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日本人の忘れたもの
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代表隊員服務の宣誓
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
隣国に恵まれないわが国を取り巻く状況は緊張を増しています。
緊迫した国際情勢をよそに立法の最高機関である国会ではそれらを論ずることなくただ政治闘争に終始しているありさまです。
大東亜戦争前に日本人がもっていて、今日の日本人にないものは「公に奉じ私心を捨てる」精神です。非常事態に直面しても、教育によって個人の権利ばかり主張し、平和教育の名のもとに国のために自己犠牲など考えられず、自分だけが助かるかを考えてばかりでそんなことは絶対に出来ないであろうと言われてきました。 週刊誌「AREA」の世論調査では自衛戦争も認めない日本人男性は三割、日本人女性では五割以上との結果が報じられています。
他国や他民族にすべてを委ね、従属し、自由も放棄することもやむなしを意味します。
同じ人間だから、友好の国だから危害は加えない、と安易に考えているのでしょう。しかし、お花畑的日本人が考えているほど、世界は甘くもなく、優しくもないのです。
スウェーデン政府は徴兵制を約7年ぶりに復活させることを決めた。来年1月から実施する。ウクライナ危機を受けてロシアの脅威が高まる中、要員不足を補う目的という。スウェーデンは2010年7月、100年以上続いた男子の徴兵制を廃止していた。新たな徴兵制は18歳の男女が対象で、毎年少なくとも4千人を徴集する方針。
わが国がお花畑的発想で共同開発などと謳う北方領土は軍事要塞化され日本全土が標的にできる状況にありながら未だ日本人は眠ったままです。戦後70年にわたる平和教育は日本人から国防という意識を奪い去ってしまいました。
過去2世紀にわたって自国領内で武力衝突がなかったスウェーデンでさえ、昨今のロシアの行動を脅威ととらえています。
しかし、わが国政府においては支那、北朝鮮、ロシアの軍事行動を脅威と捉えていません。めでたいとしか言いようがありません。
しかし、未だ他国に侵略されないのは、日米安保、祖国の陸海空を護る精鋭の自衛隊が展開しているからです。
四月は一般企業、官公庁にも新しい人材が加わってくる季節です。
自衛隊の入隊式も各地で行われました。入隊式では声高らかに「宣誓」が唱和されました。
「宣誓」というと、スポーツの大会などで宣誓が行われますが、自衛官にも宣誓があるのです。
自衛官採用試験に合格された皆さんは、晴れて自衛官として採用される資格を得ました。しかし、あくまでも自衛官として採用される資格を手に入れたに過ぎず、自衛官の宣誓書にサインする権利を手に入れたということです。
宣誓書に署名押印(自分で名前を書いて印鑑を押す)すると、はじめて「自衛官」となります。 「自衛官」といっても任期制隊員、幹部隊員、予備自衛官などさまざまなので、それぞれに宣誓書が用意されています。(自衛隊法施行規則39条以降に明記されています。) ・任期制隊員や一般曹候補生などの場合上記画像の文字にあるように、 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。 といった内容の宣誓をすることになります。
なぜに自衛官は宣誓をするのかというと・・・ 隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、強い責任感をもつて専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて国民の負託にこたえることを期するものとする。(自衛隊法52条) という、自衛官としての務めの理由(自衛隊法上では「服務の本旨」といいます)があるからです。警察官や消防官にも服務の宣誓はありますが、事に臨んでは危険を顧みずの文言は自衛官にしかありません。 緊迫した状況下では自衛官も遺書を認めることもあるのです。
彼らが命を賭して任務遂行しているからこそわが国の平和は保たれているのです。これだけ世界中で紛争やテロが繰り返される中、いまだに自衛隊を認めない愚かな人々がいることを危惧します。
昭和32年2月、防衛大学校第1期生が大磯の私邸を訪ねた折に吉田茂元首相は、次のように卒業生に述べられています。
