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白州町で公開発表された早稲田大学学院生の「」台ケ原活性化案」の評価は別にして、彼らの大先輩がこの白州大武川から出ているころを認識していなかっった。真に残念である。余りにも単一集落に絞りすぎた結果、白州町全体やこうした名取氏のような早稲田大学屈指の教授の存在さえ、彼らは気がついていない。新たな案を提出するときの最も大切なのは過去における調査資料やこうした歴史にも触れることが大切である。と感じた。
白州の人物史 名取順一氏(「白州町誌」昭和61年)早稲田大学理工学部に工業経営学科を創設
明治一二十四年三月八日、旧鳳来村大武川八一番地(現北杜市)で父名取森蔵・母みよの次男として生まれる。
少年時代より学を志して精進する。
早稲田大学卒業後渡米し、アーラム大学で学んだ。
その後も引き続き、ハートフォード及びボストンの両大学の大学院で「産業心理学・労務管理学・行動科学・人間関係論」などの学問の分野について専攻し研究を深めた。
帰国後の昭和十年四月より早稲田大学理工学部兼早稲田国際学院副院長として教職について以来、四十六年三月停年退職するまで三十六年間の長きにわたり早稲田大学教授として活躍した。
この間理工学部工業経営学科主任教授・国際部六長等を歴任した。
特に、わが国にはじめて経営工学を導入して早稲田大学理工学部に工業経営学科を創設した功績は、まことに偉大なものである。
退職後は同大学の名誉教授となる。
その後四十六年四月からは東海大学工学部教授に就任し、一貫して経営工学の研究と教育に専念
した。
また他方学界においても幅広く活躍され、日本経営工学会々長・インダストリアル・エンジニアリング協会理事・行動科学研究所々長なども兼任した。
氏は生涯を通して勤勉実直な人柄で常に読書を好んだが、また自らも書を著した。それは経営のHR(雇用率)・経営のサイバネティクス(人工頭脳学)・経営杜会・広告心理学・販売心理学・労働心理・賃金管理・行動科学と労務管理・行動科学と経営・管理杜会への提言など多数ある。このように学界に貢献した業績は高く評価され、昭和四十八年十一月には勲三等瑞宝章を受章したほか、六十年七月には正五位の叙位に輝く栄誉に浴し八十四才の生涯を閉じた。
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