白州の民話

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〔白州の民話・伝説〕清泰寺(せいたいじ)の蛇骨(だこつ)と雲版(うんぱん) 集落 花水

清泰寺の本尊は、行基菩薩の彫刻によると伝えられる薬師如来であり、寺の開基は源義清である。そのころは寺も大層栄えていました。その後移り変りがあって、無住の時代となりました。
そのころ、清泰寺の裏山にかけて、怪しい雲が巻き起り、付近の民家の鶏・犬・猫などの家畜が、嵐に巻き込まれて、どこともなく消えてしまうという、不思議なことが、しばしはありました。
そのため、村人は妖雲の気配を見ると、急いで家畜を家の中に隠すのでありましたが、間に合いかねて、災難に会うことも、しばしばありました。これは裏山に住む大蛇の仕業であるという噂がもっぱらでした。
こんなとき、甲斐国へ道元禅師という、高僧が入国して、何ヶ寺も復興をはかり、そのつながりで、雲版和尚が清泰寺復興に派遣されました。和尚は着任すると間もなく、この災厄を除こうと、本堂の西にある、坐禅石に百日間坐禅して、一心に経文を読んでいました。
 いよいよ満願の日、和尚が読経していると、ついに悪魔が姿を現わしました。それは見る目も恐しい大蛇でありました。
けれども和尚はさして驚きもせず「お前は深山に向って雲を起こし、天空をかけめぐることが大蛇の生きる道じゃ、それなのに人里近くに住んで、人類を悩せるとは、堕落も甚だしいではないか」と、大声で叱りつけました。
さすがの大蛇も「なるほど」と前非を悔いて「わたしの考え違いです。どうか今までのことはお許し下さい」と、深く恥じ入り、和尚に従う証拠として、自分の一肢を喰い切り落して雲版に添え、和尚に拝礼して、これを差し出したかと思うと、早雲に乗って深山に消えてしまったといいます。
それからは、このような怪しいことは起こらず、村里は平和を取り戻しました。大蛇の一肢は「蛇骨」といって、旱魃で困るときは、水を注ぐと雨が降ると伝えています。(元話 清春村誌)

〔白州町の民話と伝説〕津島神杜 集落 鳥原

鳥原の石尊神杜の境内に、津島さんが祀られています。この神様は厄病除けのために、お参りをしたので住民たちをよく守ってくださいました。古くから七月二十日の夜は、松明や提灯を手に、村中が打ち揃って、公会堂からオァタゴさんに参り、風害・虫害など祈願して、津島さんにも参拝して、最後は田畑の虫を集めて、釜無川で焼き捨てる「虫送り」の行事もありました。(元話 名取儀近)

〔白州町の民話と伝説〕石尊神杜 集落 鳥原

石尊神杜は、鳥原・荒田・松原の三区合同で奉祀した神様である。鳥原では二百八十段の急な石段と三十六童子を奉納、荒田では大きな不動尊と両脇師を、松原では荒田の境に、大鳥居を寄進いたしました。
そして拝殿の格天井の絵は、美事なものです。ぼつぼつ修復の段階にきています。また、石段の下にある半僧坊さんは、鳥原の入口にあったものを、移したものといいます。
石尊さんの御神体は、馬場民部の屋敷の堀りから出土した、武器だといわれます。
石尊さんの祭典は昔から、相撲で有名で、以前は甲信連合相撲大会など催し、方々から相撲取りが集って見物客の血をわかせました。甲州三辻の一つだといわれています。(元話 名取儀近)

〔白州町の民話と伝説〕道祖神 集落 鳥原

道祖神はサエノカミともいって、村の辻や村境にあって、外から侵入する悪病を防ぐ神として、どこの村にもありました。
それ故、どこでも一月十四日には、道祖神祭りを盛大にして、神様に感謝したものです。
祭りには、子供たちが藁で作った馬に餅俵をつけて、道祖神にお参りをし、別の俵と引き換えて一家に帰りこれを食べると、目の病気にならぬといい、それは道祖神場はたいへんにぎわいを見せ、子供らの楽しみのひとつでありました。(元話 名取儀近)

〔白州町の民話と伝説〕下教来石の獅子舞 集落 下教来石

昔、下教来石宿には、牡獅子と牝獅子があって、正月十四日の道祖神祭には、早朝より宿の若い衆が二手に分れ、上より牡獅子が、下より牝獅子が共に、悪魔払いの舞をして、双方出会った所で、舞い納めをしたものでした。
ところがある年近村に、悪疫が流行したので、上教来石境には牡獅子を、荒田境には牝獅子を置き、疫病の侵入を防いだ結果、下教来石には疫病がはいってこなかった。
その後連日の雨で加久保沢が氾濫して、牡獅子は流れてしまい、村人は懸命に探したが、ついに
見あたらず、それから牝獅子だけで、舞うようになったといいます。(元話 仁科岳風)

〔白州町の民話と伝説〕花水の観音様 集落 花水

この観音様は、今から580余年前の応永年間に、
清泰寺の開山雲鷹大和尚(うんようだいおしよう)が住持となって、数年たったころ、現在地に祭られたものだそうです。
そのわけは、今の観音様の東側や前通りは、よい土地で、このあたりに住む数戸の人たちは、懸命に田畑を耕し、働いていました。
その頃、馬が病死したので、畑のはじっこ(端)にあっさり埋め、ろくな供養もせずにいたところ、毎年同じころになると馬が亡くなるので、村人たちは気味が悪くなって、さっそく、雲鷹和尚に相談したところ、「それは馬を粗末に埋め、供養してやらぬからじゃ」と言われたので、今の観音様の所に、馬の骨を堀りあつめ、日を定めて供養祭りをするようになってからは、馬の病もなくなったので、人々は感謝の意をこめて、お堂を建立しました。
それからは、毎年3月19日を観音祭として、九組の者が当番制で祭事を行ない、清泰寺の住職がお経をあげてくれます。そこで「南無妙法蓮華経・南無観世音菩薩」とおがみ、洗った手で軽く目を横に、百二十回なでると、眼病もたちまちなおるといわれます。(元話 小林安定)


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