「君達は自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、 歓迎されることなく自 |
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
昨今の国会、マスコミは国家の大事よ地方の学園問題を国家の大事といわんばかりに報道し、扇動している様は情けなく思います。政治や報道が「国民不在」であることの証左です。他国の人々が見れば滑稽かつ摩訶不思議にうつることでしょう。わが国は先人が平和を愛し、連綿と平和を紡いできました。かって存在した時代劇からもうかがうことができました。
筆者が子供の頃、ブラウン管テレビを賑やかしていた時代劇がテレビから遠ざかってから久しい。とても残念でなりません。
筆者をはじめ現在を生きる現代日本人は大小に関わらずテレビや学校教育の影響をうけています。一定の年齢以上の方は、社会科や日本史の授業で、「士農工商」という序列があり、士(武士)を頂点に、農(農業従事者)、工(工業従事者)、商(商業従事者)の順で身分が固定されていたと習ったはずです。またテレビの時代劇を見て育った今の日本人は、西洋の文物が流入する以前の江戸時代は、強烈な身分社会でイメージをもっているかもしれません。
しかし、徳川幕府が成立した当時の1600〜1700年の欧州を見ると、ヨーロッパは江戸初期には魔女狩りの真っ最中、文明が進んでいたわけではありません。フォークが導入されるまでは、西ヨーロッパではスプーンでスープを飲み、ナイフで肉を切りながら、主に手づかみで食べていたのです。しかも男女とも入浴や歯を磨く習慣がなくトイレもなかったので貴族は持参のおまるで用を足し、近代になっても、都市の中でも路傍にしゃがんで用を足すのが珍しくありませんでした。夜はおまるを使いますが、朝になるとそれを窓から投げ捨てます。紳士の帽子やマントはこれに備えるために、女性のハイヒールは汚物を踏まぬように考えられたと伝えられています。なお、ベッドサイド・テーブルは、もともとおまるを入れるためのものでした。明治初年の外国人を驚かしたわが国の混浴など、日本人は裸体を見せることは気にしませんでしたが、身体の汚れ、穢れを恥としました。ですから我々の祖先は人の目を憚らず入浴や行水したのです。一方ヨーロッパではキリスト教が肌を露出することを禁じたため、入浴自体が行われなくなり、近代に入っても、入浴は裕福な人たちのものでしかなく、庶民は一生風呂に入ることなく死んでいったひとが殆どです。江戸期、日本は公衆衛生で世界第一の水準にありました。 江戸は、18世紀ころに人口が100万を超えた大都市でした。
半数が武家屋敷や寺社の構成員、半数が町人と呼ばれた庶民といわれています。町人を支配したのが町奉行所で時代劇でも馴染みのある南北2つの奉行所があり、職員は各与力25騎・同心140人(幕末の数値)でした。与力・同心300人余りで50万の町人を支配し、治安を守っていました。現在警視庁の警察官は4万3千人です。犯罪を取り締まる役人の数字においても江戸は格段に治安がよかったといわれます。
上の画像は「御用」と書かれた提灯と六尺棒をもった大勢の男たちが、犯人を捕まえにくる大捕物のシーンは時代劇の華ですが、治安もよかった江戸では大勢の男たちが犯人を追い詰めるというようなシーンは滅多に起こらず、提灯片手に犯人を追い詰める方々は今日で言う民間の警備会社の社員のような人たちで役人ではありませんでした。
画像は懐かしの素浪人、花山大吉と焼津の半次の画像です。花山大吉さん演じる近衛十四郎氏は最近亡くなった松方弘樹さんのお父様ですが、半次を怒る時の大吉の「バカタレが〜!」が印象的でした。
時代劇では、花山大吉らの浪人が江戸の町を何事もなく歩いている場面がほとんどの時代劇で登場しますが、実際には月代(さかやき)をボサボサに伸ばした浪人が堂々と江戸の町を歩くというのはありえませんでした。
浪人は武士であっても町奉行が取り締まれる対象であって、牢人が浪人に変化したとも言われています。ボサボサ頭の頭髪は時代劇の中だけの光景と言えるでしょう。
江戸時代は、月代に限らず身だしなみが重要視され、こと細かに身だしなみについて規制されていたのです。
