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白州歴史講座 〔甲州街道古道の推定〕「白州町誌」

○小武川橋東二〇〇メートルから小武川橋まで昭和三十四年八月の台風七号により小武川橋が流失したため旧道の西側に新道がでたため廃道となる(距離約二〇〇皿)。

○小武川西詰から黒沢川東一〇〇メートルまで宮脇の元道祖神場から右に折れ、小沢幸一裏に出る道が旧甲州街道といわれている。その後現在の公民館の前を通っていたが、昭和初年さらに西に移って現在の国道二〇号線となった。旧道はいま農道となっている(小沢幸一氏談、距離約二〇〇m)。

○牧の原下から牧の原上まで牧の原は商店街として栄え、近江屋、つる屋などの旅館もあったが、台風七号のため全部流出し、今の国道二〇号線は旧街道の西にバイパス的につくられた。牧の原、宮脇は旧街道に沿った集落である。

○牧の原上から新開地まで昭和初年に柳沢日野春線が三吹地内を通じ、国道と十字交叉したため武川銀座といわれるように商店街として発展した。昭和三十四年の七号台風によりすっかり流出したため、大武川橋が旧道より西に寄って架橋されたため、旧道は行きづまりとなっている。

○下三吹下から上三吹上まで三吹村には上組と下組とあり、台ケ原宿の加宿であった。下組は大武川寄りの集落であったが、享保十三年の大水害によって流失し、現在の高台に移った。

○尾白川橋より台ケ原下宿まで国道から岐れて日野に至る道の釜無川に架る橋を花水橋というが、旧花水橋は今の橋より少し下流にあった。
旧甲州街道は、この道と合し、通称中背、横山の西側、尾白川に沿って台ケ原下宿に通じていた。この問に馬頭観音の石碑に道標があり「右かうふ(甲府)みち、左はらみち(原道)」と刻してある。また道筋には石仏も数多く残されている。今の二〇号線は北に寄り「新道坂」とも呼ばれている。旧道は約一キロメートル、今は農道となっている。

○台ケ原下宿より神宮川橋まで台ケ原は宿駅として本陣、脇本陣、問屋が置かれ、宿屋も拾数軒を数え、今もその屋号がのこっている。旧菅原村は甲州街道に沿って発達した集落で、今の国道二〇号線はバイパス的なものである。この問約四キロメートルであるが、「赤坂」と呼ぶ急峻な坂道や久保町という道が上下するところがあり車馬は難儀が多かった。それでこの附近には石仏も多い。

○神宮川橋から国界橋までここは旧鳳来村で、松原、荒田、教来石下・上を通り山口の口留番所に至っている。集落はこの道に沿って発達し、下教来石には宿場があった。その宿場の入口は金手に曲っている。

○国界橋いまの国道二〇号線の国界橋の西、山ぎわに旧国界橋がある。いまある木橋は写真のとおりで、これは昭和四年十一月竣工したものである。天保年中は投渡土橋で長さ七間、幅一間で、その普請は上教来石村と下蔦木村半々ずつで致す仕来りであった。

白州の歴史講座 台ケ原宿 台ケ原宿人馬勤方ニ付宿中連印一札
《解説》
甲州道中の宿駅では二十五人、二十五匹の人馬を常備して宿継ぎ業務にあたったが、台ケ原宿では人馬役を勤めることが負担となり、宿中で高割、間口割で役金を拠出して伝馬役を勤めた者に渡す方法を定めた一札書である。

