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勝沼のぶどう畑を見物して、その後どこを見物するかを決めずに駅へ戻ります。
前の勝沼駅は、今の駅の脇にあって、古いプラットフォームが公園として保存されてます。説明板によると、古い駅の時代には、ここにスイッチバックが置かれていたようです。
甲府まで普通列車で来て、釜無川の信玄堤を見に行こうと思いつき、甲府駅前からバスに乗って最寄りの停留所で降りて、釜無川の河川敷まで歩きました。
信玄堤は、名前と異なり、武田信玄の時代だけに築かれたものではないようです。江戸時代に入っても信玄の治水思想を基にして作られた治水構造物を、総称して信玄堤と呼んでいるらしいですね。
3枚目の写真左の堤防は、現代の思想でつくられた堤防で、信玄堤のように不連続なものではありません。
写真の説明文をご覧頂けばお分かりのように、上の写真は「聖牛」と呼ばれる構築物を復元したもので、信玄の時代に釜無川の洪水を緩和するため、造られたものです。これを川の中に築いて、水流の力を弱めるのが目的だったんでしょう。
復元した聖牛が河原に置いてありました。現代の洪水をどれだけ緩和できるものなのか、意味合いは分かりません。まあモニュメントじゃないでしょうか。
信玄の時代の「信玄堤」は、いま私たちが諸河川で目にする堤防と違い、切れ切れになっていて、洪水をわざと一定の場所に溢れさせ、釜無川の水位が低くなるにつれて、自然に水を引かせる構造になっていたようです。
明治以降、ヨーロッパの治水技術を導入してきた我が国の今の治水思想とは、根幹から対立する思想ですが、日本の激しい自然によく適応したものでもあります。流行の「エコロジー」思想とは、非常によく順応しますよ、きっと。
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旅行
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18きっぷで、勝沼へ行きました。平成の合併で甲州市になる前の勝沼の方が、ずっと馴染みがあります。
勝沼ぶどう郷駅を降りると、甲府盆地を見渡せます。空気がきれいで、良い気分です。どこに限らず遠くを見渡すのは、秋から冬にかけての空気の澄んだ時期が良いですね。
勝沼ぶどう郷駅です。旧勝沼町の中心部からは、山側へ外れたところにあります。勝沼といえば、たしか近藤勇以下の旧新選組が甲陽鎮撫隊などという名称で、勝海舟に体よく江戸を追い出されて、新政府軍との戦で負けたところですな。
谷を挟んで駅の真向かいに、勝沼ぶどうの丘という観光施設があります。ぶどうの時期ですし、日曜日でしたので、ものすごい人出です。
ぶどう狩りの畑も、稼ぎ時です。
こちらは、ぶどう狩りをしない普通の畑です。ぶどう狩りの畑の方は、観光客がもぎ取りやすいように、大分高いところにぶどうを這わせていますが、一般の畑では人間が腰をかがめて、あるいはしゃがんで作業しなきゃならんほどの高さです。一枚上のぶどう狩り畑の写真と比べて、ぶどうの高さの違い、お分かりになりますかねえ。
現地で見て初めて知りました。農家の人も大変ですね。腰に来ますよ。
ぶどうの丘で、見た目は中南米のラテン系と見える人が、外国人にしてはかなり達者な日本語で、日本人スタッフと一緒に交通整理をしていました。こういう人がいるんですね。
前の写真は大粒の種ありだったでしょう。こっちは、私らが東京でよく食べる種無しぶどうです。品種は何というんですか、デラウェアですか?たわわに実って、収穫を待つばかりです。これは見ていて、ちょっと美味そうです。
駅への帰り道にも、あちこちにぶどう農家の販売所が店開きしています。今が旬ですもんねえ。熟れて落ちたぶどうが発酵して、甘い香りを漂わせていたのも良い雰囲気です。
釜無川の信玄堤の様子は、次回お目にかけます。
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18きっぷを使って、身延山の久遠寺を見物して来ました。
JR身延駅です。身延線に乗ったのは、富士宮へ行った時以来、30年ぶりくらいですかね。富士宮以北の身延線は単線なので、上下線の列車交換で何度も停まるし、カーブ区間が多くてトロトロ走るので、気長にかまえなきゃいけません。(笑) 駅から久遠寺下の門前町まで、山梨交通の路線バスに乗って行きます。所要時間は15分ほどです。
久遠寺の門前町です。鄙びていますが、寂れた感じではないですね。「ほうとう」とかアワビの煮貝とか、お馴染みの甲州土産を売っています。
門前町が終わると山門です。久遠寺は日蓮宗の総本山ですから、山門も大したものです。門前の観光協会のおじさんも、総本山であることを随分自慢にしていました。お国自慢というやつですな。(笑)
観光協会のおじさんによると、「日蓮さんが最初に庵を結んだ跡を、ぜひ見て行ってくれ」とすすめてくれましたので、まずそちらから。日蓮とその弟子たちが、ここにあばら家を建てて暮らしたんですねえ。臨終の地の池上本門寺と違って、この庵跡では、彼らの息遣いを感じられるようです。
さあ、本堂への石段です。これはもう言語に絶するもので、本門寺の石段など比較になりません。この石段を登るのは早々に諦めて、エスケープの坂道を登りましたけど、その坂道もきつかったですよ〜。
