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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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熊本県菊池郡菊陽町 鉄砲小路







天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
 
我國は世界最長、万世一系、畏くも天皇陛下を戴き、仰ぐ世界最古の國です。
明日は、紀元節です。
建国の理念を今一度胸に刻み、国旗を掲げお祝いしましょう。
 
筆者らが子供の頃はどこの家庭にも国旗が翻っていました。
すべてにおいて可笑しくなってしまった日本。
この当たり前の風景に日本全体が戻りますよう願ってやまないのです。





祝祭日に日の丸をあげる街、秋田県大仙市協和、唐松神社(物部神社)周辺





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「日本の建国を祝う会」が開催したパレード=東京都渋谷区


すめらぎいやさか。
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。

最近のマスコミは異国の大統領の選挙公約の実施、施政について猛烈な批判をしている。
世界規模のマスコミによるものです。
 “アメリカ合衆国大統領トランプ氏”への端的な批判は「建国の精神を忘れたのか」という指摘が多く見られます。しかし日本のマスコミはわが国の建国の理念を忘れてはいまいか?否、語れるのか?
戦後の史観に洗脳された戦後世代はGHQによって制定された「平和憲法」に国の理念を見いだそうとする方もいますが、日本の建国とは無関係極まりない。
占領下で制定された憲法前文「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、国民の生命と安全を他人任せ、他国任せにするものを、日本国民が本気で心の支えにできるか?この憲法の前文によって戦前に日本人にあった独立心、愛国心を奪われ、他国に阿る「曲学阿世の徒」が闊歩する国になってしまいました。
筆者は2月11日を紀元節と呼んでいます。筆者の子供の頃の祖父母は明治生まれが大半であり、祖父母たちは建国の日を紀元節と呼んでいました。
紀元節とは2月11日、いまの建国記念の日に当たりますが、明治6年に定められ戦後、連合国軍総司令部(GHQ)はこれを祝日とすることを認めず、昭和23(1948)年の祝日法からはずされた。建国記念の日が祝日となるのは、昭和41(1966)年実に18年の年月を要したのです。
紀元節とは、初代天皇である神武天皇が大和の国において即位された日であり、国の成り立ちに思いをはせ祝う日である。戦後、昭和23年に当時の総理庁(後の総理府=現・内閣府)が行った世論調査では、国民の8割はこの日を祝日とすることを望んでいました。そのくらい人口に膾炙(かいしゃ)した日であり、国民の背骨たる日でありました。いろいろと形は違っても、どの国家にも建国の理念、建国の日はあってしかるべきものであり、大切にされるべきものですが、GHQは日本の復讐を恐れ、「精神的武装解除」を占領方針のひとつとし、神道や神話を敵視し多くの施策を行いました。日本が独立を果たしたあとも昭和41年まで、建国記念の日が18年もの間、祝日とならなかったのはなぜでしょうか?この日を祝日とする議論は主権回復後、国会でもなされた。しかし形として実を結ばなかった。
ここに戦後日本の左傾が顕著に見られます。GHQが定めた方針を拡大再生産し、日本という国を批判してやまない勢力が、日本のなかで猛威をふるってきたのです。日本国民でありながら、建国記念の日の制定に反対する集会が開かれ、各団体から反対声明が出されたのです。しかもそれらの勢力は今日も祖国を売り、祖国を貶めているのです。
国民が神話を持てるということが大切であり、重要です。
国民を統合する物語が、神話であり、国民統合の要が起て一系皇室であります。
そのような神話、建国の理念、建国の日を持っているということは、国民の幸福であるのです。
アメリカ合衆国大統領トランプ氏の政策を日本国や国民が評価するにあたり、自らも自国の建国の理念を知り、物差しを用意しておくことは必要であると筆者は思うのです。


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トゥール・ムハメットさん。世界ウイグル会議日本全権代表を務める。