(表紙)「安永八亥年(1779)御伝馬一件定書帳四月問屋」
差上申一札之事

一、
台ケ原宿人馬勤方猥ニ罷成、其上段々出入有之、宿中困窮仕候所、去六酉年(1776)者(は)御代官様御慈悲之御制法を以加宿出入内済仕、助郷村々迄人馬勤方等相定、村割合勘定之儀も是又内済之上、宿役人馬勤方甲乙無之様去戌年吉役金相定、惣高間口半金宛相懸、扱亦宿役勤難者ハ随役金と唱出金出し、人馬相勤候者江請取候、然所ニ此度宿役人並ニ馬持
惣代人足惣代共、右役金其外勤方之儀ニ付願出候間、銘々御役所江御呼出御吟味可被仰付候処ニ、左候ては大勢之者雑用相懸リ候儀ニ付当宿江罷越被成、御吟味之上利害被仰聞銘々納得候趣左ニ申上候、
一、
当亥右役金二拾両二分定式ニ相極、惣高間ロニ半金宛割懸、随役金人足持ハ金弐朱、馬持ハ金壱分ニ相定、別帳連印致問屋江相渡、問屋右写を以奉差上候通リ、宿役馬三拾七疋・人足三拾八人ニ而割取可申事、

惣家数九拾四軒之内七拾六軒ハ宿役相勤、残リ拾八軒之内拾軒ハ随役金差出、其外平吉・伊右衛門・新七・幸蔵・甚五左衛門.又七.新五右衛門・松之丞八人之儀ハ親夫相果、後家子共或ハ重病人ニ而当日難渋困窮之者ニ付、宿中相談之上随役金用捨致候事、

一、
随役差出候拾軒之内、源右衛門儀ハ先祖着鍛冶職相勤、鍛冶村と唱候枝郷有之程之由緒有之候ニ付、先々より宿役相勤候儀無之候へ共、村高所持宿内住居仕、屋敷高免許等も無之職分由緒ニ不抱、持高宿並を以役金差出可申旨相極候、源蔵・仁右衛門儀ハ当年奉公相勤候得とも、勝手を以奉公致候様ニてハ、右類之者出来致宿役勤候者相減之間、当年計リ随役金差出、来ル子年(1780)右奉公不仕宿役相勤侯積リ相極候、其外随役之者ハ老人或ハ後家くらしニ而罷有候ニ付、勤役相成侯様相続致候迄ハ随役金差出可申候事、

一、
寺社方之儀ハ宿ニ不抱者ニ付、所持高役金差出し難旨申達候所、此度御吟味ニ付宿役を以高役免許有之候村高江掛候儀ニ付、高当リ之分出金致へき旨書付差出候上ハ、無差支役金割合仕可申事、
一、
助郷人馬触当候ても減少いたし差出之段申立候ニ付、助郷村々御呼出被仰聞候ハ、問屋右触当候通リ人馬不差出候てハ御用差支、問屋致難儀候ニ付自然と人馬余慶(余計)ニ触出候様ニ相成、加宿出入内済致、以来人馬遣方狼無之候所ニ、又候助郷村六触当人馬減少いたし差出候てハ、其分見込問屋より触当候様ニ成行、触当之通リ人馬差出候村ハ減少之見込丈不用ニ相成、難儀之基ニ相成候間、以来問屋より随分吟味致、可成丈本宿加宿ニ而相勤、無拠助郷触出候人馬決而不足不致差出可申旨、
横手村名主兵蔵
白須村杢兵衛・長百姓三郎左衛門右詰書差出、日野・片颪両村ハ他支配之儀ニ付問屋より申遣、目野村長百姓所左衛門・組頭武右衛門・片嵐村長百姓久左衛門・組頭三七罷出、御理害之趣承知仕、以来触人馬柳不足無之様差出可申旨申上侯ハ、右ニ付問屋御頼筋無御座候、且又問屋「日〆帳」見届之上印形可致旨問屋申立候処、助郷村々存寄無之候得ハ、見届ニも不及段申之侯得共、「日〆帳」見届之印形無之候てハ、道中御奉行所様者被仰渡儀候段申立、廻状を以助郷村々相触候様致度候、見届ニ不及下札いたし順達可仕旨申上候間、其段双方江被仰渡侯、去「日〆帳」ニ見届印形致候様間屋強而願度侯ハ、御役所江可申出旨被仰渡候、
右ハ此度為御吟味御越被成、老人後家幼少之者ハ昼之内村役人召連罷出、御尋之上御理害被仰聞候、宿役人馬相勤候者農行ニ罷出候老ハ夜分御呼出、宿中不残御糺之上銘々願之趣一々心儘ニ申上、御理害被仰聞、前書之通リ宿中井寺社共ニ和談納得仕候、誠ニ御代官様御慈悲を以御出役有之、銘々身持倹約以来取締等迄精々被仰聞、存詰候儀共委細申上候、一同納得仕候上ハ以来宿中睦敷(なかむつまじく)仕御用大切ニ相勤、銘々家業相励永相続可仕重々難有奉存候、依之宿中連印差上申所何而如什、
亥(1779)四月


