白州の民話

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〔白州の民話・伝説〕狐よもやま話

ある年の春雨煙る夜、白須の弥平さんは、隣家の貰い風呂からの帰り、ふと中山峠に一つの提灯らしい明りが目に止まった。そのうちに二つ三つ四つ五つ…ついたり消えたりして坂を登って行きます。「やあ狐の御祝言だ」と、見とれていると、いつの間にか消えてしまったそうです。これが昼間であれば、「雨降って日が照りゃ狐のご祝言」といいたいところでしょう。
また、ある時、結婚式に呼ばれた下教来石の夫妻が、小渕沢から夜道を帰りに向いたのですが、なんぼ歩いても、家に着きません。そのうちに二人はあせり出し、亭主は
「お前、なんだかおかしいなあ、いつもの道と違うようじゃねえか」女房は
「そうだよ、お父っちゃん、狐に化かされているじゃあねえか」
「じゃあ、その石に腰を掛けて一服するか」と、亭主はさっそく、キセルを出してパクパク始めました。気が付くと畑の中の小道で、真向うには下教の家々から漏れる、明りが見えました。
夫妻は小渕沢の集落を出ると間もなく、狐に化かされ、土産の天ぷらは一つ残らず、あらされてしまったといいます。さらには、おみやげだといって、馬糞をごっそり、ふところに持ち帰ったという話もありました。
ある人は、濁川の淀みの中にしゃがんで「いい湯だなあ」なんて、手拭を頭に乗せて、夜っぴいてはしゃいでいました。これに引き換え、家人の心配は大変です。八方探したあげく、このありさま、せがれは「お父っちゃん、なんぼ心配したか知らねえよ」と、背中をどやすと、正気に帰って「夕方土橋を渡ると、少し離れた所に、菰をかぶった狐がいたが、見る見るうちに、きれいな娘になり、近づいて来ると愛矯よくもてなし、お湯までたってくれたちゅうわけさ」「
狐に化かされただよ、それでも見つかってよかった」と、家につれ帰えられ、ズブ濡れの着物に、てれくさいとみえ、「ムニャ・ムニャ・エヘン」と苦笑したといいます。(古老談)

〔白州の民話・伝説〕屁っぴり嫁

昔、辺見から街道宿に嫁いだ、とっても美人の嫁っ子がありました。その家の息子はもちろん、姑までが「村一番の嫁だ」と鼻高々。嫁は器量ばかりでなく、気立もやさしくよく働いたので、その喜びかたはひと通りではありませんでした。
けれども、そんな喜びとはうらはらに、嫁は日が経つに従い、顔は青ざめ病人のように気が重くなって行きました。
心配になった姑は、せっかく村一番の嫁を迎えたのに、これでは困ってしまうと、さっそく嫁を呼んで、そのわけを聞こうとしました。嫁はなに一つ不服ないと答えましたが、姑は解せぬので「おめえさん本音かい、かくさず言ってくりょうよ」
ここで嫁はさも恥ずかしそうに「実はわたしには、おならの僻がありやして……」姑は「おならだなんて、庇をこくこんずらい、そんなもの我慢しねえで、たくさんひってくりょう」と、いわれたので嫁は喜んで「ありがとうごいす」これで許可がおりたとばかり「それじゃあ、ちょっとごめんなって」と、お尻をまくって発砲におよびました。「ズドーソ」障子は外れる、姑は屁のあおりをくって、隣の大根畑までぶっ飛ばされてドシーン。それでも幸い怪我はなかったので、姑はあきれながら、戻って来て「こんなデカイ屁っぴりじゃあ、末が案じられらあ。これっきり家には置けねえ、さっさと出て行ってくりょう」とことわり、せがれに荷物と共に、送ってやらせました。
ころはしも秋、辺見の台地は柿の実が熟れていました。息子は「のどが乾いたから、あの熟柿を食いてえ」といいました。なにぶん高い木のこと、どうにもなりませんでした。
この時嫁は「あんたとのお別れに、熟柿を落していくずら」と言うや否や、お尻をまくって一発ぬかしました。その爆音で柿の実はポタボタとおおかた落ちたので、二人はたらふく食べました。
そして息子は「お前はここから家へまた、戻ってくりょう。泥棒がへえっても、家の中の掃除も、稲田の雀おどしも、お前がいてくれたら、鬼に金棒だ」二人の仲直りをして、わが家に戻り、親にもそのことを話すと「わかったよ」そこで一家仲よく暮らしたという話です。(古老談)

