kuroyuonsenのブログ

このブログ,段々と愚痴をこぼすコーナーになって来ました。

旅行

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先日,三春へ行った時に乗った磐越東線では,今ワンマンカーだけが走っているようです.30年近く前,分割民営化直後に乗った時は,たしか車掌が同乗していたはずで,どの駅でも全部のドアが開いた記憶があるんですが,今は上の写真の注意書きのように乗り降りしなきゃいけません.東京の電車に慣れている人間は,気を付けていないと降車できずに次の駅まで行っちゃうんですよ.(笑)

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こっちは,郡山と新潟県の新津とを結ぶ磐越西線で,たしか郡山から喜多方まで電化されていたはずです.乗り降りするときに,客が自分でドアボタンを押す方法は,こちらも同じでしょう.郡山と喜多方の間を走る電車には車掌が同乗すると思いますので,先頭車だけから降りる必要はないと思います.
赤べこのイラストがユーモラスで可愛いです.

まだ会津若松にも行ったことがありませんでね.会津では春のお彼岸に,郷土芸能の「彼岸獅子」というのを見せてくれるそうで,どうせ行くなら,それを見物しなきゃ損ですから,今度のお彼岸ですかねえ.
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三春城址を下って来ると,この家の前に本陣と彫った石碑が建っていました.写真に小さく写っています.三春は,中通りの郡山と浜通りのいわき平を結ぶ街道の中継地点で,人や物の往来が盛んだったようです.写真の家が本陣だったとすれば,大名行列もこの街道を通ったのかも知れませんが,専門家でない私に真偽は分かりません.まあ,物流や商工業が盛んだったということまではうなずけます.

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生糸で財を成した人物の旧宅が無料で公開されていたので,見学させてもらいました.建物自体は日清戦争か日露戦争か,どちらかの頃に建てられたんだとか.ここの当主が,その当時の俳人たちのパトロンになっていたんだそうで,短冊がふすまに張り付けてあります.有名な人では,若山牧水がこの家へ出入りしていたとか,よくしゃべる管理人のオッチャンが言っていました.

生糸の他にも,江戸時代から漆やたばこの生産が盛んだったようで,米が出来ない分,他の換金作物でかなり潤っていたんですね.

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忘れちゃいけないのが三春駒.三春の馬はかなり昔から,軍馬や農耕馬として重要な役割を果たしていました.江戸時代には領主の秋田氏から将軍家へ,選りすぐりの俊馬を献上していたとか.

町の外れに市が立ち,馬の取引でたんまり儲けた馬喰が,帰りに遊郭で金を落としたんだそうで,そうした遊郭が昭和30年代まで実際に町はずれで営業していて,今は廃業しているものの,建物が残っているようです.

こんな山の中に遊郭って,変だなあと思っていましたが,三春はついこの間まで,物産流通で潤っていたので,俳人を呼んだり色里が出来たりする余裕があったんですねえ.今では想像も出来ませんけど,実際に見聞きして勉強になりましたよ.今度機会があったら,残っている遊郭の建物を見に行こうかと思います.

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明治初期の福島県は,東日本で自由党の最も活発な地域だったそうです.で,三春出身の政治家・河野広中の顕彰碑も建っていました.

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日本史で習った「加波山事件」にも,河野広中は加担していたようで,事の経緯を記してありました.
明治初期の自由民権運動って,案外山間地で盛んだったんですよね.関東地方でいえば秩父とか五日市とか.あれも生糸や材木で潤った連中が,自由党のパトロンになっていたんでしょう.政治経済にしろ文化にしろ,こういう山間地で成立するには,それなりの訳があったんですねえ.

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だるま市に見切りをつけて,三春城址へ登りました.上の1枚目の位置まで来るのがまず大変です.下の目抜き通りと30m位の高低差のある急坂を登らねばならず,一気に身体が温まり,息が切れます.ここまでは自動車で上がって来られます.

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駐車場の脇に,伊達政宗の正室・愛姫の名を刻んだ石があります.ここを支配した田村清顕が父親で,政略結婚で田村家から伊達家へ嫁いだんですな.

