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〔白州町地内の寺子屋・私塾〕白州町 教育の歴史(「白州町誌」昭和61年より)〔教育の変遷 学制以前の教育〕
庶民の子どもを対象とLた私塾や寺子屋は読み・書き・算盤を中心とした初等教育機関で、江戸期とくに天保以降はその最盛期であった。入学年齢や修業年限には別にきまりがないが、六〜八歳ごろから五年間ぐらいが多い。教科目は読書、習字が最も多く、珠算を主とする算術がそれに次いでいる。
教科書は寺子屋本といわれる「いろは名頭字」「是非短歌」「日用文章」「実語教」「国尽」「郷尽」「商売往來」「消息往來」「庭訓往來」などの往來物のどれかが使われ、その外に四書、五経、文
選などが使われていた。
習字の手本は多くは帥匠自身が書き与えたもので、師匠は、国尽・消息往來・庭訓往來などから書いているので、習字をやりながらおのずから修身・読方・地理や歴史を学んだものである。
指導形態は個別指導と反復練習が基本で師匠のところへ行って一人ずつ指導を受けた。
寺子屋へ入門するには束脩として赤飯一重、酒一升を納めるのが慣例で、謝儀は盆、暮に金壱分たいし弐分であるのが普通であった。
〔学風〕
当時の学風は徳育すなわち人間性の教育を重視した。寺子屋入門に際しては、父兄が付き添い股懃に師弟の契りを結んだ。峡北地方の寺子屋・私塾も江戸期の中期ころから起り、末期にはますます盛んとなって数十ケ所に及んで明治初年までつづいた。
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