〔白州の民話・伝説〕観音平の鈴虫 花水

神代の昔、天照大神様が、日本の国をお授けになり、御孫のニニギノミコトに、国を治めさせましたが、天照大神様は、大勢の国つ神に協力のお礼を申したいと、国々をお廻りになることにたりました。
天照大神様は、旅のつれづれを慰め、かつ神々にお土産にと、たくさんの鈴虫を篭に入れて持って出かけました。
大深沢が釜無川へ注ぐちょっと手前の、大堂の観音付近に、観音平という所があります。そこまで来られた大神様は、長い旅路でお疲れなされたのでしょう。
しばし腰を休めようとしたところ、ついまどろんでしまいました。目をさまされた大神様は、意外に長く眠ったことに気がつき、急いで、今日の予定宿に向けて、お出かけになりました。
さて、御岳にお着きになった大神様は、事代主命様に、鈴虫のお土産を差し上げようと思い、腰のあたりを探られたが、鈴虫の篭はなく、観音平を出掛けるとき、あわてたので置き忘れてしまったのです。
そこで、大神様はふと考えついて、御岳の土を一握り握られ、これをこねて鈴をお作りになり、振って見ると、鈴虫にも劣らぬよい響きであったので、その鈴を事代主命様に差し上げました。こんな伝えから、観音平は鈴虫の名所に、御岳は鈴が名物になったといわれます。(元話 清春村誌)

〔白州の民話・伝説〕仏沢 上教来石

天保の飢饉は長く続いて、同七年には郡内一揆がくになかもとで、国中まで広がり、その一手は甲府・竜王・韮崎・塩川筋・逸見筋・武川筋と、打ちこわしと押し借りを、繰り返してこの地にもやって来て、街道宿はもちろん、横手や大坊にも侵入しました。
そのあと一穣たちは、山口の番所を強引に開門させて、大武川村に雪崩れこみましたが、その時大量の兵たちが、鎮圧に向ったとの情報に、あわてだし、小渕沢の方面へ矛先を変え、長坂あたりで終結解散の予定であったが、すでに急追の甲府と諏訪藩の幕兵に、鉄砲で打ち殺される者教百、逃げまどう者もあったが、結局甲府代官所に送られ、それぞれ厳しいおしおきを受けました。
その時の死者を七里岩の沢に、大穴を堀って埋めたといい、それからこの沢を「仏沢」と呼ぶようになったと伝えます。(元話 名取藤二)

〔白州の民話・伝説〕馬八節(民謡) 大坊

オーヤレヨ〜 
田の草取りにたのまれて 
行くも嫌行かぬも義理の 
間の悪るさ

戦国の昔、武田家の家臣に黒田八右衛門という者が巨摩郡大坊村の組頭として赴任して、一年足らずでありましたが、当時村小町と呼ばれる美貌の「お定」と呼ばれた、吉右衛門の娘とねんごろになり、二人は恋の闇路をたどっていました。
しかし、八右衛門は別の任地に行かねばならず、身を切るような、悲しい別れをしました。お定は間もなく、一人の男の子を産み落し「馬八」と、命名しました。
その後、お定の情熱はさめやらず、日夜八右衛門に焦がれたが、所詮手は届かず、ついに狂い死してしまいました。
ひとりぼっちの「馬八」は、祖父に育てられ、十五才の時白須村の豪農徳右衛門の馬子として雇われ、一生懸命に立ち働いたので、たいそう可愛いがられました。馬八は馬と唄が大好きで、愛馬の手綱を引いては、米穀を韮崎まで運ぶのが、日課のようでした。
かれは持ち前の美声に物を言わせて、唄いながら街道を上り下りしました。沿道の人々は、馬八の唄を聞くのが、なにより楽しみのようでした。「カラスの鳴かぬ日はあっても、馬八の唄声を聞きてえもんだ」と、馬八の来ぬ日は寂しがったといいます。
馬八は母親に似て、美男子そして美声とあって、年頃の娘たちを湧き立たせ、思いを馳せる人たちが多勢いました。
そのうち横手村の名主庄右衛門の娘「お政」の情には、かた気の馬八も、ついほだされて、二人は相思相愛の伸となりました。
二十五才の春、かれは庄右衛門に夫妻にしてくれと頼んだが、頑として拒まれたので、二人は手を取り合って、尾白川の千ケ渕に身を投げてしまいました。
驚いた庄右衛門始め村人は、なきがらをねんごろに弔い、馬八在世中の唄に合わせて、踊りもつくり、追善供養をしました。これが今日唄われている、武川筋の郷土民謡であります。(村のあゆみ)


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