白州の民話

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〔白州町の民話と伝説〕鞍掛山の蚕霊(養蚕の神様)さん 集落 竹宇

尾白川渓谷の北側に聳え立つ、2040メートル近い鞍掛山がありますが、その頂上に蚕霊大明神が祭られています。この神様は明治初期ごろ、諏訪の信者と竹宇・前沢・白須上の人たちも参加して、大きな祠を建てました。
なにぶん道も険阻のため、里人は明治の中期に、竹宇の氏神さんの西隣に蚕霊大明神の石祠を建てて、前宮として氏神さんの祭りと一緒に祭りをしてきました。
祭りは当番制にして、午前中は区民全員で農道修理を行ない、午後祭りを担当の蚕霊さんの方では、甘酒を振舞い、老若男女が参拝します。
ところが本宮の大祠は、なに者かに倒され、無惨の姿になっています。みんなの力を借りて、復元されるよう願っています。(元話 井上正雄)

〔白州町の民話と伝説〕地蔵様霊験記 集落 上教来石

蘭慶(らんけい)上人は、村人の難儀を救おうと、高さ十尺、幅四尺の石の地蔵さんを、旧道と国道20号線の三叉路の、西高台に安置しました。
それ以来、村には悪病も追剥ぎも影をひそめて、平和な生活ができ、地蔵さんに感謝をしています。
時は昭和48年9月、横浜の夫妻と子供づれの一家が、富士五湖めぐりをして、上諏訪に行く途中、この三叉路にさしかかったとき、ちょっとの油断で、前から来たトラックのライトに驚き、右にハソドルを切った。そのとき誰かが「止まれ!」と大声に制した。
その声に、睡魔が覚めて見たら、すでに車は止まっていた。あと少しで、高さ四メートルもの田圃に、まっさかさま。あたりは人影もない。
そのときかれらは「あ、地蔵さんが、お声をかけてくれたんだ」と、一家は、地蔵さんに手を合わせて感謝しました。それからは毎年九月には、必ずお礼参りに横浜かち来ているそうです。
また昭和50年10月20日、ある人が海道西の脱穀を終えて、脱穀機や農具一式をテーラーの荷台に積み、運転台の横に奥さんを乗せ、自分は運転して、河原の田圃へ行くために、三叉路を曲りはじめた。ところが旧道は急傾斜で、それに積荷が重かったためか、運転操作を誤って、4メートル下の田圃へ、テーラーもろとも転落してしまいました。
近所の人たちも、近くで仕事をしていたので、これは一大事と駈けつけました。きっと二人は命を落しているだろうと、近づいて見た。
テーラーと荷台は二つに離れ、その間に二人は折り重なっていました。やがて主人は、むっくりと起きあがり、傷一つ負わず、奥さんは肥っていたためか、一週間の打撲傷で済みました。かれは墜落の瞬間、地蔵さんのお姿が、ありありと見えたといって、こんな奇跡は、霊験あらたかな地蔵が、お助け下さったからだとして、深くこれを信心して、前かけを供えたといいます。
(元話 蟹沢春吉)

〔白州町の民話と伝説〕教慶寺の揚仏様(あげぼとけ)集落 上教来石

なんでも今から七・八百年の昔、教慶寺の開祖蘭慶上人は、名僧のほまれ高く、諏訪明神と問答をしたとのことです。
このころ、村里には悪病が流行して、上人の法力にすがる人が、絶えませんでした。そこで、上人は思案の結果、寺の南側の空地に、二間四方の揚仏堂を建立し、石仏もでき上ったので、開眼の法要を営みました。そして上人は、村人たちに「この揚仏像は霊験あらたかにっき、おのおのがた心を正して、祈願せられよ」といわれました。
さて、悩み多き人々は、相ついで祈願をしました。
願いをきき届けてくれる時は仏像はいとも軽やかに持ち揚がり、その反対の時は、それこそ鉄塊でも持ち揚げる思いがしたといいます。病気・商談・縁談・入学と、なんでもござれ、きき届けてくれるという。まことに霊験あらたかな、地蔵様であります。(元話 蟹沢春吉)

