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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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チャッキラコ 海南神社


古来より「豊葦原瑞穂國」と称された我が国は、稲をはじめ穀物が実り豊かに実る国として遠く神話の昔より日の神「天照大御神」を崇め、田の神を崇め、「和」を大切にし、自然に感謝し、、自然と共に文化・伝統を育んできました。
 
わが国は神の国です。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている民俗芸能「チャッキラコ」が1月15日、神奈川県三浦市の海南神社で奉納されました。市内に住む4歳から12歳までの少女26人がかわいく舞い、大漁や五穀豊穣を願いました。
 三浦市三崎の仲崎・花暮地区に伝わる女性だけの小正月行事で、例年は町内や港でも披露されるが、動画にもありますがこの日は雨のため神社の神楽殿のみとなったそうです。額や唇に紅を差した晴れ着姿の少女たちは、竹の棒に鈴や5色の短冊を付けたチャッキラコや扇を手に6演目を踊り奉納されました。
浜の乙女たちが唄にあわせて綾竹や扇を手に踊る姿は見るからに愛らしいですね。
神事の起源には定説はないそうですが、江戸時代中ごろには既に大漁祈願の祝いの踊りとして行われ、今日まで続いているそうです。海南神社の祭神である藤原資盈の奥方盈渡姫が村の娘に教えたという伝説や、三崎に来遊していた源頼朝が、海辺で磯取りをしていた親子連れの女に踊りを所望したところ「私は年老いたので代わりに娘に踊らせましょう」と、小竹を持って娘が踊り、母が歌ったともされています。
わが国には古くから連綿と続く神事、まつりが多く存在しますが、わが国が一国一文明一王朝で建国以来安寧な社会が紡がれた証(あかし)でもありますね。
一回でも異国の支配を受けると文化、言語、歴史の伝承はその地点で途絶えてしまいます。
御国を護ってきた皇室、先人に尊崇の念を抱かずにいられません。
民俗芸能「チャッキラコ」がそれを物語っています。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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ご神紋





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神宮外宮で、大玉串を手に「遷御の儀」に臨みあそばされる臨時祭主の黒田清子さま=5日夕、三重県伊勢市










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神宮外宮で、「遷御の儀」に臨む神職 =5日夕、三重県伊勢市






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玉串行事所へ参進する神職







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正殿(右)を出て、雨儀廊の下を新正殿に向かう、ご神体を絹垣で囲んだ渡御の列(左)=5日神宮外宮






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新正殿に向かう、ご神体を絹垣で囲んだ渡御の列=5日神宮外宮





謹んでお伝えいたします。


20年に1度、社殿などを造り替える神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮は5日夜、内宮(ないくう)に続き外宮(げくう)でもハイライトとなる「遷御(せんぎょ)の儀」が営まれ、ご神体が新宮に移された。6日は天皇陛下からの捧げ物「幣帛(へいはく)」を奉る「奉幣(ほうへい)」などが行われ、内宮と外宮では祭事が終わります。これをもって8年にわたり続いてきた遷宮祭が幕を閉じる。
 これまでの正殿から西隣の新宮にご神体を移す外宮の遷御は、畏くも天皇陛下の使者である勅使や臨時祭主の黒田清子(さやこ)さま、鷹司尚武大宮司ら約120人が奉仕されました。皇族代表として秋篠宮親王殿下が参宮あそばされた。
 神職が内宮の「カケコー」とは違う鶏の鳴きまね「カケロー」を三唱して儀式が始まると、ご神体は絹の覆いに囲まれて正殿から運び出され、約300メートル先の新正殿へ。約4000人の特別奉拝者に見守られ、「浄闇(じょうあん)」と呼ばれる夜のしじまに小雨が降る中、ご神体は新宮に納められた。

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国体のハンドボール競技をご親覧あそばされ、選手らに手を振られる天皇、皇后両陛下 御尊影=5日午後、東京都武蔵村山市



畏くも天皇陛下におかせられましては、5日夜に行われた神宮の外宮の「遷御の儀」と同時刻、宮城(皇居)神嘉殿(しんかでん)の庭で、神宮に向かって拝礼あそばされる「遙拝(ようはい)の儀」に臨みあそばされた。皇后陛下におかせられましては、御所で拝礼あそばされた。
 皇太子殿下、妃殿下におかせられましても、東宮御所(東京・元赤坂)で拝礼あそばされた。







