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水戸駅から一つか二つ東京寄りの内原という駅から歩いて、たしか水戸市立の歴史資料館へ行きました。そこには「満蒙開拓青少年義勇軍」について常時展示していると聞きまして。満蒙〜義勇軍というのは、農家の口減らしと満洲の開発や治安維持を同時に進めるために、日本各地の農家の次男以下の男子を「屯田兵」として送り込んだんですな。
亡くなった義理の伯父も、この義勇軍に参加して渡満しました。その後の戦局悪化によって、主力部隊を次々と南方へ転出させた関東軍が、その穴埋めに義勇軍の青年たちを徴兵し、伯父も応召しました。
敗戦後、伯父はソ連に抑留されましてね。収容所が極寒のシベリアじゃなくて、カザフスタンだったかウズベキスタンだったか、ムスリムの住む半乾燥地域だったお蔭で、何とか飢え死にせずに復員出来ました。
食事は小さな黒パン2個と薄いスープだけ(これが1日分だったか、1食分だったか、どっちでしたかねえ)なので、監視の目を盗んでは、食べられそうなものを取ってきて食べた、とのこと。「カエルも食った」って、言っていましたよ。カエルの足は、やはり鳥のささみのようで、不味くなかったそうです。
シベリア抑留については、「日本軍人や民間人をソ連の役に立つよう、労働力として使ってほしい」と、関東軍司令官や幕僚どもが自らソ連軍に申し出た、という証言があるようです。口に出したかどうかはともかく、黙認したか忖度したか、いずれにしても自分の保身のために、ソ連と取り引きしたんでしょうな。今も昔も、官僚のやることは同じです。
史料館裏に復元された、団員たちのバラックです。ここに国内の訓練場があったんですね。
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2018年11月12日
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