日本在住の支那人らが5日、ホテルチェーンのアパホテルが「南京大虐殺」などを否定する書籍を客室に備えていることに抗議した。
心ある保守運動代表の桜井誠氏らはこれら反日デモを許るさじと集まり、反日デモともみあいになりました。
騒然としたなか、桜井氏が1人の外国人男性にマイクを渡しました。男性は中国・新疆ウイグル自治区出身で、冒頭の画像の人、トゥール・ムハメットさん。
世界ウイグル会議日本全権代表を務め、世界ウイグル会議のラビア・カーディル氏が来日し、講演した際は通訳を務めた人物です。
トゥール・ムハメットさんは訴えられた。
「中国の官製デモが、この素晴らしい民主国家、アジアのモデルである日本で行われている。こんな素晴らしい国家で、こんなくだらないデモが…」
「1949年の中華人民共和国建国以来、数え切れない殺戮、弾圧、海外侵略を行っています。中国中央民族大学のイルハム・トフティ先生もウイグル人の基本的人権を守るために発言しただけで、無期懲役の判決を受け、新疆ウイグル自治区の獄中にいます。どうしてこの素晴らしい(日本という)国家で、こんなデモをするのか。建国以来、ウイグル人、チベット人に対する虐殺は許されません。私は、この平和な日本で、平和がいかに大切か痛感しています」
日本人が南京で、北京で、上海で反支那の抗議デモを行ったらどうなるでしょうか?
それを支那人は堂々と日本国内で行っているのです。自国の血塗られた歪曲された歴史を信じている愚か者たち。
祖国を侵略されたトゥール・ムハメットさんの訴えはどう受け止めるのか?
天安門事件で自国の国民に発砲、同胞を戦車で踏みつぶした暗黒の歴史を彼らは知らない。
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節分《おばけ》


美し国、四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくる、この国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢え­る誇りとよころびを共にしていきたいと筆者は願ってやまないのです。

筆者がかって過ごした京都は、三方を山に囲まれた盆地で、冬になると放射冷却が起こり、「京の底冷え」と言うぐらい厳しく冷え込みます。この「京の底冷え」は、肥沃な土壌や美しい水とともに、都の豊かな風土を生み出してきま­した。
季節の分かれ目は「節分」と呼ばれ、昔から邪気が入りやすいといわれます。
立春前日の節分は、冬から春への分かれ目。豆をまいたり、鰯と柊を門につるして、災い­の象徴である鬼を払います。京都では、「節分おばけ」という独特の風習も伝えられてき­ました。
節分《おばけ》とは旧暦では節分の日はいわば大晦日。その大晦日に仮装をして、神社・仏閣にお参りをし一年の厄を落とす風習。 この風習は平安時代にまで遡り、陰陽師の世界に通じます。年が変わるということは恵方が変わるということ。大晦日に神様が次の年の恵方に大移動。そのすき間を狙い、地獄から魑魅魍魎(ちみもうりょう)が現れるので、自分に憑かないように自分で無いものに化け、鬼(厄・疫)を化かすという京都の町中の旧い風習。戦後街なかでは廃れて、今日では花街の芸舞妓がしているため花街の行事に思われがちですが、元々町衆の文化です。
昨今わが国に輸入された「ハロウイン」などと違い、わがくにの文化です。
怖い鬼退治も、楽しみに変えた先­人たち。
京都は千年の都。日本の文化、伝統が今日に息づいています。



筆者が暮らした京都壬生(みぶ)の地に伝わる壬生狂言もその一つです。
700年もの伝統を持ち今日に至るまで継承されている「壬生狂言」は、鎌倉時代に円覚上人が仏教を分かりやすく広め­るために、10万人の聴衆に対し、身振り手振りで踊ったのが始まりとされています。
念仏狂言が無言劇化した理由については、本来、大衆が念仏をする前で行なわれたものであったために、台詞を発しても念仏の声にかき消されて伝わらないので無言になったとする説もあり、同じ念仏狂言でも、千本閻魔堂のものは、台詞入りで行なわれています。
江戸時代になると、布教活動としての色彩が薄れ、大衆娯楽として発展した。能や狂言、物語に取材し、新しい演目が考案されました。
わが国では珍しい無言劇で、重要無形民俗文化財に指定されています。
笑いと感動に溢れ、歓声と拍手に包まれた、老若男女誰でもが楽しめます。

