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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
冒頭の画像は「この国の心をうつす、日本人になろう。」と題し、國學院大學が三年前の10月13日に産経新聞 に掲載されていた、國學院大學の全面広告です。
古来より皇室のみ用いることを許された色、優雅で繊細な雰囲気をもつ日本の伝統色「麹塵(きくじん)」の前に、美しい所作でお辞儀をする清楚な女性の所作(しょさ)は忘れられつつある日本人の高貴さを現した画像です。
そして、國學院HPには、「姿勢と所作」、「お辞儀」について述べられています。
日本のお辞儀は歴史が古く、三世紀には行われていたと言われます。
敬意や感謝の気持ちを表すとされ、場面によって会釈、敬礼、最敬礼の三つのカタチが使い分けられています。 お辞儀の美しさは日本人の心そのものです。・・・・ 今一度、お辞儀から、自分のルーツを学んでください。
日本人のアイデンティティについて、じっくり考えてみませんか? と問いかけています。
現在のわが国の世情はといえば毎日繰り返される死刑に相当する殺人事件が累犯におこり、かってわが国には皆無といえた尊属殺人が多発し、被害者と加害者との因果関係もない無差別殺人も珍しくありません。
まじめに働く人々が生活保護制度を悪用する輩よりも収入が少い、働く意欲をなくさせる。明治元年より149年、わが国は、まず、世界の先進国に追いつくことに急ぐあまり、欧米諸国の思想、文化、体制の導入、欧化万能の風潮が日本全土を覆い、日本古来の思想・文物が顧みられない状態となっています。これらは大東亜戦争後急加速し、日本の日本らしさの欠片(かけら)さえも残さない有様です。 日本人が日本人の「こころ」を忘れかけているのです。
「和」という言葉はわが国固有の言葉で、支那、朝鮮はもちろん、それ以外の外国語にも存在しません。
「和」を大切にする日本人は世界に比類なき心の民であり、何よりも心を大切にしてきた国です。
日本語には、心が付く言葉が数多くあります。「心構え」「心遣い」、「心尽くし」、「心相」、「心配り」、「心意気」、「心がけ」、「心根」、「心残り」「心有」、「心得」「心外」、「心根」など400近い言葉があると言われています。それに対し、英語では十分の一にも満たない言葉しかないようです。
我々の祖先がいかに「こころ」を大切にしてきたかの証(あかし)と言えましょう。古来から、わが国では言挙(ことあげ)することを嫌いました。言挙とは声を張りあげて強調していうことをいいます。
逆の言葉に日本人らしくないことを「心ない」とも表現します。
日本人は外国人に比べ寡黙だと言われます。論理や理屈を嫌い、疎んじてきました。清明心を尺度とし、規範としてきた民族です。
四季に恵まれ、自然に対し畏怖の念を抱くなかで育まれてきた、日本人独特の感性が「こころ」の原点、根幹をなしてきました。
しかし、欧米化が進むにつれ、これら日本人の美徳が失われつつあることを筆者は危惧します。
次の世代に日本のこころを紡いでいくのが現世の我々の義務であり、先人も同じ思いで「こころ」を繋いでこられました。
明治以降の日本は激動の荒波を乗り越えてきましたが、平成日本は平和こそ保っていますが、かっての「心豊かな」日本と違い明らかに「心貧しい」閉塞状況にあります。これは駄目だ、あれも駄目だと駄目が多すぎ、すべての事柄がマニュアル化されすぎストレスやストレスによる人間関係の歪みが生じてこれでは日本という国は崩壊してしまいます。街ゆく人々から大らかさが消え、子供から笑顔が少なくなっています。
処方箋は日本人が日本人に戻ることです。先人を否定することから脱却し、顕彰し、素晴らしい先人の教育を為した教育をもう一度施す以外に日本人らしさ、「心ある」日本人を取り戻す道はありません。
こころの民族「日本人」を取り戻そうではありませんか?