一、
台ケ原宿人馬役金、去戌年金拾五両ニ相定、半金ハ惣高、半金ハ間口割懸、人馬勤候老請取申侯処、右金高ニ而人馬勤方難儀致候ニ付、此度宿中相談ヲ以当年着役金弐拾両弐分二相定、内拾両弐分ハ馬持ニ割取、拾両ハ人足役之もの割取、人馬共々御役儀急度相勤可申候、此度相極侯金弐拾両弐分定式仕可申候、此馬役難儀成候歟人足役難儀仕候ハバ、宿役人詮儀之上右定式金高内人馬難儀之方江相増可申侯、宿中評儀を以相定候上ハ以来決而違背申間敷候(もうしまじきそうろう)、右役金割金之儀ハ金方多キニ付月眼リ高間口半金ズツ名主より割渡、人馬共ニ勤候者順番ニ為取立、名主問屋吉相渡可申候、尤随役致候者ハ左之通役金差出可申候、
且又宿役相勤リ候ハ、役人中より被申付候、又ハ休役願候節ハ人馬勤候者より宿役人中より其段申達、随役金差出休候様可致候、万一我意を以随役致候歟、勤兼候者江難渋を申掛ヶ候ハバ、宿役人申可被遂吟味候、依之人足役馬役之老此帳面書記印彩致、左之人馬数ニ而急度相勤可申候、扨又馬持候者馬持兼候ハバ、人足役相勤可申候、人足役之者馬買求候ハバ、馬役相勤可申候、後日違変無之ため定害価而如件、
安永八年亥四月

定書
一、
当宿御伝馬御役儀勤方之儀ハ、先年より馬持候ものハ馬役相勤、馬無之ものハ歩行役相勤、勝手次第之勤方ニ付宿中困窮至極仕、御伝馬御役儀相勤リ不申候ニ付、此度相談仕候義ハ、御伝馬御役儀人馬御定通、馬弐拾五疋・人足弐拾五人を役金と相定、壱人ニ付何程宛ト相定メ、右役金高之内五分ハ高割合、五分ハ宿中間口割合、右役金急度差出し可申候、然ル上ハ宿中小前百姓之助ニも相成可申候ニ付、如斯相定申候上ハ、得心之もの村役人を始宿中ニても此相談之通永共違変中間敷侯、右役金之儀ハ御役儀相勤申侯人馬ニ割合可申侯事、
一、
御伝馬役金儀ハ其年次ニ相定、右定之通ニ割合仕急度差出可申候、万一身上不如意ニ付右役金出シ兼候ものハ、表大戸間口〆裏江引込可申候、
附間屋之儀ハ格別之事、
一、
御先触之義ハ、先例之通家別ニ持運相勤可申候、
一、
往還掛リ夫銭之義ハ、附出金ヲ加江而高割合ニ仕差出可申候、
右之通宿中得心仕相定申候間、違変之儀申間敷候、依之宿中連印定書如件、
安永七年戌正月(甲州文庫史料)

何回か読めば理解できます。それでは


困窮する宿場〔台ケ原・教来石両宿拝借金願書 天明三卯年(1783)

乍恐以書付奉願上候(おそれながら書付をもって願い奉りそうろう)
《解説》
甲州道中は明和年間ころより交通が繁しくなって宿方の負担が増した。そこで教来石宿と台ヶ原宿では三百両ずつの拝借金を十ヶ年賦返済で道中奉行に申請した願書である。また宿場の運営には当宿場以外近隣町村の援助を受けていた(助郷)。

