甲斐駒ケ岳

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〔駒ケ岳・こまがたけ<白州町〉〕(『角川日本地名辞典』)による

中央アルプスの駒ケ岳と区別するため甲斐駒ケ岳(甲斐駒)・東駒ケ岳(東駒)とも呼ばれ,また長野県側からはかって,白崩山と呼ばれた。北巨摩郡白州町と長野県長谷村の境にある山。白崩山の命名は山頂の花商岩が崩壊した山容にちなむ。
明治初年の頃は,駒ケ岳と白崩山は別個の山と認識されていた。
南アルプス甲斐駒ケ岳山系・鳳凰山系の最高峰で,頂上1等三角点の標高2,965.6m。全国に10数座を数える駒ケ岳を称する山の最高峰でもある。
「日本百名山」の著者深田久弥が,日本に十名山を選ぶとしてもその中に必ず入る名峰といっている様に,古来,全国に著名な山岳であった。国鉄中央本線または,中央自動車道の車窓から,釜無川の河谷を隔てて,2,OOO数百mの高度差を有する当山は、巨大な三角錐の山容を示し,南に摩利支天峰の奇蜂がある。
〔山容〕
全山閃雲母花闇岩からなり,その貫入は中生代白亜紀とされ,激しい造山活動と、風化,浸食作用の結果,南アルプスでは珍しい鋭頭峰をなし,山容は峻険。標高2,500m以上は高山景観を呈し,花崗岩の崩壊した砂に覆われる。
山頂を中心として,多くの支脈を派生する。北方に三ツ頭一鋸岳一横岳と続く山稜は,さらに白岩山一入笠山一守屋山と続き,赤石模形山地の頂点をなす主脈となる。
〔山名〕
山名の由来には数説がある。
山中に神馬がすむという伝承にちなむ説,
残雪期に現れる雪渓が馬の形であることにちなむ説、
山容が駿馬の駆ける姿にみえることにちなむ説,
巨摩郡第一の峰であることにちなむ
説などがある。巨摩郡説は、当山に発する釜無川の語源の1つが,巨摩第一の河すなわち「巨摩ノ兄川」であることと照応する説で,古代の渡来人との関連を思わせて興味がある。
〔植物相〕
植物相は,花闘岩山地のため,他の山岳に比して貧弱といわれるが,中腹から森林限界にかけての、トウヒ・シラビソ・コメツガなどの針薬樹林帯は重厚で,山頂付近のハイマツ帯の中に各種高山植物が分布する。特に山頂直下の地獄谷一帯はその宝庫といわれる。コマガタケスグリ・コマガタケシラベなどは,この山名をとった特有の植物。
〔雷鳥〕
また山頂付近にはライチョウの姿も見受ける。
〔山岳信仰〕
当山は古来信仰の対象となった山で,山頂に駒ケ岳神社奥の院があり,大已貴命が祠られ,また,修験道的信仰の威力大権現も祀られている。弘幡行者らによって文政年間,新たに開山されてその行場が各所に残る。鉄剣・石像・石碑などが無数に存在して,木曽御岳のそれと比肩し,山岳信仰の山としての一面がよくうかがわれる。山麓に駒ケ岳神社の前宮が横手と竹宇の2か所にあり,駒ケ岳講などは,今も盛んに行われている。
明治12年地元から発行された木版の甲斐駒ケ岳之略図は頂上に大已貴命,摩利支天に手カ男命、黒戸山に猿田彦命が鎖座すると記載している。
〔登山・菅原山岳会〕
当山は早くから登山の対象として開発され,南アルプスで最も人気のある山として,各方面から登山コースが開かれた血特に,古屋五郎を会長とする菅原山岳会の活動は特記すべきものがあった。各コースのうち最も一般的なのは,横手または竹宇から黒戸尾根を登るもので、両道は笹の平で合
して,前屏風の頭一刃渡り一黒戸山(2,253.7m)から五合目または七合目の山小屋で1泊,翌目八合目御来迎場を経て頂上に達するルート。この尾根道は峻険であるが,鉄鎖・梯子などが整備され、白州□からの主要登山道である。
〔尾白川〕
竹宇前官から尾白川を遡行すると旭滝・神蛇ケ滝・不動滝・噴火滝などの奇勝があり,千丈滝の手前で,黒戸尾根を急登、五合目に達する。
尾白渓谷道として,その渓谷美が満喫できる優れたコースであったが,昭和34年の7号台風で荒廃,今は険路となった。大坊から大武川を遡行,摩利支天の南麓を仙水峠に出るコースは古い登山道で,途中ヒヨングリ滝などもあって,第2次大戦前は利用されたが,今はまったく廃道となった。
頂上西面,戸台川の源流を六合目小屋に直登するコースは,赤河原の丹渓山荘を基地とする険路。
日向山一鞍掛山一大岩山の岩稜を縦走するコースも今は廃道となった。
野呂川林道が開通して,自動車が北沢峠を通過するようになってからは,登山道は大きく変わった。北沢峠からは徒歩で双児山一駒津峰一六方石を経て頂上を目指すか,または,北沢をさかのぼって,仙水峠に出て,駒津峰に直登する。この2つのコースは,時間的に有利で,北沢峠を基地とすれば,日帰りが可能である。
特殊な岩登コースも多く,尾白川の千丈滝の上流には,大坊主・小坊主の奇匿な岩峰がそそり立ち、その上部に尾自本流あるいは黄蓮谷の好適な岩場があり,また地獄谷上流の赤石沢もロッククライミングの対象となる。ただし、夏期,厳冬期とも危険が多く,毎年遭難者がある。

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《駒ケ岳、現在の信仰》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)

明治初年の神仏分離。によって、駒ケ嶽神杜は神道の神杜として、一応修験道的信仰とは分離された。弘幡行者によって開山された駒ケ嶽の修験道的信仰は、その後、明治十六年十二月に主務者の許可を経て、皇祖駒ケ嶽教会となり、多くの駒ケ嶽講の主流となって現在に至っている。
出羽三山、越中立山、相模大山など古くから修験道が発達した山では、先達の集団が中心となって宿坊を経営したり、参拝老の案内先達をつとめた。その伝統は講として今目色濃く残っている。一方木曽御岳のように、各地に散在する信者は、御岳教などをつくって、その中の先達が講を組織し、登拝する形をとった。概して言えば、甲斐駒ケ嶽の場合は後者の例であって、それだけに御岳講の影響が強いと考えられる。
甲斐駒ケ嶽に対する山岳信仰を縄文時代まで遡って考えると実に数千年の長い間、われわれの祖先はこの山を尊崇し続けたことになる。その問幾多の具体的信仰形態は変化し、時に山に対する信仰の深浅の繰り返しもあった。現今の山岳信仰は率直に言って、往時に比して甚だ薄弱なものと言えよう。しかし、相も変らず、人々は駒ケ嶽に大きな神性を感じ、愛着を持っている。人類の大自然に対する宿命的な心理であるかも知れない。その意味でこの山に対する信仰はさらに深く詳しく研究され
ねばならないと信ずる。(山寺仁太郎氏著)

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