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つづら折りに上がる道の折り返し点に小さな平場の城門跡がいくつかあり,戦時には城兵が籠もって,拠点になったんでしょう.上の写真は本丸下の大広場で,人的なキャパシティも最大でしょう.将兵はここを本拠地にして,坂を下って出撃したんじゃないでしょうか.

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大広場から反対を見ると,殿様と家族,重臣たちの籠もったであろう本丸があります.
兵糧攻めにでもされない限り,普通の戦なら守る方が断然有利ですよ.鎧兜や武器を持って細い急坂を登れば,上から狙い撃ちにされますからね.

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ここが本当のてっぺん,むこうの石垣は奥跡,ということは城主とその一族が寝起きしたんでしょう.しかし,ここへ一族郎党が籠もるのは戦時で,愛姫も生まれたのもここでなくて,普段生活する城下の御殿でしょう.
下界はだるま市で賑わっているのに,こちらは寂として声無しです.

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下を見ると,目抜き通りにテキ屋のテントが小さく見えます.街からてっぺんまで高低差が80mほどあって,膝が笑いそうになりましたが,上まで登って良かった.失敗したのは,こんなに見晴らしが良いと分かっていたら,双眼鏡を持っていくべきでしたね.荷物になると思って止めちゃいました.
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昨日,福島県の三春町へ「だるま市」を見に行きました.郡山駅まで高速バスに乗り,同駅からJRの磐越東線に乗り換えて2つ目で降ります.この路線は非電化なので,ディーゼル車が走ります.電車でなくディーゼル車に乗ると,日帰りであっても旅行したような気分になります.

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駅から三春町の中心部まで約1.5kmと,歩くのに苦でない距離ですし,バスも無いので歩きます.途中,こういう看板を見ました.隣の田村市は,原発の放射能漏れで名前の聞かれたところですので,この三春にこういう看板があるのも「むべなるかな」でしょうなあ.

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さて,だるま市の方はというと,肝心要のだるまより食べ物を売る店の方が圧倒的に多く,また来る客もだるまに関心の無い様子で,焼きそばやらお好み焼きの方にばかり血道を上げています.そのうえ,だるまの露店の中には「白河だるま」を売る店もあって,こりゃダメだと見切りを付けました.
なぜ三春で白河だるまを売らなきゃならんのだ,などといっても無駄なこと.どういう由縁でこの町にだるま市が立つようになったのか,怪しいもんです.

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三春といえば,この枝垂れ桜が有名ですが,当然時季じゃないので,町役場に飾ってある写真で代用することにします.(笑)

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三春といえば,伊達政宗の正室の愛姫が生まれ育ったところで,城跡も残っているので,だるま市は諦めて三春城址を見に行くことにしました.三春城は戦国時代に田村氏が築いた山城ですので,戦が止めば無用の長物,江戸時代に三春へ移された秋田氏は,山の麓に御殿を建てて,普段は城へ登らなかったそうです.その御殿跡に小学校が建っています.

城跡のお話は,次回に.
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秩父鉄道お花畑駅の立ち食いそば屋です.午後3時には看板なので,東京から出かけてここのそばにありつけるよう,スケジュールを組むのが難しいです.ここの蕎麦だけ食べる為に,わざわざ秩父へは行きませんしね.

毎年12月の2,3日,秩父で「秩父夜祭」と呼ばれるお祭りが開かれます.各町内から大きな山車が引き出され,冬なのに花火も打ち上げられて,なかなか賑やかなんだそうです.亡き恩師からこの祭りのことを聞かされて以来,一度は見てみたいと思いつつ,30年近くやり過ごして来ました.
秩父市内の宿は,この祭りの期間に限って大体満室で予約がとれませんし,祭りが終わって,夜遅くに向うを出ると午前零時頃に我が家へ帰ってくることになるので,どうしても二の足を踏んじゃうんですよねえ.

今年こそは,どうでしょうかねえ.(笑)

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