石段の頂上から下を見ると、こういう感じです。写真にしちゃうと、この傾斜のものスゴさが真実味を持ちませんね。
上の写真の黒塗りの建物が、本堂でしょう。近寄ってみると、鉄骨造りでなく全て木造のようで、なかなかに立派です。
本堂のある平地からさらに上の山頂に「奥ノ院」、すなわち日蓮が房州の両親を敬って建てた「思親閣」があります。有りがたい事に山頂までロープウェイが架かっておりますので、当然文明の利器を使わせてもらいました。山頂駅を降りると、山麓よりも3〜4℃は気温が低いようで、涼風が非常に心地よく感じられました。
山頂駅へ戻る途中、展望台から富士川を眺められます。向かって右側が下流で静岡県の方角、左手は上流の甲府の方角です。天気が良ければ右手に駿河湾、左手の山稜越しに富士山の頂上部分が見えるそうですが、夏の事ですから大気中に水蒸気が多くて、どちらも見えませんでした。晩秋の好天時に来れば、素晴らしい眺望でしょう。
いや、久しぶりに楽しかったですわ〜。
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画像のプロパティを見ると、昨年の6月に訪れたときに撮って、そのままお蔵入りにしていたもんですねえ。埼玉県の笛吹峠というところへ行きました。
東武東上線の坂戸からでしたか、バスで終点まで乗って、そこからは歩きで片道40分ほどでした。
青梅がなっていました。近くの越生には梅林があり、梅の産地です。
その梅の木の下に生えるのは、生姜ですかねえ。はじめは茗荷かと思いましたが、うちへ帰ってから茗荷の画像と見比べると、やはり生姜の仲間のようです。
峠といっても海抜80mほどではなかったでしょうか、なだらかな丘陵の上にある峠です。鎌倉へ通じる道であり、板東三十三観音の巡礼者も行き来する道だったようです。
笛吹峠の名の由来は、南北朝の動乱期、新田義宗(新田義貞の三男)に奉じられた宗良親王(後醍醐天皇の何番目の皇子でしたか?)が、足利尊氏の軍勢に敗れて敗走する途中でこの峠に陣を張り、月を眺めながら笛を吹いたという伝説だそうです。日本のいくさは、敗者にも風情というか美学がありますな。
峠から元の道を引き返す途中、道端の畑には麦が実っていました。大麦なのか小麦なのか、細かい種類は何なのか、東京育ちで農家に縁の薄い私には分かりません。近くに農家の人がいれば教えてもらったんですがねえ。
バスの停留所近くに、おでん、焼き鳥、味噌ラーメン、カレーうどんなどを売る自動販売機がありました。変なものを売るもんですねえ。本当に缶詰にして売っているんでしょうか。(笑)
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昨日の続きです。
景徳院境内の、勝頼・信勝・北条夫人の供養塔です。真ん中が勝頼、向かって左が信勝、右が北条夫人のものではないかと思います。
景徳院下に小さな谷川が流れていて、かつてここにあった池で、織田方が勝頼と信勝の首を洗ったので、「血洗い池」という名がついたらしいんですが、今見ると池は無く、谷川があるだけです。400年経って、池は土砂で埋まってしまったんでしょうかね。これも凄い名前ですよね。
さて、甲斐大和駅から中央線に乗って塩山で降り、向嶽寺という禅寺を見物しました。どうもこの寺、周りにお土産屋や飲食店が全くなく、殺風景で素っ気ないです。
はるか昔の大河ドラマ「武田信玄」で、この向嶽寺の築地塀には、いざというときのために備蓄用の塩が塗り込められている、と紹介していたのを覚えていましたので、今でもその塩の部分を見られるようになっているのかと思えば、きれいに塗りなおされています。
寺のホームページを見ると、備蓄用に塩を塗り込めたなどとは全く書かれておらず、近くの山から岩塩を採取して「にがり」をつくり、壁土に混ぜて強度を増すようにした、などと書いてあります。「武田信玄」の中で紹介していたあの逸話、一体何だったんでしょうかねえ。それに、日本で岩塩が採れるなんて、聞いたことがありませんね。
予定では、ここで1時間半ほど見学してから、もう少し山間の恵林寺へ行こうと思っていました。甲州攻めの時、逃げ込んだ武田方の武将を、織田方へ引き渡すのを拒否したため、恵林寺は焼打ちに遭いました。その時、僧・快川紹喜が「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」という例の名文句を残して焼け死んだという、あの寺ですが、疲れたので止めました。(笑)
塩山駅から電車に乗って甲府で降りると、甲州は信玄さんしかないんですね、結局。今は周りを工事中で、落ち着きません。
甲府は、以前武田神社やら甲斐善光寺やら、名所旧跡をひと通りまわりましたし、歩き疲れたので帰りました。
甲府城も、駅のホームから眺めるだけで行ったことにします。(笑)
ちなみに、この甲府城は武田家滅亡後、たしか甲州に入った浅野長政のつくった城です。信玄の時代には「人は城、人は石垣、人は堀」で、甲府市内に城は無かったでしょうから。
甲府へ行ったら、信玄さんの悪口は言わない方が無難です。
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