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これは決して卑猥のものでなく すべての根源を男性のシンボルに求めた 素朴の民間信仰です。 現在もあることが田舎の良さです
道祖神、八百万の神々をもとにする倭国古来からの貴重な神。 お地蔵さまも然り。 繁栄と地鎮と。 建立の願いを見極めて拝まなければ日本の神は 怖い鬼にもなるし涙もこぼすのですよね。 子孫繁栄も素朴な本能的願いですよね。 水と森と人のかかわりについて知りたいことがあります。 ちょっと内容はかけ離れるかもしれませんが、トラックバックさせていただきますので、「石」のあつかいについての日本民族性の、ご存知のことを感想をお知らせいただけたら幸いです。
2009/11/18(水) 午前 11:26 [ - ]
石は私の知るところでは旧石器いや人類誕生ときから普遍的に人類の生活に役立ってきたものと思われます。それは古代から古墳平安と人が滅すると石柩に埋葬された時代もあります。石と人のかかわりはその地域の独自文化と重なり、地蔵信仰 石尊信仰 それに身代わり信仰と進んだのではないのでしょうか。長野県安曇野地方に見られる相対(男女)道祖神などは、中には性行為そのものを描写したものもあります。また古くは東京不忍池周辺にも立派なものがありました。縄文時代では食料の確保から料理用道具それに石焼く料理にも利用されたようです。私たちの子供のころは石ながけ合戦などがあり、今なら即中止の遊びも危険と同居しながら存在したのです。石についての神秘性や私の周辺の石と民俗については調べておいて、このページに記載したいと思います。水と森と人それに天然素材の石は人々の生活に潤いと活力を与えてくれます。
2009/11/18(水) 午前 11:47 [ 白州ほっと情報局 水と森と人 ]
ありがとうございます。 地鎮祭にしても、お地蔵様も、基本的に現世の民族、村人の繁栄を 繋げるためであり、鎮めるものは、その根幹を覆す怨霊を封じるもので、それを故意にこじ開ける人間は罰が当たるというのは、八百万の神を鬼とも表現している鬼子母神にあるように、八百万の象徴は鬼であり神であるから、心して自然に背くなという教えにあるのだと考えていました。また、水と森と人のはなしを書いてください。
2009/11/18(水) 午後 0:10 [ - ]
地域の信仰心はおおらかで気楽なものでした。最近の祭りは祭りのための祭りが多くなってきています。信仰は小さな草や木にたいしても信仰心はありました。地域の信仰とは伝承や伝説を産んで、これからも薄れながらも続いていきます。少し気楽になってものを見て触れると、石の持つ呼吸が同化します。私は須玉町海岸寺の百態の表情を持つ石彫刻が好きでその都度出かけます。ほっとできる瞬間が私の信仰心ですし、石工の想いが伝わってきます。
2009/11/18(水) 午後 0:40 [ 白州ほっと情報局 水と森と人 ]
道路が活発に出来た近代化時代になっても、伝説はあります。 これも、いいことをしているのに神様はなんで?と悲しくなるような 合点のいかぬお話でありますが、日本やアジアは何故か、切ないやら悲しいやらの いい伝えが各地方で、さまざまあります。 この、「身代わり石になった鷲」は、近代化の村の交通事故のお話です。 身代わり石というと、戦国時代は当主や姫を守って石になって代りに矢を受けて人を助ける話が多く、 恋愛沙汰の身代わり死や、10歳までの無邪気な子供を無条件で守るが
2009/11/18(水) 午前 11:28 [ 優しさレスキュー ]
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道祖神、八百万の神々をもとにする倭国古来からの貴重な神。
お地蔵さまも然り。
繁栄と地鎮と。 建立の願いを見極めて拝まなければ日本の神は
怖い鬼にもなるし涙もこぼすのですよね。
子孫繁栄も素朴な本能的願いですよね。
水と森と人のかかわりについて知りたいことがあります。
ちょっと内容はかけ離れるかもしれませんが、トラックバックさせていただきますので、「石」のあつかいについての日本民族性の、ご存知のことを感想をお知らせいただけたら幸いです。
2009/11/18(水) 午前 11:26 [ - ]
石は私の知るところでは旧石器いや人類誕生ときから普遍的に人類の生活に役立ってきたものと思われます。それは古代から古墳平安と人が滅すると石柩に埋葬された時代もあります。石と人のかかわりはその地域の独自文化と重なり、地蔵信仰 石尊信仰 それに身代わり信仰と進んだのではないのでしょうか。長野県安曇野地方に見られる相対(男女)道祖神などは、中には性行為そのものを描写したものもあります。また古くは東京不忍池周辺にも立派なものがありました。縄文時代では食料の確保から料理用道具それに石焼く料理にも利用されたようです。私たちの子供のころは石ながけ合戦などがあり、今なら即中止の遊びも危険と同居しながら存在したのです。石についての神秘性や私の周辺の石と民俗については調べておいて、このページに記載したいと思います。水と森と人それに天然素材の石は人々の生活に潤いと活力を与えてくれます。
2009/11/18(水) 午前 11:47 [ 白州ほっと情報局 水と森と人 ]
ありがとうございます。
地鎮祭にしても、お地蔵様も、基本的に現世の民族、村人の繁栄を
繋げるためであり、鎮めるものは、その根幹を覆す怨霊を封じるもので、それを故意にこじ開ける人間は罰が当たるというのは、八百万の神を鬼とも表現している鬼子母神にあるように、八百万の象徴は鬼であり神であるから、心して自然に背くなという教えにあるのだと考えていました。また、水と森と人のはなしを書いてください。
2009/11/18(水) 午後 0:10 [ - ]
地域の信仰心はおおらかで気楽なものでした。最近の祭りは祭りのための祭りが多くなってきています。信仰は小さな草や木にたいしても信仰心はありました。地域の信仰とは伝承や伝説を産んで、これからも薄れながらも続いていきます。少し気楽になってものを見て触れると、石の持つ呼吸が同化します。私は須玉町海岸寺の百態の表情を持つ石彫刻が好きでその都度出かけます。ほっとできる瞬間が私の信仰心ですし、石工の想いが伝わってきます。
2009/11/18(水) 午後 0:40 [ 白州ほっと情報局 水と森と人 ]