十三年(1910)無格社を合祀せり。
当神社の氏子は上下若井町は元下道山町、礒崎神社の氏子にして、古来は現下道山と上道山は一村にして道山村、又は東道山と称し、若井村と大内町は一村にして西道山村と称し、両者を道山の庄と称したり。
故に曽して西道山村なりし若井はその本村たる道山の氏神、即ち現下道山町礒崎神社を本宮と称し当社を新宮と称す。
境内社として八坂神社を祀る。
若井町字岩の熊の熊稲荷神社、同村丸山大歳神社、同村字清水大将軍社、同村字キトラ武大神社、同村字大倉妙見神社を明治四十三年二月六日合祀。
同村字前田政崎神社を同年二月二十日合祀。
同村字六地蔵大歳神社 同村字六地蔵稲荷神社、同村字門口山王神社、同村山田八王子神社、同村字山田愛宕神社同年七月十一日合祀せり。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
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神社のお話
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
わが国は春夏秋冬の眺めの”美しい国”です。
山や川や海のきれいな国です。このよい国に私たちは生まれました。
戦前まで我々の先人はわが国をこのように形容しました。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。 自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
わが国では約二千年前に稲作が始まりました。森を切り開き耕地整理をし、道路や集落を形成してきました。
今回ご紹介させていただく蛇穴神社は国道312号に面した緑の木々の間にあり、地元では「じゃけつさん」の名で 親しまれ、境内には桜の木がたくさん植えられており、春には多くの花見客が訪れ、賑わいます。
名称 蛇穴神社
ご祭神 市杵嶋姫命(いちきしまひめ)
鎮座地 兵庫県姫路市香寺町広瀬501
蛇穴神社の由緒によると、社の創建年代は不詳、語り伝えによれば、その昔、市川が東西に分流していたころ、当地は中洲になっており、樹木生い茂り、蛇も住みついていて、郷民は、「蛇穴の森」と呼び、祠もしつらえていたという。そんなある時、難病を煩った里人が困り果てこの治療を祈願したところ、ある夜、安芸国の厳島神社の神が枕頭にあらわれ「蛇穴の森」に社殿を建立すれば、病は平癒するであろうとの託宣を受けたので、郷の人々と相計り、社殿を造営すると、さしもの難病も全治したと言われる。これが後々、現在にいたるまでこの地の守護神として鎮座なされているという。
神道にはキリスト教、イスラム教などのように教典や、教義、絶対神はありません。しかし、日本全国津々浦々に神社があり、異なる神を崇め、祀っています。他の地域の神を貶(けな)したり、除外することなく日本人は共存共栄をはかり「和」を尊んできました。
穢れを嫌い、寛大、正直、なこころは連綿と受け継がれてきたものです。
穢れなきこころ、清きこころ、明るいこころは、過去、現在、未来、清明心は継承されていきます。
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皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮、ないくう)(一の鳥居)
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
神社の入り口には鳥居があります。 「鳥居」は神社の象徴となっていますが、これは神社の入口に建つ一種の門であり、神さまの聖域と人間世界との境界を示すものです。 大きな神社では、たいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から順に一(いち)の鳥居(とりい)・二(に)の鳥居(とりい)・三(さん)の鳥居(とりい)と呼んでいます。 鳥居の起源については、はっきりわかってはいませんが、古事記の「天岩戸開(あまのいわとびら)き」では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸にお隠れになられたとき、鶏(にわとり、常世(とこよ)の長鳴き鳥)を止まり木で鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。伊勢神宮の神使いは鶏(にわとり)です。 また語源については「鶏が居る」と書いて「鶏居」という言葉が変化したものと言われています。 鳥居をくぐるときは、気持ちを静かに、頭を下げてくぐります。他の人の家を訪問するとき、いきなりドアをあけたりしないことと同じです。また、参道を歩くときは、神さまの真正面にあたる中央をはずします。 筆者が近年、多くの神社参拝にでかけていますが、鳥居で一礼、若しくは頭を下げてくぐられる姿はほんの一部の参拝者にしか見受けられません。 古来よりの参拝方法を守っていきたいものです。 鳥居には大きく分類して二通りの鳥居があります。 以下にその画像を掲示します。 神明鳥居 代表的な鳥居は上記の皇大神宮(こうたいじんぐう)の鳥居です。
