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会津若松へ行きました.往復全て各駅停車で行ったので,正午前に着いて5時過ぎの列車に乗らなきゃなりません.見て周ったのは鶴ヶ城と飯盛山だけでした.日帰りで行くにも,郡山までは往復新幹線で行かないと,余裕をもって周れませんね.
駅前には白虎隊の銅像がお出迎えです.
会津藩松平氏の居城,鶴ヶ城は,戦後に鉄筋コンクリートで復元したものなので,外観は立派ですが内部は全く味気ないです.一応登って最上階の展望台から会津盆地を見回しました.
写真中央部,平地と接する一番手前の小山が飯盛山じゃないかと思います.コンデジて撮ったので,あまり綺麗じゃないですね.
バスで鶴ヶ城から飯盛山へ移動して,石段前へやって来ると,脇にエスカレータが動いていて,「石段を歩いて登ると,本当に大変です.どうぞエスカレーターをご利用下さい」というテープの声が誘っていますので,へそ曲がりの私は余計に歩いて登りたくなります.白虎隊の無念を思えば,こんな石段くらい歩いて登らなきゃねえ.
段数は数えませんでしたので,正確に分かりませんが,池上本門寺のあの石段の2倍くらいじゃないでしょうか.7割方登って来たところで息が切れて,一休みして登頂です.
登りきった平場に,自刃した白虎隊隊士たちの墓石がありました.彼らに敬意を表する意味で,墓石の写真は掲載を控えましょう.そこから,隊士たちの自刃した場所へ移動する途中に,こういう記念碑があります.会津藩に加勢して,美濃郡上藩の凌霜隊が鶴ヶ城に立て籠もったんですが,郡上藩自体はすでに薩長側に降伏していて,要するに幕府側と薩長側とに二股をかけていたんですね.
鶴ヶ城が開城した後,生き残った凌霜隊の隊士たちは郡上藩へ送られて,悲惨な末路をたどったようです.藩命で会津に味方したのに,逆賊として詰め腹を切らされたという訳ですよ.残酷なもんですな.
白虎隊の少年たちが望んだと同じ場所からは,天守閣のてっぺんだけが小さく見えますが,あの当時は高層建築物などありませんから,城がはっきり見えたことでしょう.
彼らは,城の手前の城下町から上がる煙や炎を見て落城と勘違いしたとも言いますし,まだ落城していないのを知りながら,薩長側に捕まるのを恥じて自刃したとも言います.
昔,ゼミの同期生で会津出身と鶴岡出身のやつがいまして,その頃の年末の時代劇で「白虎隊」を放映したのを見て,2人とも最後は泣いちゃったと言っていました.東北生まれの人間にとって白虎隊のお話しは,今でも大なり小なり心を打つものらしいです.ちなみに鶴岡藩も佐幕派で,その鶴岡出身の友人は「戊辰の時には新庄藩が裏切ったんだ」なんて言っていましたよ.それをアナクロで片づけると喧嘩になりますので,余計なことを言っちゃいけません.(笑)
会津若松駅の構内に,巨大な「あかべこ」がありました.次は新幹線で来ようね.
帰りも全て各駅停車なので,乗り換え時間がタイトでした.宇都宮まで来ると,東京行きの列車がまだたくさん出ている時間ですので,駅弁とワンカップ大関を買い込んで乗り換えました.餃子弁当が売り切れで,これにしましたが,駅弁屋のおばちゃんには悪いけど大して美味くなかったです.不味くはないんですけどね.
ちなみに,会津若松市内の観光スポットをまわる専用バス,小さな車体へ観光客が押しかけるので,大変に窮屈です.次に会津へ行ったら,あの観光客専用のバスは使わずに見て廻ろうと思います.それに「お上りさん」みたいで,みっともないんだもん.(笑)
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旅行
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静岡県の興津に,清見寺という寺があります.身延山地の南端が海に迫っていて,東北の蝦夷を防ぐのに好都合な地形であることから,奈良時代の朝廷が関所をここに置き,その関所を守る仏堂がこの寺の始まりだそうです.
この清見寺には,幼少の徳川家康が今川義元の人質だったころ,手習いをした三畳敷きの間が公開されています.部屋の場所は,家康の当時と違うらしいんですが,写っている柱や違い棚などは当時のものだそうです.こんなところに押し込められていれば,粘り強くなるのも当然かもしれませんなあ.
鎌倉幕府の御家人だった梶原景時の一族がここで討たれ,その血が染み込んだという板を,この土間の天井に使ってありました.本当に梶原景時の血なのか確かめようもない訳で,その分だけ不気味です.
明治になって清見寺の敷地内に東海道線が敷設されました.国策で寺から土地を取り上げたんですねえ.今では考えられない事です.寺へ行くには踏切を渡って行かなければなりません.
寺から東海道と海岸を見下ろす絶景も,今は港にコンテナ船と貨物の山が見えるだけです.