中井清太夫御代官所、甲州道中甲州巨摩郡台ヶ原宿間屋太郎兵衛・同郡教来石宿問屋惣右衛門一同奉申上候、台ヶ原宿高新田共四百五石余、教来石宿高同断三百五拾右余ニ而両宿前後ニ釜無川と申甲州信州両国之境川在之、至而山中谷合之宿方毎年九月より馬雪降積、三月下旬ニ漸々雪解、四月吉八月迄重もニ耕作仕、一躰信州同様寒強旧畑共旬後レニ仕付致候事故、諸作実法悪敷(実り悪しき)、年六取劣及困窮罷在、其上前々ハ信州諏訪・高遠・飯田三ヶ所之御大名様並び御家中斗御通行有之、其余御通行ハ稀之儀ニ御座候処、明和年中(1764〜1772)より中国西国筋御用御通行並び諸御家中方御通行在之、年増夥敷人馬相立、宿方井助郷村々迄も困窮相募、既四年巳前子年宿共惣代を以人馬賃割増被仰付被下置候様御願申上候得共、容易ニ御取用難被遊旨ニ而帰村被仰付、無拠種々艱難之手段を以是迄ヶ成ニも取続罷在候得共、当七月中信州浅間山砂吹出ツ(噴火)、中仙道筋往来差支候由ニ而甲州道中弥増御通行多、前々問屋役名主兼帯ニ相勤、問屋場役人之儀も両三人ニ而取賄相成候得共人馬立辻多、此節ニ至リ候而ハ問屋・年寄・帳付・馬差・人足差ニ至迄日々七八人ヅツ詰合取斗、右ニ准シ問屋場入用等相増、別而甲州道中一統と申内ニも外宿々と違ひ、前文申上候通私共両宿小高困窮所ニ而、助郷迚(とて)も纔(わずか)高千四五百石ツゝニ而山中谷合故、壱駄之御荷物ハ弐駄三駄仕分ヶ不申候而ハ御継立難相成、都而御荷物添人馬相掛候ニ付、壱人壱疋之賃銭勤人馬ニ割合候得ハ至而少分ニ相当リ、殊更釜無川橋落侯節ハ廻リ道等仕、草軽沓銭二も引足不申人馬共甚以難儀仕、剰信州境ニ而当夏中不時之寒風ニ而田方並び畑方共一向作物実法不申、皆損同前ニ罷成、小前之もの共夫食等ニも差支候程之仕合ニ而此上御往来人馬御取賄可仕方便尺果、眼前御通行御差支之程奉恐入候、
且亦外海道ニハ古来より人馬役扶助助成御利足金被下置、尚亦去ル午年已来七ヶ年之間、人馬賃御割増分利倍利足御手当として被下置候様奉承知候得共、私共宿方之儀も正徳年中(1711〜1716)迄ハ御拝借御手当等も度六被成下、弐拾五人弐拾五疋持続候得共其後御拝借等頂戴仕候儀ハ勿論、右躰何ニ而も助成物人馬江割合候儀無御座候間、ヶ様(かよう)ニ差詰候節馬飼料当惑仕、人馬可持続元立無御座、此庸罷在候而ハ伝馬役百姓難相立、無程退転仕候カ外無御座難儀至極奉存候、依之無是非今般罷下リ御歎奉申候、何分格別之御憐悪を以壱宿江御金三百両ヅツ返納拾ヶ年賦拝借被仰付、右御金
之内当時取続として金百両被下置、残金弐百両ハ御支配御役所ニ而御貸付之上、元金返納相済候ハバ年々御利足人馬役之もの江被下置、右御利足を以永久宿役相続仕候様被仰付被下置候ハバ広太之御救と難有仕合奉存候、以上
中井清太夫御代官所
甲州巨摩郡台ヶ原宿 問屋太郎兵衛
教来石宿      間屋惣右衛門
天明三卯年(1783)十一月
道中御奉行所様(甲州文庫史料)