難しい試みでも新しい試みでもありません。
「日本人が日本人に戻る」ただそれだけのことです。
「この国の心をうつす、日本人になろう。」 |
日本人の忘れたもの
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コメント(2)
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すめらぎいやさか。
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拙稿、駐日大使は靖国神社に行ってほしい。でもご紹介いたしましたが、大使は日本人よりも日本を熟知され、かって日本人がもっていた清明心、神話より連綿と続く皇統、美しい国土、をご紹介され、かつ日本人への警鐘をされています。
昨日の産経新聞、話の肖像画より今回も全文引用させていただきます。
〈日本サンマリノ友好協会(加瀬英明会長)などと一緒に、欧州で初めての神社となるサンマリノ神社の建立に尽力した〉 万世一系の皇統が為しえる「神話」これらは大使が仰せのように国家の至宝です。異民族の支配、占領、文化の略奪をうけたことがない国でしかありえないのが「神話」の伝承です。神話をしらねば日本人としての背骨が形成、座標ができません。そして祖先が何をおいても我々に紡いできた神事、神社の大切さも大使は説かれています。文化をふくめ米国追従への危険、何よりも日本の国土の美しさ、沖縄への思いも説かれています。そして歪められつつある「日本のおもてなしのこころ」への警鐘。
日本人が日本人であることの素晴らしさ。これらを子々孫々へ伝えることこそ今を生きる日本人の使命、駐日サンマリノ大使・マンリオ・カデロ氏は警鐘されています。
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すめらぎいやさか。
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今日の産経新聞「話の肖像画」に駐日大使全体の代表であるサンマリノ駐日大使、マンリオ・カデラ氏の記事が載っていたのでご紹介したい。
以下に引用します。
〈2011(平成23)年に日本に駐在する外国大使全体の代表である「駐日外交団長」に就任した〉 マンリオ・カデロ大使の経歴は
イタリア・シエナ生まれ。イタリアで高校卒業後、パリのソルボンヌ大学に留学。1975(昭和50)年に来日し、東京に移住。ジャーナリストを経て、89(平成元)年、駐日サンマリノ共和国領事、2002年、同特命全権大使。11年5月、駐日大使全体の代表である「駐日外交団長」に就任。著書に「世界で一番他人にやさしい国・日本」(共著、祥伝社新書)、「だから日本は世界から尊敬される」(小学館新書)など。(産経新聞より引用)
大使のサンマリノ共和国は
イタリア半島の中東部に位置する共和制国家。首都は国名と同じくサンマリノ市。周囲は全てイタリアで、国土面積は十和田湖とほぼ同じ。世界で5番目に小さな国(ミニ国家)である。また、現存する世界最古の共和国。サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も長い歴史をもつ。アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、すでにサンマリノ共和国初代大統領が就任していたといわれる。1631年、ローマ教皇が独立を承認し、世界最古の独立共和国となった。その後、1815年には、ナポレオン戦争後のウィーン会議でサンマリノの独立が再確認されている。(wikipedia参照)
(サンマリノ共和国国旗)
欧州初、サンマリノ共和国の神社建立(一般社団法人国際教養振興協会より)
上記画像もサンマリノ神社は世界最古の共和国として1700年以上の歴史を持つサンマリノ共和国と、世界最古の君主国である日本両国の友好シンボルとして、さらに東日本大震災の犠牲者の慰霊を目的として平成26年6月22日に建立されました。欧州初のことです。神社建立は、サンマリノ駐日大使であるマンリオ、ガテロ大使や、外交評論家であり神道に対する理解が深く、ジョンレノンに神道を指南した加瀬英明氏の多大なるご尽力によって実現されました。
式典当日は日本からは、東京大神宮の権禰宜、禰宜の神職が奉仕され、ご来賓の方々の中には、政府関係者ほか、安倍首相のご母堂さまも列席された。 カデロ大使は、サンマリノ共和国での神社建立に際し、「私は神社・神道を宗教だと思っていません。日本人が永きにわたって培ってきたライフスタイルそのものだと思っています。このスタイルは欧州の人間にも必要ではないかと思ったのです」と・・・ また神社建立に際し、日本、日本人についてNEWSポストセブンの取材に次のように述べられています。
日本人の道徳心の高さ、親切さはまさに世界に誇ってもいいくらい立派なものです。それは先の東日本大震災の被災者たちの姿を見てもわかります。 いつまでも隣国、支那、朝鮮半島の国々に振り回されてはなりません。マスコミが言う世界の声とはこの三国のことであり、誠の世界の声とは外交団長であるカデロ大使をはじめ友好を堅持していてくれる国々を示します。そして陛下を敬愛されています。
