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素堂に関する記述 7)『山口素堂の研究』
…荻野清氏著。『国語・国文学』 昭和七年一月号。
 
山口素堂、名は信章、字は子晋又公商、通称勘(官)兵衛(太郎兵衛・松兵衛・佐兵衛・太郎兵衛等の異説あり、今一般の呼称に従ふ)素堂は素仙堂の略と云ふ(連俳睦百韵)。別號として来雪、松子等を稱した。尚来雨の號があったと『連俳睦百韵』はいってゐるが、之は明かではない。彼は、又茶道に於ける號として今日庵・其日庵を稱している。
 一、生涯
 山口家はその祖山口勘助良侫(蒲生家の家臣)以来、甲斐国北巨摩郡教来石山口に土着した郷士であった素堂は、その家の長子として寛永十九年五月五日(一説に正月四日)に生まれたのである。   
 即ち、芭蕉に先んずる事二年であった。かれは幼名を、『甲斐国誌』(志)に依れば、重五郎といひ、長じて家名市右衛門を継いでゐる。暫くして、家督を弟に譲り、勘兵衛と改名して上京した。 
山口家は後年甲府に移住したのであるが、それは恐らく、素堂の少年時代であったらうと思われる。
山口家は、甲府に於て魚町西側に本宅を構え、酒造業を営み巨富を擁し、(功刀亀内氏蔵   『写本酒之書付』及び『貞享上下府中甲府細見』に依る)
 『甲斐国誌』(志)にも「家頗る富み時の人山口殿と稱せり」と記すが如く、時人の尊敬を亭けたのであった。かゝる正しき家柄と、巨富ある家に、幼少年期を過ごした素堂は、必ずや端厳且つ    おっとりした気風を持って長じた事と思はれる。
 とかくして、彼は、江戸に遊学のために出づる事になった。その時期は、勿論明確な事は云へないが、先づ寛文初年廿歳頃と推測される。(以下略)
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