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白州歴史上の人物〔白須氏 白州町白須〕 角川日本姓氏歴史人物大辞典10山梨県

自須 しらす 白洲・白数とも書く。巨摩郡白須之郷(白州町)発祥の族は清和源氏義光流武田氏族という。『武田系図』1に「甲斐守信長-信綱-時信-貞信(白須次郎)」とみえる。『太平記』によれば観応三年三月足利尊氏が武蔵府中で新田義貞と戦ったときに、武田信武以下甲斐の諸将が信武に従って尊氏方として参陣したが、そのうちの一人に白洲上野守がみえる。
『一蓮寺過去帳』に白洲蔵人がみえ、長禄元年一二月武田一門と跡部氏が戦った小河原合戦で討死したとある。
『甲斐国志』には、岩殿の円通寺(大月市)棟札に白洲信重、巨摩郡宮原村(甲府市)の鎌田八幡宮の天文五年の棟札に檀那中島(河東中島、昭和町)の住人白須神左衛門の名がみえる。また、天正三年の長篠の戦では、武田信豊の配下に白須又市がおり、子の平次は武田信勝の小姓であった。平次
は『甲斐国志』所収の「武家盛衰記」によれは、武田氏滅亡後徳川家康の小姓として仕えたが、ほかの小姓衆と口論して家康のもとを離れて稲葉道通に仕えた。白須又兵衛となのり、のち豊後臼杵藩主稲葉家の家臣として続いた。(この系譜が白洲次郎氏に繋がる)
『寛政譜』には幕臣として白須十兵衛道政を祖とする二家があり、白須貞信の後喬という。道政系は一、〇五〇石取りの旗本であった。天正起請文には廿人衆のうちに自須伝兵衛がみえる。
また、甲斐にはもう一つ別系の白須氏がある。『下吉田村落史』所収の『白須家系図』によれば清和源氏満仲流を称し、武田信玄の重臣馬場信房の子政信が都留郡下吉田村(富士吉田市)の新屋敷に居住して白須平太郎となのり天正一七年に死去、子には政豊(小太郎)・政春(小治郎)がおり、母は小林和泉守の娘であった。政春の子弥左衛門は下吉田村の名主職をつとめ、弟の白須小兵衛の子は渡辺家の祖となった。『峡中家歴鑑』に載る南都留郡瑞穂村吉田(富士吉田市)の白須孝一家の先祖は白須刑部少輔政義であるが、遠祖については、多田満仲五代の子孫という兵庫頭仲政が馬場を称し孫の中宮少左衛門尉兼綱が白須郷に来住したのがはじめで、政義はその子孫で白須に在住した馬場信房の次男で、分家して瑞穂村吉田に移り白須をなのったといい、武田晴信・勝頼に仕えたのち、徳川氏に従い小田原合戦で戦死したと伝える。県内二六〇戸。冨士吉田市に多い。【割菱・丸に違い鷹の羽・亀甲の内輪違い】

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なんか良い山梨県。

2009/12/23(水) 午後 9:13 [ と゛ら☆ ]

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なんか良い山梨県。

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白州にきたらよってください

2009/12/29(火) 午前 7:09 [ 白州ほっと情報局 水と森と人 ]

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