日本に居を移して40年近くになり、数多くの日本人に会いました。国会議員や大会社の社長など地位の高い人も数多くいましたが、最も謙虚な方は陛下です。立ち振る舞いが優雅で、周囲にとても気をつかわれます。私は陛下のことを心より尊敬申し上げております。 |
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すめらぎいやさか。
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兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎
六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからず
自民党三原じゅん子参院議員が一昨年予算委員会において、「八紘一宇(はっこういちう)は大切にしてきた価値観」として発言したことは記憶に新しいところです。
「八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる」と発言、麻生財務相にその真意を糺しました。
我が邦の歴史において異なる民族や同胞に大量虐殺や、粛正、奴隷が存在したことはなく、人身売買が行われた歴史もありません。我が邦のおける統治制度が一変した明治維新、さしずめ「廃藩置県」は画期的大改革でした。いくらかの局地的紛争がありましたが、それ以降は国内における紛争はありません。冒頭の画像にあるように「ひとつ屋根の下、皆仲良く」が我が邦の建国以来の価値観として今日に至っているのです。
「貧しさゆえに」
昭和41(1966)年6月7日。1通の投書がきっかけとなり、サンケイ新聞(現・産経新聞)社会面に闘病生活を送る幼い少女の記事が載りました。今日多くの命を救う「明美ちゃん基金」の発端となるものでした。少女は、鹿児島県に住む伊瀬知(いせじ)明美ちゃん(当時5歳)。生まれつき心臓の右心室と左心室の間に穴が開いている心室中隔欠損を患い、「手術をしなければあと2、3年の命」と宣告されました。
手術費は50万円。現在の約500万円に相当しました。8人家族で農業を営む両親にとって、わずかな田んぼを売り払ってもとうてい手の届かない大金でした。
「明美ちゃんを救おう」。記事は大きな反響を呼びました。その日のうちから社会部に電話や手紙が殺到し、翌日までに全国から66件、268万円余りの善意が寄せられました。1週間後には420件、425万円余りに達し、手術に必要な額をはるかに上回りました。
「まだ第2、第3の明美ちゃんがいることと思います。そのような人たちに1日も早く明るい日を与えてください」(4000円を寄せた神奈川県の私立中3年生たち)
善意を寄せた人の中には、こんな意見も多くありました。産経新聞社は、明美ちゃんの両親や、手術を引き受けた東京女子医大付属心臓血圧研究所の所長、榊原仟教授(故人)らと協議しました。
41年6月15日、心臓病の子供を救う日本で初めての基金「明美ちゃん基金」が誕生しました。
画像は産経新聞より引用
明美ちゃんは、ただちに心臓血圧研究所へ入院しました。当時、心臓病の世界的権威といわれた榊原教授の執刀で手術に臨みました。手術は成功し、昭和40年代には明美ちゃんに続き、心臓病に苦しむ「第2、第3の明美ちゃん」たちが適用を受け、元気を取り戻していきました。そして上記画像にあるように明美ちゃんは現在医療の現場に携わりその恩恵に報いる活動をされています。
基金の活動をきっかけに、先天性心臓病の子供に対する国の対策も前進しました。厚生省(当時)が42年から育成医療費を増額し、心臓病を支給対象に含めるなど、医療費は健康保険や公的扶助でほぼカバーされるようになりました。
国内で対策が進むにつれ、基金には、発展途上国の子供たちを救うという新たな使命が加わりました。すでに47年、インドネシアのニューニューちゃん(当時7歳)が外国人の適用第1号として手術を受けていましたが、医療事情の悪いアジアの発展途上国を中心に、子供たちが次々と適用を受けて来日しました。
これまでにネパール、韓国、カンボジア、マレーシアなどの子供たちが手術を受けました。昭和63年以降の適用者は、すべて外国籍となっています。
基金の事務局は現在、産経新聞の東京、大阪両本社の社会部に置かれています。代々の社会部記者たちが担当し、ふだんの取材活動をしながら事務が行われています。
明美ちゃん基金はこれまで50年にわたり、“愛といのちのバトンタッチ”という大きな善意の橋渡し役として成長、こころある人々の預託、寄付によって紡がれています。自らが住む祖国日本を貶め、他国に阿る曲学阿世の徒らが跋扈する反日新聞社らの存在を筆者は疑うのです。
明美ちゃん基金こそ今日に生きる「ひとつ屋根の下、皆仲良く」すなわち「八紘一宇のこころ」の精華ではないでしょうか?