白州町の伝統文化 芸能
台ケ原 虎頭の舞

獅子に代わって虎が舞を踊る貴重な民俗芸能「虎頭の舞」が台ヶ原には残されている。虎の舞は全国でも十一県二十七市町村にしか伝えられていないという。台ヶ原では明治初年頃にいったん途絶えたが、平成三年に台ヶ原宿虎頭の舞保存会が結成された。文化財指定はされていないが、地域のシンボルとして継承活動が進んでいる。
由来を知る文献などは残っていないが、地域にある田中荒尾神社について、文化年間(一八〇四-一八一八年)の甲斐国志は「祠側ニ虎石アリ、故二本村ニテハ獅子ヲ禁ジテ入レズ、正月十四日道祖神ノ祭リニモ虎舞ト名付ケテ他村ノ獅子トハ其ノ形異ナリ」と記しており、神社の本堂と石の祠には虎が彫り込まれ、境内にも虎石が祭られている。いわば虎の神様がいるかのごときの場所である。
かって台ヶ原で疫病、風水害、火災などの予防祈願をした際に、虎石に獅子頭を乗せたところ、それまで平穏であった集落内に災難が降りかかったことがあり、これが虎の頭による舞に改められた理由であったとの言い伝えもある。
現在の虎頭の舞は毎年九月二十二日の夜、田中荒尾神社祭礼の前夜祭として、虎頭を先頭に小太鼓の腱子にあわせて、舞手が台ヶ原宿の各家々を訪れ、勇壮な舞を披露する。
このほか、町指定文化財にもなっている横手の甲斐駒ヶ嶽神社代太神楽、下教来石の獅子舞と道祖神祭り、馬八節の三つも民俗芸能として貴重。
代太神楽は、大巳貴命他七柱を祭神とする駒ヶ嶽神社前宮に伝わる舞で、四月二十日の例大祭に奉納されている。家内安全、五穀豊穣を祈願するため三百年来続けられて来たが、昭和の初年社殿が改築されたのを機に、諏訪神楽(大和神楽)の流れをくむ円野町持久神社の伝授を受け、今日にいたっている。榔楽の次第は、「一祭場淡美」から「二十天之釦之命」まで、朝の神事に始まり夕刻納める。
竹宇の駒ヶ嶽神社と花水の白山神社でも、四月に神楽を奉納するが、内容は横手の駒ヶ嶽神社のものとほとんど同じである。
獅子舞は教来石地域の小正月行事として受け継がれてきた。御神楽獅子または女獅子とも呼ばれ、一般の獅子舞いと違ってもの静かで優雅である。
一月十四日の午前四時より、悪魔払い、初産児の無病息災、新婚夫婦の和合、新築家屋の安泰、その他一切の無障害を祈願して、集落内全戸を舞い歩く。舞いは本舞いと剣の舞いの二種類で、獅子役は和服に黒足袋をはき、獅子頭をつける。尾にあたる部分に同じく和服に黒足袋、おかめの面をつけた後舞いがつく。笛、太鼓、お難し方もすべて和服で統一されている。剣の舞いも服装は同じで、剣の御歌を皆で難す。道祖神祭りは、同日夜に道祖神に若者が集まり、御神体の石を奪い合いながら集落を練り歩く。
馬八節は道中歌・田植歌として親しまれていた。平安時代末期から戦国時代にかけて、武川筋一帯は、甲斐源氏が支配し、牧の里馬の産出地であった。武田家の臣、黒田八右衡門を父とし大坊村(白州町大坊)に生を受けた八兵衛(馬八)は、馬を好み、成人して馬子となった。彼は美声の持ち主で、毎日河原部村(韮崎市一まで荷物を馬で運び、白作の歌をうたった。街道の人々はその美声に聞き惚れ、いつしか道中歌・田植歌として広まっていった。馬八節は、七、五、五、七、四の詩型と独得のテンポ、リズムを持ち、最近まで峡北地方で盛んに歌われた。

『広報はくしゅう』〔平成7年(第350号)〕に見る白州町の歴史(昭和30年〜平成7年)

