kuroyuonsenのブログ

このブログ,段々と愚痴をこぼすコーナーになって来ました。

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どっちが大家か

栃木県の栃木市へ行きました。18きっぷの最後の1回分を消化するために、この時はJRで行きましたが、普通に東京から行くには東武で行くのが便利ですね。JRの両毛線は線路が悪くて、電車が揺れるのなんのって・・・

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栃木市は、「蔵の町」として売り出しています。市内に残る日光例幣使街道や巴波川(うずまがわと読むようです)に沿って、古い家並みが多く残っているようで、そういう家々を見物する為に駅から大通りを歩いていくと、東武デパートの2階に市役所がありました。珍しいですね。

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日曜日なので、店舗部分は営業中ですが2階の市役所は休みです。旧市役所は現在の市の中心部から少し離れたところにあって、より駅に近い場所に最近移って来たようです。しかし便利は便利でしょうが、デパートの2階に市役所があるのは、かなり奇異に見えますね。

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1階部分に食堂がありました。素うどんに大根おろしを乗せたのを頼みましたが、私より後の食券番号が先に呼ばれて、すっ飛ばされましたので、姉ちゃんに抗議すると、「料理の種類によって、順番が前後することもあります」などと言い訳をしました。

そのねえちゃんを見ていると、言い訳をした後にうどんの玉を釜に放り込んでいましたから、私の注文はやはり忘れていたんですな。ウソつくんじゃねえよ。二度と来ねえぞ、こんな街。

そのウソつきねえちゃんと、もう一人のおばちゃんでトロトロ仕事をしているので、食べ終わって返されてきた食器がほったらかしになっています。食べ終わったトレイと丼を置くところが無かったので、既においてあるトレイの下に私のトレイを重ねて、丼も他の人が返した丼に重ねましたよ。

この体たらくを先に見たら、こういうだらしない食堂など使わなかったものを。

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ここは、刑務所のある町だったんですな。調べたら、栃木刑務所は女子刑務所だそうです。

回向柱と相田みつを

先日、須賀川を訪れたとき、立ち寄ったお寺です。

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うちへ帰って来て調べると、長松院という曹洞宗のお寺だそうで、松尾芭蕉をこの須賀川で迎えた相楽等躬という人のお墓があるんだとか。そうと知っていれば句心の無い私も、ちょっとお参りしておけば良かったです。

何しろ行き当たりばったりで来て、雨も割と強く降っていましたし、歩き疲れてもおりましたのでね。もったいない事をしました。

相楽等躬という人、須賀川の宿場役人かなにかだそうですが、実のところは私もよく知りませんので、間違いがあったらご容赦。芭蕉を泊めたんですから、奥羽の芭蕉のパトロンの一人だったんでしょう。

この本堂の前に立つ柱、よく長野の善光寺のご開帳の時に、本堂のご本尊とこの柱を布で結んで、善男善女が触っていますね。この柱、何という名称かと思って調べると、回向柱というんだそうです。いい年して、調べないと何にも分かりませんでね。

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多分、この長松院の境内にあったものだと思うんです。というのも、「相田みつを」には全く興味も無いもので。
この寺の人がファンなのかも知れませんし、何か縁でもあるんですかねえ。

「相田みつを」って、何を言いたいのかが分からんのです。しょうもない文句を書いて喜んで。

白河の関

須賀川へ行く前に、福島県の白河市にある白河の関を見物しました。というより、白河の関を見て後、思いつきで須賀川へ行ったというのが実態ですが・・・

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ご存知の通り、奥州への入口に都の朝廷がつくった関の一つです。目的は何かといえば、朝廷に仇なす「蝦夷」の南下を防ぐためでしょうな。私も京の都から見れば東夷でしょうから、やはり東北の人に同情的な感情を持ちます。早い話が薩長土肥よりも、会津や庄内や長岡の肩を持ちたくなる訳ですよ。

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千年以上の歴史があり、源義家や頼朝、義経などに由来するものもありますが、いちいちご紹介するのも面倒なので、2つばかり。

源頼朝の平泉攻めの際、ここへ立ち寄って梶原景季に詠ませた歌は、鎌倉殿にゴマをする姿勢が何とも露骨で、イヤらしいですな。

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東北が朝廷や鎌倉政権によって征服された後は、白河の関も段々と意味が薄れて、位置もハッキリしなくなっていったようです。江戸時代、あの「寛政の改革」の松平定信は、白河藩の藩主であったことから、家来たちに命じ て文献を調べさせ、白河の関があったのは、現代の地図上に記されるのと同じ場所にあったと断定したそうです。

戦後、発掘調査をしたところ、空堀や土塁の跡なども発見されたことから、多分ここが白河の関のあった場所だろうと認識されていますが、本当にそうなのかどうか・・・

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関跡の真向かい、バス停脇に、こういう看板が立っています。ここも、放射能の通り道だったんですな。
福島県の須賀川というところへ行きました。その昔の大河ドラマの[独眼竜政宗」の、番組始めの紹介で、二階堂氏の須賀川城が政宗に焼打ちされた、というのを覚えていましてね。

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駅舎内の観光協会で、パンフレットを物色すると、須賀川城落城についての紹介は全くないのに対して、ここ須賀川は特撮の神様・円谷英二の生誕地であることがアピールされています。そうだったんですな。

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駅を降りて目抜き通りを進むと、円谷さんの生家跡にウルトラマングッズを売る店がありました。多分、親戚筋の人が経営しているんでしょう。

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本放送時には見ていないものの、私も幼稚園の頃から何度も再放送を見ましたし、怪獣のビニール人形を散々集めた方ですので、あんまり円谷さんの批判はしたくありませんけど、円谷さん死後の円谷プロは、ウルトラシリーズを焼き直しては時代々々の子供をだまして、商売しているようにしか見えません。その方が楽ではありますけどね。そう思うのは、私一人ですかねえ。

ウルトラグッズの店の裏には、やはり円谷さんの親戚筋の人が経営する喫茶店がありました。もう二度と来ることも無いだろうからと、記念に入りましたが、田舎町の喫茶店にしては気取った雰囲気があり、居心地は良くありませんでしたな。屋内全面禁煙だったのも、喫茶店としては減点材料ですな。
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先日、身延山へ登った時の写真です。

日蓮の草庵跡を見物する途中、この常唱殿がありました。ここの前を通るとき、行きも帰りも「南無妙法蓮華経、〜」の経文が聞こえていました。常唱というんですから、夜中でも何時間かおきに読経をやっているのかも知れません。

門前町からちょっとした坂道を上がって来て、息が切れ始めるところにこの建物があるんで、ナチュラルハイになっていたんでしょう。柄にもなく神妙な気になりました。

屋根は藁や萱でなく、木の皮を何枚も重ねたように葺いてありました。こういうのを檜皮葺というんですかね。
玄関の屋根は、ちょうど東京の古い銭湯にあるのと同じような形です。たしか、こういう屋根の形を唐破風といったように思います。合っていますかねえ。

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