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素堂52才元禄六年(1693)『歳朝雪』解説、「俳人書画」
晦朔循環同不同 蛤之始意雀之終
乾坤湧出新年雪 寒暖未分嚢欝風
解説…
歳月は循環していて、一見同じように思えるが、そうではない。例えば、秋九月には雀が群れをなして海中に入り、蛤に成り変わると『礼記』などに伝えるとおりだ。今、この天地に新年の雪が真っ白に、いかにも湧き出したかのように降り積もっている。春になったばかりの季節の変わり目にも天も地上に寒暖いずれの属を吹き送ったらよいのか、いささか決めかねているようだ。
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元禄五年(1692)『芭蕉書簡』素堂宛
此間御話申置侯通、勧学院古硯之銘、足下其角、愚老三人との一軸に認ほしき由、一両日に御書可被
下候。且又京都御霊神小栗楢(おぐるす)大炊頭七十之賀是は御詩作頼侯。兼而御存のごとく御醍大
臣様御門弟に而和歌も出来申侯。委は拝顔期候。
廿四日 芭蕉庵
素堂先生
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元禄五年(1692)『俳林一字幽蘭集』水間沾徳編。(原文は漢文)口語訳
沾徳水子嘗て俳優の旬を好みて、遂にこれを業とす。ちかごろ一字幽蘭集を撰ぎて余に説を求む。夫
れ幽蘭なるは、まさにこれを離騒に取りて文を除き蘭長ずるの意なり。
我聞く楚客の三十畝もことに少となさず芳一かんば一せを千歳に余すといえども、未だ梅をわするる
の怨み無きこと能はず。その集や筆を性の一字に起こして情心・忠孝・仁礼・儀智・姶終・本来等総
て百字の題を掲げ、以て花木・芳草・鳴禽・吟中四序、当に幽賞すべき風物を伴び載せてこれをわす
れず。何ぞ怨有らんや。又その集の従て来る所を多づぬるに、前の岩城の城主風虎公撰したまう所の
「夜ノ錦」「桜川」「信太ノ浮嶋」此の三部の集、世に行なはれざるを愁いてなり。乃ち苹して彼の
三部の集より若干の句を抜きてこれを副るに、古風いまようすがたの中、その花の視るべきして其の
実食すべき者の□くこれを拾ひ、これを纂め以てその左に倭歌漢文(やまとうた・からぶみ)を引證
して風雅の媒と為す。是れ編める者の微意なり。以て愛(めで)つべし。是れにより夜ノ錦、夜の錦
ならず浮嶋も所を定め、桜川も猶春に逢ふがごとし。然といへども人の心面(おもて)の如くにて一
ならず。或は自ら是とし他を非なりと誘る説を為す。誰かその眞非眞是を知らん。各是非の間を出で
ざるのみ。しかのみならず世人多く新古の弁を費やす。これ何の意ぞや。想ふに、夫れ天地の道変
(うつりかわり)以て常とし、俳の風体も亦これに然り、寒きに附き熱に離(さか)る時の勢ひ、自
ら然ることを期せずして然る者なり。強いて論ずべからず。沾徳水子その趣きを知る人なり。
これが為に素堂書す 佐々木文山(書家)写し
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元禄五年(1692)『三日月日記』
我が友芭蕉の翁、月にふけりて、いつともわかぬものから、ことに秋をわたりて、求なし。あるとき
は敦賀の津にありて、越の海にさまよひ、其のさきの秋は、石山の高根にしはし庵をむすひて、琵琶
湖の月を詠し、二とせ三とせをへたてて、此郷の秋と共にあふなるへし。文月のはしめは、蚊にふさ
きも静ならす、玉祭頃はこれにかかつらひ、在明のころの下絃のころも、雨のさはりのみにして、初
秋は暮れぬ。なかの秋にいたりて、はつ月のはつかなる日より、夜毎に文月のおもひなし、くもりみ
はれみ、扇をおほふことまれ也。我庵をちかきわたりなれは、月にふたり隠者の市なさんと、みつか
ら申つることくさも古めきて、入くる人々にも句をすすむることになりぬ。むかしより隠の実あり て、名の世にあらはるること、月のこころなるへし。我身くもれと、すてられし西行たに、かくれは てす、人のよふにまかせて、僧正とあふかれたまふも、なお風流のためしならずや。此翁のかくれ家 もかならず隣ありと、名もまたよふにまかせらるへし。
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元禄五年(1692)『素堂母喜寿の賀』
素堂の母、七十あまり七としの秋七月七日にことぶきす、万葉の七種をもて題とす。これにつらなる
七人この結縁にふれて各また七望のよはひにならはむ。
七株の萩の千本や星の秋 芭蕉
織姫に老の花ある尾花かな 嵐蘭
市に煮て余りをさかふ葛の花 沾徳
動きなき岩撫子や星の床 曽良
けふ星の賀にあふ花や女郎花 杉風
蘭の香にはなひ侍らん星の妻 其角
むかし此日家隆卿、七そじなゾのと詠じ給ふは、みづから祝ふなるべし。今我母のよはひのあひにあ
ふ事をことぶきて、猶九そじあまり九つの重陽をも、かさねまほしくおもふ事しかなり。
めでたさや星の一夜も朝顔も 素堂
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