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写真は巨大な水工場の上部の崩壊地
森林と水資源
(『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
参考までに書き添えておくと、農林省林業試験場の有水氏は、表土が乾燥しつづけると植物もまた地下水を吸い上げる活動を自ら抑制し、吸い上げる水の量はほとんどゼロに近い状態にまで減少すること、一方そのていどに乾燥した土壌は、地下水面から水の供給を得る機能も持たたくたること、従って地下水が土壌へ、土壌から植物または地表へという土壌中の水分の運動は、ほとんど停止された状態になることを論証している。(「森林の水源湧養機能」、水利科学研究所『森林の公益的機能計量化調査報告書』所収) (『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
森林機能の分業化(『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
私たちはいまになって、人問が山然の力を借りて生きることを放棄したことの重大な意味を、かみしめねばならなくなっている。おそらくこの社会が犯した最も大きた誤算は、水に対する考えかただったにちがいない。水を自然から切り離して扱おうとした堤防万能主義、ダム万能主義によって、水はいよいよこの国土に足りなく、一方ではいよいよ暴れ回るようになってしまった。
人間がこの国土に住みついてからこのかた、つねにその力を借りて生きてきた森林という自然の偉大な働き手を、なぜこの社会は拒否してしまったのだろう。
森林は水を貯え、水源を涵養する。森林はまた土砂の流出を防ぎ、山崩れやがけ崩れを防止してくれる。緑色植物が太陽エネルギーを用いて行なう光合成で、大気中の二酸化炭素と根から吸い上げる水とを植物有機物として固定すると同時に、その余った酸素を大気中に放出することはよく知られている。二億年もの間、その酸素供給者として働きつづけて来た陸上の主役もまた、森林だったのである。
森林は気批を調節してくれる(『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
森林は気批を調節してもくれる。森林の中は冬暖かく、夏は涼しい。真夏の日中束京の都心部の温度は舖装や人工熱汚染のため場所によっては50度を越えているが、皇居や公園の森林の中だけは水面と変わらぬ気温を保っている。風を防ぐため設置された防風林は、同時に豪雪や濃霧からも土地を守ってくれる。北海道旭川地方の水田地帯では、防風林が炎地を冷害から守っている。また帯広地方では、防風林は豪雪から道路や農地を守り、さらにオホーツク海沿岸では、春の季節風を防ぐばかりでなく濃霧をも防いでいる。防風林ひとつが、まさに一人何役もの仕事をつとめてくれている。(『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
森林は野鳥をはじめ野生の勅植物を保護し、彼らもまた森林に力を貸して、土壌という新たな自然の生産力を培っている。それら自然の森羅万象がとどこおりなくくりかえされてこそ、人間はこの地上に生存する権利を維持できる。森林はむろん木材も提供してくれる。それらどれ一つの機能を見ても、人間に必要不可欠のものばかりではなかったか。
もとよりこの社会が、自然の機能を全面的に不要としてきたとは必ずしもいえなかった。森林にその機能を発揮してもらい、人間がそれを利用したいがため設置された保安林という制度もあった。しかしそのような制度にあってさえ、保安林は森林法第二五条により11種類もの単一目的に分類され、実務上は実に17種類もの保安林に分けられて指定されている。水源涵養保安林、土砂流出防備保安林、土砂崩壊防備保安林、飛砂防備保安林、防風保安林、水害防備保安林、潮害防俄保安林、干害防備保安林、防雪保安林、防霧保安林、雪崩防止保安林、落石防止保安林、防火保安林、魚つき保安林、航行目標保安林、保険保安林、風致保安林などである。そしてその指定の理由が消減したときは、農林大臣は遅滞なくその部分につき保安林指定を解除しなければならないことが、森林法第二六条で定められている。
たとえば農地が宅地化したところでは、対象となるべき農作物がなくなったことにより防風保安林指定は解除される。ダムができれば、水源滴養の目的は消減したとして水源涵養保安林の指定は解除される。まさに、降った雨はいま直ちにそっくり欲しいとする水思想の体制であった。
防風林は農地を守るばかりでなく、毎日の学校通学の道を守り、その地域住民の日常生活のすべてを風から守っていたはずであった。さらに瓜を防ぐ以外にも気温を和らげ水源を涵養し、木材も生産し、すでにその地域の自然環境の一部としてはかり知れない役割を果たしていたはずである。(富山和子氏著「北海道防風林の地元民感覚」、水利科学研究所『北海道の防風・防霧林』所収)
また水源涵養保安林とはいえ、水源を涵養することも土砂の流出を防ぐことも、土砂の崩壊を防ぐことも、本来一体のはずであった。たとえばダムが建設されたことにより水源涵養の必要性がなくなったとしても、指定が解除されて閉発が進められた場合、土砂は流出してダムを埋め、土砂崩壊という事態も起こる。人間が森林を失うのはこの際勝手だといえるけれども、それによってダムを失い、目的とする水までも失うのである。しかも、あのバィオソト・ダムの大惨事の教訓もある。
この社会が自然に対して捧げた最大の善恵である保安林制度にして、このような森林機能の分業化、自然を無機化する発想をもってのぞんでいたわけである。まして他のあらゆるとき、あらゆる場合に自然が無機化して扱われ、やがて姿を消Lていくことになったのも当然といえた。(『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
今日では緑が欲しいと叫ぶ団地の主婦の中にさえ、「でも落葉は困るのです」と本気で発言する者もいる。事実、多くの場合住宅地の緑化には落葉樹が敬遠されている。落葉樹は緑豊かな都市を設計するために街賂樹の本数をふやすことは考えても、周囲を舖装で固めてしまうことに抵抗を抱かない。蝶々は欲しいが毛虫は困る式のこの発想、埃や虫を毛嫌いして自然から自己に郁合のよいものだけを引き出そうとするこうした発想の中から、あの「公害に強い木」も誕生したのである。森林法が制定されたのは明治三十年、あたかも河川法が制定された翌年のことであった。
(『水と森と土』「伝統捨てた社会の行方」富山和子氏著 中央新書 一部加筆)
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