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元禄六年(1693)『杉屈書簡』岸本八郎兵衛宛。
岸本八郎兵衛様 鯉や市兵衛(杉風)
貴報
昨日御貴礼悉致拝見候。先日はゆるゆると得貴意大慶奉存候。然ば短冊五枚被遣候。桃青にも書せ可
申候。乍去頃日持病気之由承候間、少々遅々可仕候へども、其段ハ御持可被下候。機嫌見合せ可被 候。
其角儀は心得申候。其外ハ嵐雪斗存侯。挙白儀ハ宗匠にてハ、無御座候。私共之様成商人にて御座 候。
宗匠にて無者之にも名高き者ハ、素堂と申者にて御塵候。
其外倦成者も無御座候。内々左様に御心得可被遊候。其内貴面に可得御意候。以上
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山口素堂の部屋
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元禄六年(1693)『芭蕉書簡』許六宛。
御細簡辱く拝見致し、愈々御無事に御座成され侯ひて珍重之の過ぎず存じ奉り侯。先日は早々御入来
侯ひて又悉く、少しの間素堂に罷り有り、御意を得ず、千万御残り多く存じ候。云々
(奈良県宇陀郡榛原町辻村佐平氏所蔵)
先日は早々御入来侯ひて又悉く、少しの闇素堂に罷有り、不得御意千萬御残多存候。年明候而少持病
心に罷有侯は餅のとがめにやと存候。絵色紙、素堂へいまだ今に得遣し不申候間、明日一所に可進之
候。はさミ箱へ御入れ可被成候。云々
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素堂52才元禄六年(1693)『歳朝雪』解説、「俳人書画」
晦朔循環同不同 蛤之始意雀之終
乾坤湧出新年雪 寒暖未分嚢欝風
解説…
歳月は循環していて、一見同じように思えるが、そうではない。例えば、秋九月には雀が群れをなして海中に入り、蛤に成り変わると『礼記』などに伝えるとおりだ。今、この天地に新年の雪が真っ白に、いかにも湧き出したかのように降り積もっている。春になったばかりの季節の変わり目にも天も地上に寒暖いずれの属を吹き送ったらよいのか、いささか決めかねているようだ。
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元禄五年(1692)『芭蕉書簡』素堂宛
此間御話申置侯通、勧学院古硯之銘、足下其角、愚老三人との一軸に認ほしき由、一両日に御書可被
下候。且又京都御霊神小栗楢(おぐるす)大炊頭七十之賀是は御詩作頼侯。兼而御存のごとく御醍大
臣様御門弟に而和歌も出来申侯。委は拝顔期候。
廿四日 芭蕉庵
素堂先生
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元禄五年(1692)『俳林一字幽蘭集』水間沾徳編。(原文は漢文)口語訳
沾徳水子嘗て俳優の旬を好みて、遂にこれを業とす。ちかごろ一字幽蘭集を撰ぎて余に説を求む。夫
れ幽蘭なるは、まさにこれを離騒に取りて文を除き蘭長ずるの意なり。
我聞く楚客の三十畝もことに少となさず芳一かんば一せを千歳に余すといえども、未だ梅をわするる
の怨み無きこと能はず。その集や筆を性の一字に起こして情心・忠孝・仁礼・儀智・姶終・本来等総
て百字の題を掲げ、以て花木・芳草・鳴禽・吟中四序、当に幽賞すべき風物を伴び載せてこれをわす
れず。何ぞ怨有らんや。又その集の従て来る所を多づぬるに、前の岩城の城主風虎公撰したまう所の
「夜ノ錦」「桜川」「信太ノ浮嶋」此の三部の集、世に行なはれざるを愁いてなり。乃ち苹して彼の
三部の集より若干の句を抜きてこれを副るに、古風いまようすがたの中、その花の視るべきして其の
実食すべき者の□くこれを拾ひ、これを纂め以てその左に倭歌漢文(やまとうた・からぶみ)を引證
して風雅の媒と為す。是れ編める者の微意なり。以て愛(めで)つべし。是れにより夜ノ錦、夜の錦
ならず浮嶋も所を定め、桜川も猶春に逢ふがごとし。然といへども人の心面(おもて)の如くにて一
ならず。或は自ら是とし他を非なりと誘る説を為す。誰かその眞非眞是を知らん。各是非の間を出で
ざるのみ。しかのみならず世人多く新古の弁を費やす。これ何の意ぞや。想ふに、夫れ天地の道変
(うつりかわり)以て常とし、俳の風体も亦これに然り、寒きに附き熱に離(さか)る時の勢ひ、自
ら然ることを期せずして然る者なり。強いて論ずべからず。沾徳水子その趣きを知る人なり。
これが為に素堂書す 佐々木文山(書家)写し
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