白州町は県下で一二十番目の町として誕生しました。
いま、四十年間を顧みると、めまぐるしく変動する社会情勢の中で、白州町を取り巻く環境も大きく変わってまいりました。人□の減少はあったものの、着実に発展をとげてまいりました。そして、新時代を踏まえ"未来を拓く心豊かな町づ<り"をすすめ、二十一世紀に向けてのさらなる躍進をめざしております。今後を展望しながら、町政四十年のあゆみを振り返ってみました。

◎合併当時の白州町
○一般会計当初予算額(昭和30年度) 2,981万8千円
○人口(昭和30年国調) 6,669人
○農家数(昭和33年センサス) 1,104戸
○工場数(昭和38年工業統計) 14事業所
○町道舗装率(昭和39年)0m

◎現在(平成7年当時)の白州町
○一般会言十当初予算額(平成7年度) 37億8,820万円
○人口(平成2年国調) 4,338人
○農家数(平成2年センサス) 747戸
○工場数(平成5年工業統計) 41事業所
○町道舖装率(平成6年) 63,604m

◎ 人口の推移
○昭和30年 6669人
○昭和35年 6667人
○昭和40年 5370人
○昭和45年 4747人
○昭和50年 4555人
○昭和55年 4421人
○昭和60年 4309人
○平成 2年 4338人。

白州町の簡略歴史(主に行政)

昭和五十年(一九七五)
○町営住宅十戸が横手地内に完成する。(三月)
○町制施行二十周年記念式典を挙行。(四月)
○町民憲章を制定する。(四月)
○大武川諸水橋が完成する。(四月)
○後期過疎地域振興計画がまとまる。(五月)
〇六代目町長に中山夏雄氏が就任する。一七月)
○国勢調査が実施される。人口は四千五百五十五人。(十月)

昭和五十一年(一九七六)
○神宮大橋が完成する。(二月)
○町議会議員選挙が行われる。臨時町議会で島口真氏が議長に就任する。(四月)
○村づくりモデル市町村に指定される。(十一月)

昭和五十二年(一九七七)
○鳳来・駒城・菅原小学校が統合され白州小学校になる。(四月)
○白州小学校が完成する。(五月)
○営農センターが完成する。(五月)
○納涼盆踊大会が開催される。(八月)
○農用地利用増進事業が開始される。(十二月)

昭和五十三年(一九七八)
〇三保育所が統合され町立白州保育所が完成する。(四月)
○花を育てる県民運動モデル町村に指定される。(五月)
○白州町農林業振興会連合会が設立される。(八月)

昭和五十四年(一九七九)
○青少年育成のための地域住民会議が開催される。(三月)
〇中学校の新校舎が完成する。(三月)
○広報無線放送施設が完成する。 (四月)
〇五つのミニ農場が完成する。(六月)
〇七代目町長に中山夏雄氏が就任する。(七月)
○農村婦人の家がオープンする。(七月)

昭和五十五年(一九八0)
○大武川集落でドンドやきが復活する。(一月)
○屋内運動場が完成する。(三月)
○町議会議員選挙が行われる。臨時議会で議長に井上善仁氏が就任する。(四月)
○農産物直売所がオープンされる。(七月)
○国勢調査が実施される。人口は四千四百二十一人。(十月)

昭和五十六年(一九八一)
○菅原簡易水道の水源を増設する。(四月)
○民俗資料館をオープンする。(五月)
○町営七丈小屋をオiプンする。(七月)
○台風十五号が襲来する。(八月)

昭和五十七年(一九八二)
○中学校にランチルームが完成する。(三月)
○峡北地区植樹祭が行われる。(四月)
○菅原地区にわい化りんご農場が誕生する。(五月)
○台風十号が襲来する。(七月)
○甲斐駒町営七丈小屋が完成する、(十一月)
▲台風10号による被害(昭和57年7月)

昭和五十八年(一九八三)
○新農業構造改善事業を導入する。(一月)
○「広報はくしゅう」が二百号記念。(一月)
○災害復旧工事が本格的に始まる。(一月)
○小学校にランチルームが完成する。(一月)
○町営住宅宮の上団地が完成する。(三月)
○粗大ゴミ処理施設が完成する。(四月)
○国土利用計画を策定する。(四月)
○臨時町議会で議長に細田敬三氏が就任する。(四月)
○八代目町長に中山夏雄氏が就任する。(七月)