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ご神紋





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神宮 外宮 第一鳥居





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ご正宮





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ご正宮






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かがり火の中、内宮での最後の祭典「御神楽」が営まれ、参列する神職=3日、三重県伊勢市の伊勢神宮



謹んでお伝えいたします。


遷御を終えた内宮(ないくう)では3日夜、最後の祭典「御神楽(みかぐら)」で、8年間の諸祭に奉仕した神職らが遷宮の完了を祝いました。
 御神楽は午後7時、新宮の四丈殿(よじょうでん)で始まり、天皇陛下の勅使や臨時祭主の黒田清子さま、神職らが参列。かがり火の中、楽師が祝意を込めた「御神楽」や「秘曲」の調べを奏で、遷御を終えた喜びをかみしめました。

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神宝などが入った辛櫃を祓い清める川原大祓(かわらおおはらい)を行う神職=4日、三重県伊勢市の神宮外宮


豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。

神宮の式年遷宮は5日夜、ご神体を新しい正殿(しょうでん)に移す「遷御(せんぎょ)の儀」が、衣食住の神、外宮(げくう)でも行われます。4日は奉納する宝物をはらい清める「川原大祓(かわらおおはらい)」など3つの祭儀が営まれ、遷御に備えられた。
 川原大祓は、式目に照らして読み合わせる「御装束神宝読合(おんしょうぞくしんぽうとくごう)」などの後、正殿近くの池のほとりに祭場を設けて始まった。新正殿に納める神宝は、内宮(ないくう)より338点少ない202点。神の服飾品などの御装束や、内宮では奉納されなかった馬具の鞍(くら)などが入った辛櫃(からひつ)を神職が榊で清めた。
 遷御は2日の内宮とほぼ同様に行われるが、出発の合図として神職が発する鶏鳴三声(けいめいさんせい)が、内宮の「カケコー」に対し、外宮では「カケロー」と異なる。午後8時、正殿から運び出されたご神体は絹の幕に囲われ、神職らによってゆっくりと進み、西側敷地に建つ新正殿へ移される。





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新御正殿


現在、神宮では、来月2日に行われる「第62回神宮式年遷宮」遷御の儀の準備が進められています。式年遷宮とは、20年に一度、神様に新しい社殿にお遷りいただき、神のみずみずしい力のよみがえりを祈る神宮最大・最重要の神事で、「大神嘗祭」とも呼ばれます。神宮の社殿は、掘立柱に萱の屋根という素朴な檜の素木造り。歳月を重ねると傷んでいきます。そこで、式年遷宮によってすべてを造り替え、その美しさを保ち続けてきたのです。繰り返し再生することで、いつも変わらない姿で、みずみずしいままに「永遠」をめざすーそんな神宮の「常若」(とこわか)の思い、祈りは先人の英知を式年遷宮は象徴していす。式年遷宮では、社殿だけでなく、714種・1576点の御装束・神宝も新調されました。製作したのは、刀工、金工、漆工など、その時代最高の美術工芸家たち。彼らは全身全霊の力を注ぎ込み、最高の作品を作り上げます。式年遷宮は、建築や美術工芸の優れた技法を受け継ぎ、唯一無二の日本文化、そしてその魂を伝承するという意味においても、大きな意義のある神事なのです。



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神宮式年遷宮 は二十年ごとの日本民族の再生を意味します。
神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)とは、悠久(ゆうきゅう)二千年の時を超えて、今もなお清々(すがすが)しい神気漂う伊勢の神宮最大のお祭りです。
式年遷宮の制度は、今から約千三百年前に第四十代天武(てんむ)天皇の御発意により、次の第四十一代持統(じとう)天皇の御代四年に皇大神宮の第一回目の御遷宮が行われました。以来、長い歴史の間には(室町・戦国時代)に一時の中断はありましたが、二十年に一度繰り返され今日に至っています。
遷宮とは、上記の画像のように、新しいお宮を造って大御神(おおみかみ)にお遷(うつ)りを願うことです。
式年とは定められた年を意味し、神宮には内宮・外宮ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、二十年に一度同じ形の御社殿を交互に新しく造り替えます。また神さまの御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)も新しく調製されます。 