「明美ちゃん基金」への振り込みは、みずほ銀行東京中央支店(店番号110)普通口座567941「産経新聞社会部明美ちゃん基金」。郵送の場合は、現金書留で〒100−8077 産経新聞東京本社社会部「明美ちゃん基金」。
参考までに。
参考文献:産経新聞HPより引用、加筆 |
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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花。
と詠んで日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として古事記伝の作者、本居宣長は表しました。
日本の精神文化の最大の特徴は、いったい何でしょうか?
端的に表すと清明心、清浄感でしょう。
かって外務省関係の文章として「日本と中国は”一衣帯水”の隣国、しかもともに東アジアに属し、我が国は中国から儒教や仏教を中心に、計り知れない文化的恩恵を受けてきました。云々」 とありました。また、また朝日新聞に次のような記事がありました。「(中国と日本は)”一衣帯水”の隣国であり、歴史的、文化的なつながりも深いのに、双方の国民が互いに不信感を抱くのは不幸なことだ。云々」
はたしてそうでしょうか?
確かに一時期はシナ、朝鮮の文化の影響を受けました。
しかし、それらのすべてを先人が受け入れたわけではなく、古代日本から連綿と続く神話や価値観、文化、国民性、習慣、習俗をみればわが国は一国一文明であり、答えは「否」です。
「怨」「恨」のお国柄の朝鮮、「疑」「詐満」の国シナ、「恩」「感謝」のお国柄のわが国、すべてに相容れるものがありません。 隣国、支那、朝鮮の文化と日本の文化は往古の昔より異なっていました。
食ですが、和食とは、わが国でなじみの深い食品を用い、日本の国土、風土の中で発達した伝統的な料理をいう和食といいます。和食は淡白で、できるかぎり自然をそのまま取り入れ、素材の味を損なわずに、旬を大切にし、自然の恵みを楽しみます。
また和食は食事の席にあって欧米と違い刃物(ナイフ・フォーク、包丁)を使用することもありません。
特に精進料理は、『不殺生戒』により、肉や魚など、追いかけると逃げる食材は避け、だしは昆布と干ししいたけ。煮干しやかつお節は使いません。
支那や、西洋の料理は、人の手が加わりすぎています。
インド料理も素材の味を、そのまま活かすことがなく、東アジア料理も、強い香辛料が売りです。
漢字で「家」を漢和辞典でひくと、ウ冠の屋根の下に、豕(ぶた)がいると説明していますが、これは人と豚が同居していたことを意味し、支那や台湾では墓、廟に豚の頭を丸ごとお供えします。
かって遣隋使、遣唐使の方々は多くの大陸の文化を受け入れましたが、生臭すぎて相容れなかったと思われます。
支那の紫禁城は故宮博物院として今日は多くの財宝が展示されていますが、台湾の故宮博物院と併せると相当数の財宝が見込まれますが、これらは支那の歴代皇帝が集めたコレクションです。
しかし、民とともに歩んだわが国の皇室に財宝はありません。
京都の京都御所、東京の宮城(皇居)にも金銀の光るものが1つもなく、しかし、気品が漂っています。
日本人の美意識は金銀のような光る華美なものを嫌い、ほのかな美しさやありのままの美しさや香りを好みました。
絶えず異民族の征服に怯え、侵攻に備え、盛者必衰を繰り返した支那、朝鮮の歴史。異民族の征服をうけることなく、世界最古の王朝「皇室」をいただき、世界最長の国であるわが国の先人たちは、人はどうあるべきかを考えてきました。神道、茶道、華道、歌道、剣道、柔道、合気道、すべて人としての道に繋がります。
また、「花道」とは活躍した人物が惜しまれて華々しく見送られることに使うほか、引退や退任が決まっている人の最後の仕事として、実績や評価を高められるような大仕事についても使われます。
神道では神前に、榊(さかき)を供えますが、榊はツバキ科の常緑樹で、清々(すがすが)しく光沢が美しい。
人として、自分をそのまま、自然に見せる。みずからを誇張することがなく、日本人は心の民として、つとめて自制することと、自然の清らかさを求めてきた民族です。
その民族性が求めた日本の美は細部にいたるまでゆるぎない美しさが漂っているのです。
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