鹿島鳥居(かしまとりい)
春日鳥居(かすがとりい)
八幡鳥居(はちまんとりい)
黒木鳥居(くろきとりい)
靖国鳥居(やすくにとりい)
内宮源鳥居(ないぐうげんとりい)
宗忠鳥居(むねただとりい)
三柱鳥居(みはしらとりい)
明神鳥居
反りのある島木と笠木・貫・額束、内転びのある二本の円柱、亀腹(かめばら)からなる、最も普通に見られる鳥居です。 稲荷鳥居(いなりとりい)
山王鳥居(さんのうとりい)
奴禰鳥居(ぬねとりい)
ご参考になれば・・・・
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故郷を愛した柳田国男先生が奉納された玉垣 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
わが国は神の国です。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。柳田国男先生は「日本人とは何か」その答えを求められ、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行され、山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べられた。
筆者が最も尊敬してやまない民俗学の祖であり、その功績は偉大です。
多数の著作は今日まで重版され続けています。
今回ご紹介させていただく、鈴の森神社の近く辻川の地で柳田国男先生は生まれられ、柳田国男先生が幼少のころよく遊ばれた神社です。
柳田国男氏(日本民俗学の祖)の晩年の自伝「故郷七十年」で鈴の森神社をしのんだ歌を詠まれています。 「うぶすなの森のやまもも高麗犬はなつかしきもの言はねども」 と歌われています。 鈴の森神社は柳田国男先生の原点といっても過言ではないでしょう。
名称 鈴の森神社(スズノモリジンジャ)
ご祭神 彦瓊々杵命(ヒコホノニニギノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
太玉命(フトタマノミコト) 鎮座地 兵庫県神崎郡福崎町西田原1038-7
拝殿にむかって右側にヤマモモの巨木(上記写真)が枝を広げています。ヤマモモというのはヤマモモ科に属する常緑高木で、雌雄異株で4月ごろ花が咲き、雌株では6月ごろ赤く球形でブツブツのある果実がなる。この実は甘酸っぱく生食できる。幼い頃の國男先生も食べてみたいと思ったが、青くて小さい内に他の子供らに片端から取って食べられてしまうので、口には入らなかったそうです。それに、不器用で、木登りを止められていて、かわりに神社の狛犬さん(上記画像)には何度も乗られたようです。
柳田國男は、よく自らの生家(上記画像)を「日本一小さい家だ」と形容した。辻川の通りに面していた生家は、現在、背後の鈴の森神社の一角に移築されています。
柳田国男先生の功績や人となりはまた深く顕彰したいと思います。
筆者はここ柳田国男先生ゆかりの辻川界隈を殆ど毎日のように往来していますが、鈴の森神社に参拝したのは初めてでした。
「鎮守」とは、その土地の地霊をなごめ、その地を守護する神さまです。その言葉通り、鎮守の森は地震、台風などの自然災害から、私たちを守ってきました。さらに神社を守ることによって文化。伝統を伝えてきました。
柳田国男先生ゆかりの鈴の森神社も変わらぬことなく存在しています。
先人と我々現代人が同じ風景を見れる場所とは神社しかないといっても過言ではありません。
祖先の英知の結集でもあり、浅はかな現代人が考えもつかないことだと筆者は思うのです。 あらゆる風景は刻一刻と変わっていきますが、神社は過去、現在、未来も氏子や崇敬者によって護られ、それらは継承されていきます。
民族の魂として・・・
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