明治天皇陛下の御代のことです。当時の芳川内務大臣と田中宮内大臣の二人が、神宮の式年遷宮に必要な御用材の不足を理由に、土台に礎石を置き、コンクリートで固めれば二百年は保つことが出来ると、明治天皇に上奏(じょうそう)しました。
しかし、明治天皇陛下は、この上奏をお聴きとどけになられないで、質素な御造営に祖宗建国の姿を継承すべしと、お諭(さと)しになられ、二十年ごとに斎行される式年遷宮の大切さをお説きあそばされたのです。
明治天皇陛下は次のような御製(ぎょせい)をお詠みあそばされた。
 

 いにしへの姿のままにあらためぬ 神のやしろぞたふとかりける
 

 この式年遷宮の制度こそは、天武天皇が崇高なご精神でお定めになって以来、万代不易の制度として伝えてゆかねばなりません。
式年遷宮の制度が確立された時代の歴史的な背景は、仏教や儒教など外来の文化を積極的に受け入れた遣唐使などによる文明開化の花盛りの時代でした。。こうした中で、日本固有の文化を堅持し、日本本来の精神を自覚する、最も確かな方法が、この式年遷宮の制度でした。
二十年に一度、御社殿を新しく造り替える式年遷宮は、皇租の天照大御神が常に瑞々(みずみず)しくあってほしいと願う表象でありますが、同時に私たち日本民族の「いのちの甦り」「常若」(とこわか)の祈りが込められているのです。

神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)は「皇家(こうけ)第一の重事(じゅうじ)」といわれ、戦前は国費で行われていたほど、日本の国にとって極めて重要なお祭りです。



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神宮の建物は、掘立柱(ほったてばしら)に萱葺(かやぶ)き屋根という素朴で清純な建物です。神道は清らかさを重んじますが、大御神(おおみかみ)さまに常に清浄な所にお鎮(しず)まりいただくために遷宮は行われます。
常に瑞々(みずみず)しく、尊厳を保つことによって、神さまの御神徳(ごしんとく)も昂(たかま)ります。その御神威(ごしんい)をいただいてこそ、私たちの生命力が強められるという、日本民族の信仰心の表れなのです。
日本の「木の文化」に対し、西洋は「石の文化」といわれます。古今東西の建造物を見ていただければお解りいただけるでしょう。
エジプトのピラミッドやギリシャの神殿などのように、ヨーロッパや中近東では、石を用いて建築物や工芸品を作りました。建てたときは永久不滅のものだったのでしょうが、しかし、その多くが今では廃墟になっています。しかも、建物が壊れて廃墟になっただけではなく、それを作った技術は勿論のこと、さらには、信仰や精神も消滅しているのです。
しかし、我民族は、物も心も有限であるという考え方を基底にもっており、有限であるがゆえに、たえず新しいものに更新し続け、確実に後世に伝えていくという努力と作業を繰り返してきました。つまり、命の継承といえます。結果として、物が常に瑞々しい形を保ち続けるとともに、技術も継承され、物も心も永く久しく伝えてきたのです。 式年遷宮の考えは日本民族の叡智(えいち)として世界から賞賛されています。

遷宮に関連する祭儀は、社殿の用材を切り出すため山の神に安全祈願する平成17年の「山口祭」に始まり、8年がかりの大事業でした。
 神職による祭儀だけでなく、神領民と言われる地元の人たちも参加するのが遷宮の特徴です。
 18年に行われた御木曳(おきひき)行事では、ヒノキの大木を五十鈴川に浮かべて大勢で運び、今年7〜9月の御白石持(おしらいしもち)行事では、地元の人たちが真新しい正殿(しょうでん)の前に玉石を丁寧に敷き並べた。
 10月2日の内宮の遷御に際しては、一般参拝は午後1時までで、それ以降は宇治橋の手前までしか入れません。午後6時、太鼓の音を合図に神職らが正殿へ向かい、大宮司らによって正殿の扉が開かれ、遷御の準備が行われます。
 「カケコー、カケコー、カケコー」。午後8時、神職による「鶏鳴(けいめい)三声」が響くと、いよいよ新正殿への遷御が始まる。神様は夜の静寂の中を渡るので、境内の明かりはすべて消され、わずかに行列を先導する松明(たいまつ)や提灯(ちょうちん)が照らすのみです。
 ご神体は、絹垣(きんがい)と呼ばれる絹の囲いに覆われて出御。太刀や弓などを掲げた神職らを先頭に、新正殿までの約300メートルを進む。その際、招待された参拝者は絹垣が前を通る際に小さく柏手(かしわで)を打つ。「暗闇で何も見えなくても、柏手の響きによってご神体が近づいてくるのが分かりました」。前回の遷宮に参列した神領民の女性がそう語るほど、神秘的な雰囲気に包まれます。ご神体とともに装束や神宝も遷して終了します。