昭和五十九年(一九八四)
○大武川地内の温泉ボーリング、三十三℃の湯が湧出。(二月)
○町議会議員選挙が行われる。臨時議会で議長に細田敬三氏が就任する。(四月)
○台ケ原根古屋地区から縄文時代の遺跡を発掘する。(六月)
○町杜会福祉協議会を法人化。(六月)
○かいじ国体の町実行委員会を設立する。(七月)
○県営圃場整備事業スタート。(十月)

昭和六十年(一九八五)
○町立診療所が改築される。(三月)
○尾白川が環境庁の名水百選に選ばれる。(四月)
○行政改革推進委員会を設置する。(五月)
○町制施行三十周年記念式典を挙行。(七月)
○町の花にシャクナゲ、町の鳥にカッコウが選定される。(七月)
○郡体育祭が本町で開催される。(七月)
○国勢調査が実施される。人口は四千三百九人。(十月)
○かいじ国体山岳競技リハーサル大会が開催される。(十一月)
▲名水百選に尾白川が選ばれる(昭和60年4月)

昭和六十一年(一九八六)
○町制施行三十周年記念事業として、「二十一世紀への手紙」のタイムカプセルを埋設する。(一月)
○町福祉会館が完成する。(三月)
○甲州街道台ケ原宿が建設省の日本の道百選に選定される。(八月)
○かいじ国体の山岳競技が本町を主会場地にて開催される。(十月)
○かいじ国体・山岳競技を開催(昭和61年10月)

昭和六十二年(一九八七)
○町総合会館が完成する。(六月)
〇九代目町長に井上善仁氏が就任する。(七月)

昭和六十三年(一九八八)
○ 尾白の森休憩施設が完成する。(二月)
○町議会議員選挙が行われる。臨時議会で山田利直氏が議長に就任する。(四月)

平成元年(一九八九)
〇十代目町長に堀内知幸氏が就任する。(一月)
○デイ・サービスセンターが完成する。(三月)
○農業委員会の委員選挙が行われる。(四月)

平成二年(一九九〇)
○消防防災無線の施設が完成する。(三月)
○定例議会で向井敏道氏が議長に就任する。(三月)
○町制施行三十五周年記念式典を挙行。(七月)
○皇太子殿下が甲斐駒ケ岳登山のため来町される。(七月)
○国勢調査が実施される。人口は四千三百三十八人。(十月)
▲皇太子殿下が甲斐駒を登山される(平成2年7月)

平成三年(一九九一)
○第三次町総合計画を策定する。(三月)
○「広報はくしゅう」が三百号を達成する。(五月)
○住民情報システムを導入する。(六月)
○県住宅供給公杜により白須団地が完成する。(十二月)

平成四年(一九九二)
○町議会議員選挙が行われる。臨時議会で議長に千野国雄氏が就任する。(四月)
○農業委員会の委員選挙が行われる。(四月)
○JA白州町のライスセンターが完成する。(九月)
○農業集落排水事業(白州第一地区)施設が完成する。(十月)

平成五年(一九九三)
〇十一代目町長に伊藤好彦氏が就任する。(一月)
○総合グラウンド夜問照明施設が完成する。(五月)
○「移動知事室」が開催される。(九月)

平成六年(一九九四)
○竹花橋が完成する。(三月)
○白州小体育館が全焼する。(五月)
○町保健センターが完成する。(五月)
○福祉会館が入場者二十万人を達成する。(九月)
○優良地方公共団体白治大臣表彰を受賞する。(十一月)

平成七年(一九九五)
○白州小学校体育館が完成する。(三月)
○農業委員会の委員選挙が行われる。(四月)
○ヴィレッヂ白州がオープンする。(五月)
○町制施行四十周年記念式典を挙行。(七月)
○町のシンボルマークが選定される。(七月)

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