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共同体の要としての水
生命の源としての水 日本人と水のかかわり
(『歴史読本』日本人シリーズ「事典日本人と水」)
稲作のため、必要不可欠なのが水である。農耕民族、しかも主として稲をつくり続けてきた日本人の生活は常に水との共存であったといえるであろう。
日本は、アジア・モンスーン地帯に属し、雨量が多い。地形的には川も多いので、水田をつくりやすいという条件がある。
その水を利用するため、堰や溜池、水路などの灌概施設をつくるのも農民の仕事である。
『古事記』には、須佐之男命が天照大御神の田のあぜを切り離し、その溝を埋めるという乱暴をはたらくとある。これを読むと、古代に灌概用水をもっていたことがこの神話の中に投影していることがわかり興味深い。灌概施設をつくるのは、とてもひとりの力でできるものではない。そこで、同じ水をつかう人々が集まって、水田に水を引くために共同作業が必要になってくる。また、日本列島は台風の影響下にあり、年によっては雨が少なかったりする。そのため、洪水やひでりなどの天災に対する共同防衛も重要な仕事となる。そうした同じ川の水を使うという気持ちから、水源に沿って農村共同体が生まれてくるのである。
農村共同体の中心となる仕事は、水源から水利を管理し、必要な水を確保することであった。
明治以後は水利組合、昔でいえば水利権といって、水争いを防ぐために、共同体には水長という長がいて、水の分配を管理していた。水という共同使用を通してひとつの農村がまとまっていたのである。そこには、個人が勝手に水を引たり、仕事をすることができない掟がある。個人より農村共同体を維持していくことに重きが置かれていたため、
農民個入はいつも村という組織に気を配りながら暮らしていかなければならなかった。
隣村意識というのも、水が結ぶ共同意識である。川上の村と川下の村が、水利権をめぐって争うことはよくあった。お互い死活問題にかかわるので、なかなか水に流して仲良くはなれなかったため、絶交したり、けんかしたりと、争いが絶えなかった。死傷者を出すまでの悲劇が起こったこともある。これが"水争い"である。特にひでりのときは深刻な問題となる。そんな悲劇を避けるため、話し合いが行なわれ、少ない水をうまく平等に使おうと、ふだんから村同士が擬制共同体を形成して助け合っていく方法をとるようになった。それが隣村意識を育てていく。
ここには、わだかまりは水に流して結束を強めることで問題を解決しようとする思想がある。対立は、時問と労力の無駄である。和の精神でまとまることで共同体の運営もはかどるのであった。
封建社会の為政者は、このような農村共同体をうまく利用して支配していく。土地の支配者は灌概用水の開発、洪水の防止に力をそそぎ、農村に水の確保と管理の権利を与えて、農民が平等に水を得られるようにと配慮してきた。
水利権で争う村同士の調停役も務めてきた。なぜなら、それは農民のためというより、自分たちの食料や財産を確保するための重要な任務だったのである。そのうえで、水によって一つにまとまっている共同体は、為政者にとって把握しやすく、支配しやすい利点があった。だが、農民一接を起こすときは、共同体のパワーが爆発し、為政者を手こずらせることになる。一僕はいつも川筋に起こる。これも同じ川、同じ灌激用水を使用する村の共同体意識が強い
ためである。このように見てみると、農村共同体がいかに水によって結ばれていたかわかるであろう。これは、水をうまく使わないと生きていけなかった水田耕作者の宿命である。
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