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江戸時代には人口の2割が参宮した年もあると言われる神宮。
参宮者数は第60回の昭和48年が859万人でしたが、平成22年には過去最高の883万人を記録。今年はすでに8月末で835万人を数え、1千万人を超える勢いです。
昭和4年の第58回は国力も豊かで壮大に行われたとのことですが、24年に行う予定だった遷宮は大東亜戦争の敗戦によって28年まで延期されました。かってわが国が争乱に明け暮れた室町時代、第40回の寛正3年遷宮ののち、天正13年まで遷宮は中断されました。
歴史を顧みると、遷宮がとどこおりなく行われるのは、国力が安定し、国民が安寧に暮らしていることの証しともいえるのではないでしょうか。?






農耕祭事は絶やさない〜霜神社火焚殿復興の記録





四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕、海洋民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
 
 
阿蘇山(あそさん)は、熊本県阿蘇地方に位置する活火山。なお「阿蘇山」は通称であり、正式には阿蘇五岳(あそごがく)と呼びます。
世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、「火の国」熊本県のシンボル的な存在として親しまれています。
阿蘇市(あそし)は、熊本県東北部、阿蘇地域の中央に位置します。
農産物を早霜の害から守り、五穀豊穣[ほうじょう]を祈る「火たき神事」が8月19日より、阿蘇市役犬原の霜神社で行われています。10月16日までの59日間、「火たき乙女」が火をたき続け、ご神体を温めます。

国指定の重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」の一つで、同市の上・下役犬原と竹原の3地区が1年交代で神事を受け持っています。



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火たき殿で火のついたまきを見守る「火たき乙女」の山部慈ちゃんと祖母の栄子さん=19日、阿蘇市の霜神社




今年の火たき乙女は、上役犬原の自営業山部栄一郎さん(39)の長女で阿蘇小3年の慈[いつみ]さん。祖母の栄子さん(71)が介添え役を務める。

神事の後、氏子らがご神体を納めたみこしを同神社から近くの火たき殿まで担いだ。安置されたご神体は、慈さんが栄子さんとまきをたき温めた。


標高の高い阿蘇では、収穫時期を早くするため、4月の下旬から5月に田植えが行われます。これは稲の品種改良が進み、農業技術が進歩し、水の確保が容易になったおかげでできるようになったものです。往古の昔は、梅雨時に田植えを行わざるをえなかったので、収穫の時期が遅く、早霜は稲作に大きな影響を与えました。
 阿蘇では霜の害から農作物を守るためのお祭りが長い期間をかけて行われます。その祭りを「火焚き神事」と呼びます。この祭りの起こりについては、次のような言い伝えが今日まで、語り継がれています。
 
 阿蘇を開拓し農業を伝えたとされる神様で、神武天皇の子で建磐龍命(タテイワタツノミコト)が阿蘇五岳の城島岳と往生岳の間に腰をかけ外輪山の大石めがけて弓の稽古をしていました。その矢を拾って命のところまで運んでいたのが鬼八という家来でした。九十九本まではきちんと拾って命のところへ持っていきましたが、百本目で面倒になり、矢を命に蹴り返しました。これに命が腹を立て、逃げる鬼八の首を斬りました。恨みに思った鬼八は「死んだら天に昇り、霜を降らせて五穀に害を与えよう。」と言って死にました。以後、毎年早霜がおり阿蘇の民は大変苦しみましたので命は鬼八を神として祀るからと許しを請いました。すると鬼八は「斬られた首が痛むから暖めてほしい」と言ったので、命は霜宮を建て鬼八を祀り、火焚きの神事を始めました。
 
