白州の民話

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

〔白州町の民話と伝説〕姫塚 集落 白須上

白須若宮神社脇に、姫塚と呼ぶ所があります。わが家の先々代のばば様に、ある夜白髪の仙人があらわれ「姫塚の一角に、尊い仏像が埋められている。他人はもちろん、坊さんにも知らせてはなりませんぞ」と、固く念を押すとスッと消えてしまいました。
これは夢とも、うつつとも不思議に思っていました。ばば様は翌朝姫塚へ行き、土を堀り起しますと、そこには銅製の小仏が現れました。ばば様は思わず声を揚げて「あ、これが夢に見た仏さんだ。こんなところではかわいそう」と、思わず合掌し、やがて拾い上げ、だいじにわが家へ持ち返
ねんごろ、洗い清めて、仏壇に安置し、朝夕ねんごろに供養を続けました。やがてばば様はなくなりましたが、子孫もまたこれを受け継ぎました。
正夢ということがありますが、その通りで、小仏は五・六セソチのもので、誰が埋没したか今もってわかりません。こんな因縁の仏さんがあるでしょうか。姫塚は現在、他人の所有になっていますが、何姫かも知る由もなく、その上には杉の古木が立ち、その根元には釜無川の小石が敷き詰めてあります。これより少し離れた所に、「姫塚の碑」があります。(元話 山田義則)
《註—私の聞いたところでは白須の横の集落前沢の小高い畑があり、この真中に塚があったそうです。そこにはむかし武田滅ぼした織田信長の娘が祀られていて、ある時この塚を畑にしようとしたところ、地中から金細工の彫刻やかんざしなども出てきました。それを白須八幡神社に一夜奉納したところ、大半は無くなってしまったとのことです。その埋蔵品の一部をみましたが、それは中世より遡る古墳時代の馬具装飾品でした。その所縁からここに姫塚があったとも伝えられています》

〔白州町の民話と伝説〕中山の隠し金 白州町・武川町

天正十年三月、武田勝頼は織田の急撃にあい、これと対戦するすべもなく、新築の新府城も、みずから火を放って、小山田信茂の待つ岩殿城さして落ちて行きました。
これより先、勝頼は、「残り少なの兵では、お金や宝物を運ぶことはできない。武川筋に中山という手ごろの山があるとのこと、ひとまずそこに埋めておこう」
と、家来に命じて、誰にも気づかれないよう隠しました。
しかし、間もなく武田勝頼一行は、大和村田野で、打ち滅ぼされ、その後、中山の隠し金のことなどは、忘れられ何百年もたってしまいました。それでもどんな手掛りから話がもちあがったのか、このごろ中山の金の話が巷間では、話題を呼んでいます。
《註—この中山の麓の陣が原には織田信長軍が宿営して、翌日出立、韮崎の新府城を目指しました。》

〔白州町の民話と伝説〕椀貸し池 集落 島原

往太神様の社前の池は、いつも青い水をたたえ、秋になると、周囲にハギ・キキヨウなどが咲き乱れ、それをきれいな水が写して、道行く人もしばし足をとどめるという名勝でした。
昔のこと、村内に大寄り合いがあって、膳椀が不足のときは、前の晩にこの池に行って「これこれだけ、膳椀をお貸し下さい」と、お願いして、明朝行くと、必ず浮かんでいたとのことですが、ある時、不心得者があって、仲間げんかをして、お腕を割り、不足のまま池へ返えしました。椀膳の足りないことに、神様はお怒りになってしまいました、それからは誰が頼んでも、聞き入れなくなったといいます。往太神様の御神体は、小さい丸木舟で、日本武尊が、この池の水をお飲みになったころ、浮かんでいたといわれます。(元話 名取儀近)
《註—山村の神社の神様が丸木舟、ヤマトタケルノミコトもさぞかしびっくりしたことでしょう。この椀貸し伝説は全国にも山梨県にも多数あります。》

〔白州町の民話と伝説〕台ケ原の無名大石塔 集落 台ケ原

武川村から尾白川橋を渡ると、左手に横山という雑木林があります。そこに正面一・八メートル、側面一.六メートル、高さ六メートルくらいの巨石がでんと居据っていますが、石には一字も刻まれていません。まことに不思議なことです。
しかし、この石はもと、尾白川の上流狐ん沢にあった大石(実際は中山)ですが、明治十四年日蓮上人の六百遠忌(おんき)をトし、国家安穏、五穀豊作を祈念して、日野の見法寺、白須の連照寺を中心に、信徒たちによって、木ぞりを引くように、丸太の軌道を太いシュロの綱で、両寺の方丈釆配を振りながら、何年かの歳月を経て、ようやく横山まで引っぱり上げ、身延山七十代日祥上人の書になる「大題目」を彫刻する段になりましたが、資金難におち入り、当初の計画からずれこんで、これ以上の進展をみずに、そのままで風雪にさらされております。
もし、この大石塔が完成していれば、国道二〇号線の名物になったことでしょう。この巨石に彫刻する原本は、双方の寺に保存されています。(元話 草間円光)
《註—現在は赤松の倒木が多く立ち入ることできませんが、遠くから眺めることはできます》

〔白州町の民話と伝説〕輿石(こしいし)集落 鳥原

輿石は、鳥原福昌寺前(鳥原上部、石尊神社の手前)の畑にあって、日本武尊(やまとたける)が、ご東征のみぎり、横手から竹宇(ちくう)を経て、この輿石でしばしお休みになり、下教来石へおいでになったといいます。
輿石は高さ五間・縦七間・横六間くらいの大石でしたが、石材店で手に入れ、立ち割って、雨四半(あめじはん)や鳥居などに使われ、今はその面影は見られません。
それでも白州小学校の門柱がこの石ですから、記念物としてこの話を後世に伝えたいものです。
(元話 名取儀近)


.

過去の記事一覧

白州ほっと情報局 水と森と人
白州ほっと情報局 水と森と人
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事