江戸の町における武士の特権の一つに切り捨て御免が時代劇などで登場します。しかし、切り捨てた武士は、自分が切捨御免をするだけの無礼を受けたということを、証明しなければならず、証明できなければ罪に問われました。江戸と所領地を行き来する参勤交代も徳川御三家以外の大名には土下座する必要もなく、幕府に反旗をひるがえす可能性のある外様大名の経済力を奪う目的があったためすべての小藩の大名までもが参勤交代は行っていませんでした。
16世紀には世界最大の鉄砲の生産国・使用国であった我国は、江戸時代に入ると、軍縮の道を選びました。当時、世界最高の技術水準にあった鉄砲を捨てたのです。この過程で決定的に大きかったのは、徳川家康のリーダーシップでした。
信長・秀吉に続き、戦国時代に終止符を打った家康は、「厭離穢土欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)を馬印に用いいていました。
厭離穢土欣求浄土とは、戦乱の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味です。
天下太平の世を作ることを理想としていたのです。江戸に幕府を開くと、家康は鉄砲・火薬製造の統制を行います。鉄砲や火薬の産地を集中させ、鉄砲代官を置き、製造は幕府の許可制としました。寛永14年に島原の乱が起こりますが、これを治めると、幕藩体制は安定し、鉄砲はもはや戦闘の重要な要素ではなくなりました。鉄砲の製造数が大きく減少する一方、世界最先端の技術も次第に衰退していったのです。徳川幕府は、様々な戦争防止の仕組みを作り上げました。参勤交代や新たな築城の禁止、転封(国替え)など、精緻な統制が行われました。その結果、人類史上稀(まれ)なほど長い、平和の時代を実現しました。
最も注視したいのは、長期平和を実現した思想です。我国には、西欧とは異なる世界観がありました。キリスト教は「愛と平和の宗教」のようですが、その基底にはユダヤ教の怨恨的・闘争的な性格があり、それに基づく世界観は、近代において主権国家間の対立・抗争を原理とする国際秩序を生み出しましたのです。 皇室は、精神的支柱として人民の安寧を祈り、幕府は国内の平和を維持し、外国に対し国防の役目を負う。大名は領地の平和維持、要請があれば幕府への軍役を負いました。 武士は石高に応じ軍事力を提供、与えられた役職を果たし、社会を導き、手本となる役目を負いました。農民は全国の民を養う食料を造り、年貢を納め商人は必要な品を造り流通させ、町役人(ちょうやくにん)が町に関する費用を計算して、徴収し記録し、町を運営する役目を負っていました。
湯島聖堂(昌平坂学問所)では、享保2年(1717)から明治維新までの170年間、毎日午前10時から正午まで、一日も休まず講義が続きました。勤番武士、町民、農民、地方の学生、女性などが自発意思で参加できました。すべては公儀の為でした。士農工商は役割分担であり、上下関係を目的とはしていませんでした。ここが西欧と大きく異なります。欧州では搾取できる立場にありながら、武士は困窮を極め、経済的に最も辛い立場でした。 欧州の文化が特権階級(王侯・貴族・教会)の文化であったのに対し、江戸期の元禄文化、化政文化とも庶民が生んだ文化であり、文学・絵画・芸能すべて庶民の為のものでした。 徳川250年、ひとつの政権が継続して平和、泰平を維持し、また大きな革命なく次の時代へ移行し、統治者が人民を大事にした時代でした。これほどの素晴らしい歴史は日本唯一のものであり、世界から見ると全く不思議で驚嘆すべきことです。江戸時代とはまさに日本が誇るべき時代なのです。 そしてそれらの社会・文化を紡いできたのは紛れもなく、我々のご先祖さまなのです。 |
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すめらぎいやさか。
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、今日28日から6泊7日の日程でベトナム、タイを訪問あそばされ、ベトナムでは先の大東亜戦争後も現地に残った「残留元日本兵」の家族と面会あそばされる予定。
両陛下におかせられましては、先の大戦において日本人の記憶が薄れ、遠のくなか、我々日本人にその功罪を顕彰、検証する意義を提唱される。
残留日本兵(ざんりゅうにっぽんへい)とは、大東亜戦争の終結に伴う現地除隊ののちも日本へ帰国せずに現地に残留した旧日本軍の将兵の総称ですが、今日、どれだけの日本人がその存在に答えられるでしょうか?