 言伝えに出てくる霜宮は阿蘇市の役犬原と竹原の境近くに鎮座する阿蘇神社の摂社です。祭神は先ほどの伝説に出てくる鬼八と言う話の他に、天の七星という話も聞かれます。また、お宮の近くに「天神」と呼ばれる場所があります。火焚き神事の中でも神輿(みこし)がわざわざ立ち寄る場所で、特別な聖地と意識されている場所ですが、ここは昔隕石が落ちた場所で、ご神体はこの隕石であるとも言われます。
 火焚き神事の祭りは8月19日の「乙女入神事」で始まります。御神体を神輿に乗せ、お宮から火焚き小屋と呼ばれる建物に移します。火を焚く場所の上は、すのこ状になっており、ここに御神体を木箱に入れたまま納め、下で神官が火をおこし火焚きが始まります。この時から10月16日まで59日間火がたき続けられます。火の世話は火焚き乙女と呼ばれる少女が行います。昔は火焚きの間は乙女はこの敷地から出ることができなかったと言いますが、今は乙女が火の世話を行うのは祭りの時だけでその他の日は地域の世話役が世話をしています。また、昔は火焚きの期間は8町四方では喧嘩、大声は厳禁とされていました。「和」の精神を大切にしたのです。
この火焚きに使われる薪は阿蘇谷中から集められ、今は霜宮の氏子である役犬原、竹原以外は薪代で納めています。薪や薪代を納めた家には霜よけのお札が配られます。9月15日に寒くなってきたと言うことで御神体を真綿でくるむことを「温め入れ(ぬくめいれ)」と言います。
 10月16日、59日間焚き続けた火を落とすお祭りが行われます。これを「乙女上げ神事」と言います。御神体は神輿で火焚き小屋から神輿でお宮に戻されます。
 10月17日は、中休みといって 一切の神事を休みます。そして、18日の夜から19日の朝まで「夜渡(よど)祭」が行われます。お宮でお祭りがあった後、神楽殿に積み上げられた薪に火が付けられ、朝まで燃やし続けられます。神楽殿の天井に幣帛(へいはく)を1本上げておくと焚き火をしても建物に燃え移らないと言われています。夜8時過ぎ、太鼓を先頭に、7本の幣帛を持った神官、火焚き乙女、氏子の順で行列を組み天神に行きます。ここで祝詞が奏上され、再び神楽殿に帰ります。帰りは太鼓を打ちながら帰ります。神楽殿に付くとその周りを時計回りに7周回り、神楽殿に入ります。神楽殿の正面に幣帛を戻し、神楽が始められます。神楽は男性の神職が舞う阿蘇古代神楽という神楽で、幣帛、榊、お敷き、剣と採り物は変わりますが、順逆に回転する動作を繰り返す古い巫女舞を思わせる神楽です。この神楽を繰り返し朝まで一人の神職が舞い続けます。途中3度休憩を取ります。このうち2度目と3度目、そしてすべての神楽が終わったときに、お宮の脇の湧き水で神職と乙女が水を被り身を清めます(今は乙女は最後の時だけ)。最後の禊ぎが済んだ後、神官と乙女は7本の幣帛の前にすわり、神官が「霜づかぬ 代々の神業 秋かけて 乙女の籠る 今日は来にけり」という神楽歌を唄います。
 そして、神官が神楽に使った幣帛で一晩たかれた焚き火をならし、火を小さくして、乙女と二人で火の回りを5回廻ります。これを「火渡り」と言います。この後7本の幣帛の前に太鼓を置きこれに神官が座り、乙女と三献を行う。これが済むと祭りの始まりの時と同様に天神に行きお祭りは終わります。祭りが終わると、焚き火の灰は、霜やけなどに良く効くものとして参拝者がみんな持ち帰ります。
 この祭りは阿蘇神社や国造神社の祭りとともに「阿蘇の農耕祭事」として国から重要無形民俗文化財の指定を受け、二千五百有余年の間伝統を守り、今日に至っています。
 
我々日本人は、悠久の昔より、物も心も有限であるという考え方を基底にもっており、有限であるがゆえに、たえず新しいものに更新し続け、確実に後世に伝えていくという努力と作業を繰り返してきました。つまり、命の継承といえます。結果として、物が常に瑞々しい形を保ち続けるとともに、技術も継承され、物も心も永く久しく伝えてきたのです。常に瑞々(みずみず)しく、尊厳を保つことによって、神さまの御神徳(ごしんとく)も昂(たかま)ります。その御神威(ごしんい)をいただいてこそ、私たちの生命力が強められるという、日本民族の信仰心の表れなのです。
繰り返し再生することで、いつも変わらない姿で、みずみずしいままに「永遠」をめざすーそんな神道における「常若」(とこわか)の思い、祈りは先人の英知を象徴しています。

人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはならないでしょう。

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