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白州町の天然記念物 清泰寺のカヤ
花水昭和四三二一・九指定

清泰寺の石段をのぼりつめた総門の南東側にカヤの巨樹がある(カヤは数本ある)。根本は西が低く東はそれより〇、三メートル高い。露出根回りが一〇、五メートルあり、高地面で測った根元の周囲七、七メートル。そこから一、五メートル上った目通り幹囲は五、四メートル、地上約五メートルで多くの枝を分けその翼長は東西一七、九メートル、南北一九、五メートルの規模をもち、樹高は約二八、〇メートルにも達する。
この寺は大治元年(一二一六)天台宗の名僧円光大師によって開創されたが、開基は新羅三郎義光の子義清(清泰とも言うが、この人物は系図には存在しない)だという。応永年間(一三九四〜四二七)に雲鷹玄俊大和尚が曹洞禅に改宗、その際記念としてこのカヤを植えたと伝えられている。

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白州町指定文化財 建造 清泰寺六地蔵幢
昭和四八・一二・一町指定

石幢は供養のための石造建築物で、大陛では古くから行われ、すでに応徳元年(一〇八四)の遺物があるという。わが国では長寛元年(一一六三)ごろからのものが拝される。その分類は形式と内容両面から考慮すべきではあるが、名称その他、従来にならって複制と単制に大別する。
当町に現存するものの多くは、一見石灯籠状の複制幢で、在銘の古いものに横手・安福寺六地蔵瞳(元禄四年・一六九一)及び大武川・福泉寺六地蔵瞳(元禄一四年・一七〇一)が完存する。
無銘では、室町時代中期にあたる清泰寺幢がほぼ当初の姿を留め、残欠ながらこれにつぐものに同期の白須・自元寺幢(幢身以下残存)がある。
この清泰寺六地蔵幢は「甲州型」で、安山岩製現高二、一メートル。基壇(一般には地中にかくれる)上に礎盤状の基礎を置き、上下の端に請花・反花をもつ平面円の幢身を立て、勾欄のついた中台をのせて諸尊を安置する龕部とし、その中央六角柱の六面にそれぞれ厚肉の六地蔵を配刻、これに天蓋にあたる隅木入りで二重棰をもつ六注屋根を載せ、最上部を宝珠(今欠)とする。
これは鎌倉時代、禅宗とともに輪入された大陸の建築文化の宋様手法が石造物にまで採用されたものである。残念たがらこの石瞳では失なわれているが、龕部の花頭曲線など、遥か西方サラセソ文化の影響と考えられる。また、普通は中台の軒裏は桂のないいわゆる板軒であるが、この石幢ではとくに入念に桂が造設されている点にも特色がみられ、無銘とはいえ、まことに貴重な遺構である。

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町指定文化財 文化財と史跡
清泰寺石灯籠

法堂に近く岩座状の基礎に立てられた安山岩製、高さ二、○メートルの遺構である。基本は四角型であるが、屋根と中台にすぐれた建築の手法と彫刻が施された点に最大の特色が認められる。
「文化七年午歳三月十七日十九世大燈代」(一八一〇)の銘をのこすが、この地方における、化政期文化の一端がしのばれる。やがてこの土の中に下教来石・諏訪神杜本殿、鳥原・石尊神杜本殿及び上教来石・教慶寺所蔵一間厨子などの、立川流の建造物へ志向する気運をもたらした。

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 世の中には指定基準は低くても
素晴しいものある
 私は暇があれば山梨県を散策するが
これだけ整った石造物は他に見ない

町指定文化財 文化財と史跡 宝篋印塔 清泰寺宝篋印塔

清泰寺の宝篋印塔は、安山岩製で総高五、一五メートル、同寺の総門近くにあって堂々とした塔姿をみせている。構成は安福寺塔の上敷茄子にあたる部位の四隅に円柱を立て、頭貫を通し、それらに囲まれた東・南・西・北の四面に、光背付厚肉彫の尊像を安置する。
さらにその上層には、斗栱に支えられた勾欄付の縁をめぐらした塔身の籠部に、両開き石扉を釣りこんで、内部に蓮座付の月輸を設け、そのなかに朱彩された金剛界四仏の種子を配刻している。
基礎の側面や敷茄子には、全面的に多彩な彫刻を施し、蓮弁にもすぐれた彫りをみせ、また、反りの強い軒、二重垂木、飛鶴の兎毛通をもつ軒唐破風を設けるなど、細部にいたるまで至極入念に造られ、さらに相輸の請花や宝珠も豪放大胆に表現されているが、全体的によく調和の保たれた遺構である。この宝篋印塔で特に注目される点は、四方仏の配列や対置された尊容についてである。
密教においては金胎両界の別はあっても、大日如米の理・智の二徳を両部に分けただけで、所詮は同一のものである。四仏は安福寺塔や来福寺塔のごとく、いずれも東方から逐次南・西・北の順に配置するのが通例であるが、この塔に示された種子は金剛四仏ではあるが、一見原則を破って逆に配刻されている。種子と像容を併刻するのは、木造塔の内部に仏像を安置すると同意に解されるが、平安時代に始まった密教の場合は、金胎を問わず四仏に菩薩像は含まれない。全国的には時に四仏の一を地蔵あるいは観音に替えた例もあるが、この塔では南方に菩薩形(聖観音か)、さらには北方に僧形(弘法大師像)までも刻出Lているのはまことに異例というべきである。
昔は宗派の別が確守されず、また、顕密二様を行ずる僧侶も多かったが、清泰寺塔は江戸末期文政六年(一八二三)の落慶である。儀軌の乱れとみるべきか、造立願主の特別な意楽によるものか。まことに白由な表現である。
基礎の側面に造顕年次と、浄財を喜捨された信者多数の芳名が刻まれているが、現在大工名の判然としないのが惜しまれる。
ちなみに小渕沢町矢ノ堂宝篋印塔は、文化十年(一八二二)の竣工で、尊像安置の個所に丸彫に近い十六羅漢像がみられるが、技法の上から共通点が多く、清泰寺塔もあるいは同様、高遠領の石工「平右衛門周平」の手になるものと推定されなくもない。この周平は、来福寺地蔵尊の作者でもある。

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度重なる災害で
釜無川の表情は
大きく変わった
数メートル上がった
河床
でも川は水を運ぶ
歴史も水とともに
流れる

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