白州の民話

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〔白州町の民話と伝説〕花水の道祖神 集落 花水

道祖神は、白州町のどの集落にもあって、1月14日の獅子舞や藁馬に餅をつけての祈願が行われました。
道祖神は、家内安全・五穀豊穣は当然のことですが、花水の道祖神は東西にあって、西には男根の御神体(男性シンボル)があり、東には女性の御神体(女性のシンボル)があります。これらは昔の石工が立派に刻んで、祠の中に祭られましたが、惜しいことに、西の道祖神は町道工事のため場所が変り、その際、御神体をいためまして、祠の外に出してありますが、まだまだ昔のお姿をとどめています。
これは、決してみだらなものではなく、人問の根源をあらわしたものです。それ故、子供に恵まれない人、子供の成育、さらには安産の神として、崇敬されております。
現在、正月14日の道祖神祭は、各組当番制で祭事を営み、2月8日の縁日には、餅をお供えする仕来りでしたが、時代のせいか年ごとに薄らいできました。(元話 宮沢完成)

〔白州町の民話と伝説〕宇手長原の弁天様 集落 白須下

白須下区の古町は、ずっと昔は原野で、そこいらにはいくつかのお宮や祠があったそうですが、その後田地として開懇されました。しかし弁天様だけは、願いごとを叶えてくれました。神様として、現在もその跡地は残っています。(旧白須家の庭の一部・補助整備でなくなり、その一部は手前の道路わきに安置)
この弁天様は池辺にあって、人寄りで膳.椀が不足するときには、前日のうちに「弁天様これこれの数のお椀を、ぜひお貸しください」と、お願いすると、翌朝ちゃんとその数の椀が池に浮んでいました。そのため、村人から大変ありがたがられていました。
 ところがあるとき、横着者が借りた椀の数だけ、お返ししなかったので、弁天様は腹をたて、それからは願いごとを聞き届けてくれなかったと伝えられます。(元話 清水正)

〔白州町の民話と伝説〕山の神さん 集落 上教来石

上教来石地内の、おもな林道四ケ所に、山の神の祠があります。ご神体は大山砥命(おおやまずみのみこと)で、山は百姓たちの生活に欠かせぬ入会地であったからです。
山に薪取り、下草刈りなど、村人の出入りが激しかったので、山での怪我やけもの害などないように、ひたすらお願いをしました。山の神様はあらたかの神様ですから、山の入口にあって、山をお守りしてくれました。
山の神の祭りは、毎年1月17日に執り行ない、赤飯やすしなどを供えます。ところによっては山の講が組織されています。
江戸期から明治年代には、どこでも山の神様を大切にしたものです。今でも家内のことを、山の神などとも言うが、それは杓子をしるしとしているからだといいます。(元話 名取享三)

〔白州町の民話と伝説〕大武川の氏神様 集落 大武川

大武川の氏神諏訪神杜は、建御名方命(たてみなかたのみこと)を氏神として、古くから4月12日に、お祭りを執り行っています。
それについて、次のような神話があります。出雲の国の神様たちに、おとなしく言うことをきかせるために天上からの使いが、この土地に差し向けられました。
ところが、これらの使いは、みんなその土地に住みついて、誰も帰ってきません。
3度目には、女の雉(キジ)を催足がてら、様子を見にやりました。このキジは姿は美しいが、声はよくない、あまりうるさくなくので、射ち殺されてしまいました。
天の世界では、相談の末、こんどは経津主神(ふつぬしのかみ)を差し向けました。すると神々の間から、タケミカズチノカミが、大声をあげて進みでました。「ますらおは、経津主神はかりではありませんそ。どうしてわたくしを忘れているのですか」そこで二人の神が、一緒に行くことにきまりました。
使いの神は、出雲の浜辺におりてきて、波打ぎわに、剣をさかさまに突きさし、その前にどかっとすわったタケミカズチノカミは、この国をつくりました。大国主命に向って「天照大神の仰せに従うか、どうか」と尋ねました。
大国主命は「わたくしだけでは、なんとも申し上げられません。二人のむすこに相談の上、お答えします」と、言いました。そこで事代主命に意見を聞くと「それは天照大神のお仰せの通りにするのがよいでしょう」と答えました。
ところが、もう一人の建御名方命は、怒り出し「われわれの国に来て、こそこそ、おかしなことをいっているのは、いったい何者だ」そして大きな岩を高く差し上げて、ほうりだすと、タケミカズチノカミに向って、踊りかかりました。
タケミカズチノカミの手は、たちまち氷の柱になって、キラキラと輝いたとみると、建御名方命が、びっくりしてうろたえていると、タケミカズチノカミは、その手をひねりとってしまいました。
建御名方命は、あおくなって逃げ出し、山越え谷越え、大武川の大岩まで来たが、追いつかれて降参させられ、国土献上をさせられました。
実は信州諏訪で降参したので、上社・下社とあって、大武川の諏訪神杜は中社だともいわれますので、信州に近い関係で、そんな話も流れたでしょう。これが神社にまつわる祭神のお話で、北巨摩には諏訪神杜は、いく社もあります。(元話 名取民一)

〔白州町の民話と伝説〕天神講(てんじんこう) 集落 大武川

大武川の集落では、毎年1月3日に、7・8歳から15歳までの子供たちが、天神講をして来ました。講のお宿は、年長の子供の家で、めいめい少しづつ米を持ち寄って行ないます。
天神様は学問の神様で、菅原道真公です。公の学徳にあやかろうと、宿の床の問には、天満宮の掛軸をかけ、供物をしました。
当日はウサギの肉をいれて御飯に炊き、骨はナタか金づちで叩いて、肉だんごのお吸物をつくり、みんなたらふくご馳走になり、一日を楽しく過ごしました。
なお、その日は獅子頭をかぶって、一同で村中各戸を練り歩き、子供の生まれた家や新婚の家へは「舞いこめ、舞いこめ」と、元気な掛声で練りこみ、ご祝儀をもらい、それでミカンや菓子を買って、これを全員にわけてやりました。
この行事も明治初年には、既に行なわれていたようですから、ずいぶん長い歴史です。
大正15年4月、当時大武川分教場の新海広治先生(92歳で在京健在)の揮毫で「天満宮」の碑を、
氏神様の境内へ建立し、除幕式を挙行しました。参道には釜無川の玉砂利を敷いて整傭しました。天神講にはみんなが協力的でした。こんな伝統行事も、昭和33年頃中絶して残念です。
(元話 名取民一)


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