両陛下が行幸啓あそばされるベトナムでは700人から800人の日本兵が残留し、ベトナム独立戦争中の昭和21年に設立されたクァンガイ陸軍中学などいくつかの軍事学校で旧日本陸軍将校・下士官による軍事教育が行われた。それらの訓練、教育をうけた独立軍将兵らは勇敢に戦った。「ディエンビエンフーの戦い」で敗れたフランスは昭和29年7月にジュネーブ協定を締結。ベトナムの支配を断念しました。
ベトナム独立戦争に参加して戦死した旧日本兵には烈士墓地に顕彰された方々もおられ、尊敬されています。
筆者は常に思うのです。
国家が発動し、国家が召集し、そして戦地に斃れた軍人、国民を、70年以上の長きにわたって顕彰もせず放置してきた罪、後世の日本人に周知すらさせていない責任は重い。
真(まこと)の平和とは国を護った先人の艱難辛苦を知り、顕彰し、その意思を継承し、国を護る意志をあらわににすることが「平和」の道だと筆者は思うのです。「隣国に怯え、阿ね、媚びる」ことが平和でも友好でもありません。同胞への裏切りでしかありません。
いまだ多くの日本人は自虐史観から脱却できず、先人を尊敬できずにいます。
筆者は、日一日が過ぎる度、日本らしさが失われ、まるで異国のような風情に変わっていく祖国が残念でなりません。
命を賭して遺したかった先人、戦没者の「祖国」がこれでよいのかと。
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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「北緯三十七度九分三十秒東経百三十一度五十五分隠岐島ヲ距ル西北八十五浬」
この問い掛けに、どれだけの日本国民が答えられるでしょうか?。そしてどれだけの日本人が竹島に関心をもっているでしょうか? また、どれだけの国民が、竹島の来歴や知識を持ち合わせているのだろうか。日本海に浮かぶ竹島は、隠岐諸島の北西約157キロ、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、現在は島根県隠岐の島町に属しています。 韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)の早期領有権確立を目指し、県が平成17年に条例で制定した「竹島の日」は22日で12回目を迎えますが、政府代表として、領土問題を担当する内閣府の酒井庸行政務官が出席しますが、関係閣僚の出席は残念ながらなさそうです。 毎年竹島の日を迎える度に筆者は思うのです。政府は掛け声ばかりで本気で竹島を奪還する気があるのかと・・・
高さ157メートルの西島と、それよりやや低い東島、数十の岩礁からなり、総面積は23万平方メートルで、東京ドームの約5倍の広さですが、領土なくして国家は存在しません。欧州には「一寸の領土を奪われて黙っている国民は、全部の領土を奪われても黙っている」という言葉があるほどど重要なことなのです。領土問題においては、その国民がどこまでを自国の領土だと意識しているかが重要であり、そして、他国に対して国家主権を明確に主張し、それを維持する努力をすることが最も重要です。国際法上、領土と認められている地域であっても、国民が自国の領土だと積極的に認識していない場合は、他国の侵犯を受けても、鈍感になり、あろうことか、他国が不法占拠し、実効支配しても、それを排除するための行動を起こさなくなってしまいます。戦後のわが国は、まさにそういう状態にあるのです。
竹島問題で常に矢面に立ってきたのが島根県です。韓国が昭和27年に領海水域を一方的に設定して以降、 韓国が竹島を不法占拠して以降、 韓国側は竹島近海で操業する日本漁船に対して、 銃撃や拿捕を繰り返すようになりました。 日韓漁業協議会の調べでは、1965年に日韓基本条約と 漁業協定が締結されるまでに、拿捕された日本の漁船は328隻、 抑留された船員は3929人、死傷者は44人にもなりました。
これらの事実をいかほどの日本人が知っていますか?関心がありますか?
遺族や犠牲になった方々にとって隣国のドラマいわゆる韓流などどうでもいいことです。
竹島周辺海域は、今も日本の漁船は近づくことができない状態が続いています。ことある毎にわが国を敵視し、歴史をねじ曲げる隣国に政治的配慮がいるでしょうか?今の日本人にかけているはナショナリズムではないでしょうか?
世界は日本人が信じているほど平和でもなければ、優しくもないのです。 |