〔白州町の民話と伝説〕鞍掛山の蚕霊(養蚕の神様)さん 集落 竹宇

尾白川渓谷の北側に聳え立つ、2040メートル近い鞍掛山がありますが、その頂上に蚕霊大明神が祭られています。この神様は明治初期ごろ、諏訪の信者と竹宇・前沢・白須上の人たちも参加して、大きな祠を建てました。
なにぶん道も険阻のため、里人は明治の中期に、竹宇の氏神さんの西隣に蚕霊大明神の石祠を建てて、前宮として氏神さんの祭りと一緒に祭りをしてきました。
祭りは当番制にして、午前中は区民全員で農道修理を行ない、午後祭りを担当の蚕霊さんの方では、甘酒を振舞い、老若男女が参拝します。
ところが本宮の大祠は、なに者かに倒され、無惨の姿になっています。みんなの力を借りて、復元されるよう願っています。(元話 井上正雄)

〔白州町の民話と伝説〕地蔵様霊験記 集落 上教来石

蘭慶(らんけい)上人は、村人の難儀を救おうと、高さ十尺、幅四尺の石の地蔵さんを、旧道と国道20号線の三叉路の、西高台に安置しました。
それ以来、村には悪病も追剥ぎも影をひそめて、平和な生活ができ、地蔵さんに感謝をしています。
時は昭和48年9月、横浜の夫妻と子供づれの一家が、富士五湖めぐりをして、上諏訪に行く途中、この三叉路にさしかかったとき、ちょっとの油断で、前から来たトラックのライトに驚き、右にハソドルを切った。そのとき誰かが「止まれ!」と大声に制した。
その声に、睡魔が覚めて見たら、すでに車は止まっていた。あと少しで、高さ四メートルもの田圃に、まっさかさま。あたりは人影もない。
そのときかれらは「あ、地蔵さんが、お声をかけてくれたんだ」と、一家は、地蔵さんに手を合わせて感謝しました。それからは毎年九月には、必ずお礼参りに横浜かち来ているそうです。
また昭和50年10月20日、ある人が海道西の脱穀を終えて、脱穀機や農具一式をテーラーの荷台に積み、運転台の横に奥さんを乗せ、自分は運転して、河原の田圃へ行くために、三叉路を曲りはじめた。ところが旧道は急傾斜で、それに積荷が重かったためか、運転操作を誤って、4メートル下の田圃へ、テーラーもろとも転落してしまいました。
近所の人たちも、近くで仕事をしていたので、これは一大事と駈けつけました。きっと二人は命を落しているだろうと、近づいて見た。
テーラーと荷台は二つに離れ、その間に二人は折り重なっていました。やがて主人は、むっくりと起きあがり、傷一つ負わず、奥さんは肥っていたためか、一週間の打撲傷で済みました。かれは墜落の瞬間、地蔵さんのお姿が、ありありと見えたといって、こんな奇跡は、霊験あらたかな地蔵が、お助け下さったからだとして、深くこれを信心して、前かけを供えたといいます。
(元話 蟹沢春吉)

〔白州町の民話と伝説〕教慶寺の揚仏様(あげぼとけ)集落 上教来石

なんでも今から七・八百年の昔、教慶寺の開祖蘭慶上人は、名僧のほまれ高く、諏訪明神と問答をしたとのことです。
このころ、村里には悪病が流行して、上人の法力にすがる人が、絶えませんでした。そこで、上人は思案の結果、寺の南側の空地に、二間四方の揚仏堂を建立し、石仏もでき上ったので、開眼の法要を営みました。そして上人は、村人たちに「この揚仏像は霊験あらたかにっき、おのおのがた心を正して、祈願せられよ」といわれました。
さて、悩み多き人々は、相ついで祈願をしました。
願いをきき届けてくれる時は仏像はいとも軽やかに持ち揚がり、その反対の時は、それこそ鉄塊でも持ち揚げる思いがしたといいます。病気・商談・縁談・入学と、なんでもござれ、きき届けてくれるという。まことに霊験あらたかな、地蔵様であります。(元話 蟹沢春吉)

〔白州町の民話と伝説〕鳥原の道祖神 集落 鳥原

鳥原集落の中央に、道祖神が祀られています。いつごろの建立か定かではありませんが、おそらく江戸時代は、道祖神信仰が盛んであったと聞いていますから、その時分からではないでしょうか。
それはともかく、われわれ少年時代には、お年寄りにワラ馬を作ってもらい、それに餅をつけて、村中の子供たちが、道祖神さんに供えた、一月十四日の小正月の楽しい思い出は、まぶたに残っています。
その馬は、馬屋の屋根へ上げて、家内安全・五穀豊饒を祈りました。けれども道祖神は本来、悪病などが村へは入らぬよう防ぐ神や子宝の神であったそうです。(元話 渡辺喜久治)


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