この清見寺,内部を見学するのに300円の拝観料を払わなければいけません.お金の事を言うのもちょっと下品ですが,300円でこれだけのものを見られるのは安いです.
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先日,秩父の和同開珎を見に行った時,東上線から乗り換えた秩父鉄道の寄居駅ホームは,ローカル線の風情満点で痺れましたね.この鄙び具合,池袋から1時間半ほどの距離にある駅とは思えません.
嬬恋スキー場では滑ったことがありませんけど,何十年も前に書いたらしい広告が描き変えられずに残っています.今でも一人乗りのリフトが残っていそうな,懐かしいスキー場なんでしょうねえ.
この表示板,内側に蛍光灯が仕込んでありません.田舎の駅の表示板そのものですよ.
ここ寄居駅には,東上線と秩父鉄道の他に八高線も接続しています.八高線には,まだ乗ったことが無いんです.高崎方面へ行くのにわざわざ八高線に乗って行くような,ホントの鉄ちゃんにはなりたくないです.(笑)
秩父方面行きの車両は,ついこの間まで東急の東横線や大井町線で使われていたものですが,乗り心地は悪くて随分揺れるので,最近まで東京で乗っていたのと同じ車両とは思えません.線路が悪いせいでしょう.地元の人には悪いけど,人間ならドサまわりといったところでしょうねえ.
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秩父鉄道の秩父駅から歩いて5分ほどのところに,秩父神社があります.秩父一帯の神社の総元締めといったところでしょう.例によって信仰心のまるで起きない私は,参拝じゃなくて見物です.
その本殿の正面の板壁に,左甚五郎作という虎の彫物が施されていました.本当に左甚五郎の彫ったものなのか,私には分かりませんが,そう思って面白がっておけば,見に来た甲斐もあるというものです.
その虎の彫物の真裏の梁にも,これまた左甚五郎作という「つなぎの竜」が彫られています.
今,思いついたんですが,青い竜の反対に虎が彫られているということは,本殿の正面は西向きで「白虎」(この神社の場合,白くはないですけど),真裏は「青竜」で東向きなんでしょう.
とすると,南北を向いた面には,それぞれ孔雀みたいな「朱雀」と亀の「玄武」が彫られていたんだろうと思いますが,このときは荷物が重くて疲れていたので,そこまで気が回りませんでした.実際に見に行かれた方は,実地に確かめてみて下さい.(笑)
秩父神社の隣に「秩父まつり会館」という,ちょっとした博物館がありましたので,入ってみました.お客が入って来ると,少人数でも山車に灯りを入れて,音声の説明をかけてくれますし,10分程度の映像で秩父夜祭のあらましを教えてくれます.祭りは日時が決まっているので,その時に見に行けない場合がありますから,ここで山車や展示品,映像などを手軽に見られるのは便利です.
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日本史で習った和銅開珎,国産の銅を初めて産出したのが秩父の黒谷というところで,秩父鉄道の最寄駅近くの小さな谷沿いに,今でも銅の鉱床が露出しているんだそうですが,あいにく先日の関東の大雪の際,秩父では30cm以上の積雪があったとかで,銅鉱床への細道は雪が積もったままでした.履いて行った普段履きの靴の裏は,磨り減ってのっぺらぼうでしたので,とても雪の坂道は歩けまいと断念して,こちらの神社で代わりとしました.
右側の和同開珎のオブジェは,近づいてみるとベニヤ板の貧相な偽物です.オブジェに銭を惜しんだのがありありと見透かされて,こんなものを見てしまった自分が情けなくなりました.本物の銅鉱床は,雪の消えた頃に気が向いたら,撮りに行きましょうか.
最寄駅の秩父鉄道・和銅黒谷駅のホームには,神社のベニヤのオブジェよりはマシなものが飾ってあります.こっちは原料が銅なのか分かりませんが,多分金属ではあるでしょう.
街中のいろんな場所から,武甲山の痛々しい姿が見えます.山の上半分を削った傷跡は,石灰岩を切り出してセメントの材料にしたために付いたものです.人間は,すごいことをやるもんですねえ.歯医者が虫歯を削るのと同じで,無慈悲なもんです.
写真右側に写るクレーンは,西武秩父駅前の「複合型観光施設」(と西武のホームページにあります)の建設現場です.なんでも温泉を使った日帰り入浴施設と物品販売を併せたものになるとか.無理やり絞り出した鉱泉でも法律上は温泉ですから,有ると無いとでは観光客の受けが全然違います.
秩父鉄道の寄居駅で秩父行きの列車を待っていたら,石灰岩を積んで熊谷方面へ行く貨物列車が通り過ぎて行きました.これが目の前をただ通り過ぎるだけで,貨車に積んだ石灰岩から埃が舞って,のどがガサガサするほどでしたよ.秩父鉄道は,元々セメントを輸送するために敷かれた会社だったんですよねえ.
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