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両陛下ベトナム、タイご訪問
「見過ごされた歴史」心寄せられ 両陛下、残留元日本兵家族と面会
今月28日〜3月6日に予定されている天皇、皇后両陛下のベトナム、タイご訪問の日程が固まり、10日の閣議で報告された。ベトナムでは、先の大戦後も一時、現地に残り、フランスとの第1次インドシナ戦争で指導にあたるなどした残留元日本兵の妻や、その子供ら十数人と面会される。
両陛下は戦没者にとどまらず、戦後、各地で苦難の道を歩んできた日系人にも心を寄せてこられた。今回、面会が実現することになった残留元日本兵の家族は、これまで見過ごされてきた日越の歴史の一端でもある。
宮内庁などによると、ベトナムにはかつて10万人近くの日本兵がいたが、先の大戦終結後、大半が日本に帰国。一方、約600人は同国にとどまり、再統治を狙うフランスとの第1次インドシナ戦争(1946〜54年)で、指揮官養成学校の教官などとして指導にあたったり、戦闘に参加したりした。
だが、その後、残留元日本兵と、現地で結婚した妻ら家族は苦難が続いた。残留元日本兵に詳しい大阪経済法科大の林英一助教(32)によると、第1次インドシナ戦争終結後しばらくは、残留元日本兵に対しては帰国が促された一方、家族を連れて帰ることは認められなかった。
「元日本兵は共産主義への理解が低いという理由で戦争後は重用されなかった。その結果、多くの家族が引き裂かれた」という。残された家族は「教育や就職で差別的な扱いを受け、残留元日本兵の家族ということも口外しにくい環境」(外務省経験の長い宮内庁関係者)に置かれた。残留元日本兵の功績が再評価されるようになったのは、90年代に入ってからだった。
両陛下が面会されるのは、こうした歴史に翻弄されてきた残留元日本兵の妻や子供らだ。ある宮内庁幹部は「両陛下は、戦後に海外に残された人々の歴史が見過ごされ、忘れ去られつつあることを常に気にかけてこられた。今回の面会も、両陛下のお気持ちをくみとったものだ」と話している。
近現代史や軍事問題に詳しいジャーナリストの井上和彦氏の話
「ベトナムは先の大戦後、日本軍の戦術を取り入れ、学ぼうとした。その思いに呼応した残留元日本兵は、今のベトナム軍の基礎を作ったといえる。ベトナムは東南アジアでも指折りの親日国家だ。だが、日本は東西冷戦下で米国と戦った記憶が残り、ベトナムを“色眼鏡”で見てきた。
多くの日本人が残留元日本兵の存在を知らない背景でもある。両陛下が残留元日本兵の家族と会われるのは、日本の近現代史の知られざる部分に光を当てる意義がある」(2017.2.10 産経新聞)
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日本人は大東亜戦争後も、独立を目指すアジア各国に残って、ともに白人と戦い、独立を果たしてきた。
数百年も奴隷のようにされてきたアジアの人々は、日露戦争で希望を与えられ、大国アメリカに立ち向かう小国日本の大東亜戦争で勇気をもらい、戦後は日本に戻らずに現地の人達と一緒に戦って独立を果たしてくれたことに感謝してきた。しかも日本人は独立後は何も求めない。
ここまでしてくれる国は世界中探しても日本くらいしかいないのではないか。
これぞ神武天皇の建国の理想である「八紘一宇」の精神を体現したものである。日本が侵略国家ではないことは明らかである。
戦前は「仏印」と呼ばれたインドシナは今を生きる日本人にはあまり注目されることなく、その歴史的経緯はほとんど知られることがないのかもしれない。
フランスに支配されていたインドシナは、昭和15年、日本軍が北部仏印に進駐してくるとベトナム国民やラップ独立軍は「救国の神兵来る」と喜んだ。
しかし日本軍は仏印との協定を守って「仏印主権を犯さず領土尊重」して撤退。するとラップ独立軍のラップがフランス軍に銃殺された。ラップ独立軍の残党は「日本軍はあてにならない」とホー・チ・ミンのベトミンに合流して抗日ゲリラになった。
大東亜戦争となると、米・英・ソ・支がホー・チ・ミンのベトミンに武器を支援して抗日ゲリラを強化した。また米軍機はベトナム鉄道を爆破して鉄道輸送を寸断した。
この時、ベトナムは台風による水害で米作が不良となり、米軍に鉄道輸送が寸断された北部地区は大飢饉となった。
この大飢饉を救ったのが日本軍であった。まず日本軍は大釜を出してお粥を飢えた人々に配った。
また、インドシナの日本の特務機関 安機関が仏印軍を制圧して、ベトナム、カンボジア、ラオスを王国として独立させた。
この時、日本軍はフランス軍が備蓄していた米を現地の人々に放出したため飢餓がなくなった。
さて、戦後、この安機関の一部の日本人が現地に残って、インドシナ独立のために戦うことになる。
昭和20年7月のポツダム宣言により、インドシナの北部は蒋介石国民党が、南部はイギリスが進駐して日本軍を武装解除して、インドシナをフランスに引き渡し、インドシナの独立は認めないとされた。
しかし昭和20年9月2日、ホー・チ・ミンは「インドシナ民主共和国」として独立宣言をした。すると翌年、ホー・チ・ミンとフランスによる第一次インドシナ戦争となる。
陸軍中野学校の卒業生の多い安機関の日本兵800人が残ってインドシナ独立のために戦った。
第一次インドシナ戦争はフランス軍が敗れ、ジュネーブ協定によりフランスの撤退とインドシナ民主共和国の独立が認められた。
しかし、この協定の直前に米国が南ベトナム政府をつくったのだ。
ホー・チ・ミンは「ジュネーブ協定でインドシナの独立が認められたのに、米国がフランスに変わってインドシナを侵略しようとしている」として第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)となった。
この時、かつての日本兵の教え子達がベトナム人民軍のリーダーとなり、また残っていた日本兵500人がインドシナの独立のために戦い、米軍を苦しめた。・・・
今回、両陛下がお会いされるのは、この日本兵のご家族の方達である。
多くの日本人は、日本人がベトナムに残って戦っていたことを忘れている。
我々の先輩達は、命とともに一生を捧げて他国の独立に尽くされてきたのだ。
にもかかわらず、不遇の扱いを余儀なくされてきたことは知られていない。
陛下が望まれた今回の面会で、日本の英雄達のことを祖国に生きる日本人が知ることになれば、わずかでも報われるかもしれない・・・
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