節分は、どんな時も明るく人生を切り拓いていた人々の豊かな知恵や感性が生み出した風­習の一つです。
邪気を追い払う為に、節分には古くから豆撒きの行事が執り行われている。宇多天皇の御代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われています。

我々の祖先が長い歴史、時の流れの中で培った感性、美しい日本がここにも生きています。そして後世へと紡いで行かなければならない伝統に対する義務・責任が存在します。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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関西支部勝兵塾第50回月例会 元谷氏

我が国の社会は確実に変わりつつある。潮目が変わったといいましょうか?かっては支那や韓国に歴史問題を持ち出されると、ことの真偽にかかわらずひたすら頭を低くして民間、政府を問わず、波風立てずにやり過ごそうとばかりしてきました。
しかし、しっかりしと歴史を学び真実を知る心ある日本人、また日本に行為を寄せてくれる異国の方々のひたむきな情報発信、活動によって僅かずつですが、日本人としての誇りを取り戻しつつある流れに向かいつつあります。
櫻井よしこ女史がいつも言われる「日本は押せば引く国」と、70年間にわたって『文句言えば金を出す国』ということで敗戦国の悲哀を味わいました。
しかし、『本当はどうなのか』と疑問を抱かれる方々も多かったはずです。
支那の報復措置を受けたアパホテル側の反応は堂々としたものであり、アパグループを率いる元谷外志雄代表は、書籍を撤去しない方針を早々と示した。
名古屋市長を務められる河村たかし市長も23日の記者会見で次のように述べ援護しています。

 「いわゆる南京事件はなかったのではないか。(支那が主張するように)市民を30万人虐殺したことが本当だったら南京に行って土下座しなければならない。しないのだったら反論しなければ。議論が必要だ」

以下は産経新聞阿比留氏の極言御免より引用します。

この問題に関する政府見解は、被害者の人数は諸説あるとしつつ、「非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない」というものだ。だが、今や本当に30万人もが虐殺されたと信じる日本人はほとんどいないだろう。

 10年以上前の平成18年に、民主党(現民進党)衆院議員時代の河村氏から、南京事件について意見を聴いたことがある。陸軍伍長として中国戦線にいた河村氏の父、●(=金へんに心)男氏は終戦翌日の昭和20年8月16日に南京市に入り、翌21年1月まで郊外の寺で暮らしたが、現地で大変手厚く遇された。

この時の感謝を込めて、戦後50年の際には戦友たちと寄付金を募り、南京市に1千本の桜を贈ったとのことである。

 そして平成18年に●(=金へんに心)男氏の戦友らとともに南京を訪問した河村氏は、南京市幹部らと会食した際にこう問いかけた。

 「本当に日本がそんな虐殺行為をしていたのなら、(南京事件の)そのたった8年後に南京に入った父たちが、そんなに温かいもてなしを受けたのか」

 すると、幹部らは押し黙って何も答えなかったという。河村氏は当時、筆者にこう話していた。

 「南京事件について科学的事実を検証しなければいけない。政府は数億円かけてでもやるべきだ」

 この言葉は現在でも傾聴に値する。この頃の民主党には、まだ党としての多様性や可能性を感じさせる所属議員らがいた。だが、日本社会が変わり、正常化しつつある中で、民進党は逆に偏狭となり、旧社会党に先祖返りしてきたように思えるのが残念である。


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筆者は元谷氏の著書を注文しましたが、多くの方々の反響があり、手元に届くのはまだまだ日数を要するようです。一人でも多くの方々が真実に目覚め、正しい国家観をもって欲しいと願ってやまないのです。
以下の動画は元谷氏が主宰される勝兵塾の最新の動画です。



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