kuroyuonsenのブログ

このブログ,段々と愚痴をこぼすコーナーになって来ました。

旅行

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兵どもの夢のあと

中央線の甲斐大和駅から歩いて、武田勝頼が最期を遂げた景徳院という寺を見て来ました。

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甲斐大和駅は特急の停まらない駅で、周りに観光地も少なく、地元の人以外にあまり降りるお客はいないようです。今は無人駅になっています。

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改札を出ると、駅前に武田勝頼の銅像が建っています。

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3枚目の画像に写るトンネルは、国道20号線のもので、奥の方向に笹子峠があります。甲斐へ攻め入った織田軍本隊と別に、滝川一益らの別動隊が今の大月側から笹子峠を封鎖して、勝頼一行の行く手を阻んだようです。武田家重臣で、今の都留市や大月市辺りを治めていた小山田信茂が織田方に内応して、滝川らの別動隊が笹子峠へ向かうのを許したんでしょう。その小山田信茂も、主家を裏切った不忠者として、信長によって処刑されています。

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今の大月市にある、小山田信茂の岩殿城を目指していた勝頼一行は、小山田の裏切りと滝川一益らに追い詰められて、天目山の麓の田野という集落で最期を迎えます。勝頼と息子の信勝、北条家から勝頼の後妻に入った北条夫人の3人に自害の時間をかせぐため、残った家来たちはこの古戦場で、織田軍に対して死に物狂いの戦いを挑んで、全員が討ち死にしたという事です。凄い話ですよね。

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家臣たちが捨て身の防戦をしている間に、勝頼・信勝・北条夫人が自害した場所には、景徳院という寺が建てられました。たしか、家康が建てさせたんじゃなかったでしょうか。

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勝頼が切腹する際に座ったと伝わる石です。こんな扁平な形に削る時間などある訳ないですから、近くのどこかから石をここへ持って来たんでしょうかねえ。

結果的には甲斐武田家を滅亡させた張本人ですから、勝頼は親父の信玄より劣った人物ということになるんでしょう。実際のところは、私にも分かりません。

この後、山を下りて甲斐大和駅から中央線に乗り、甲府へ行きました。これ以上画像を載せると、サイズの上限に引っかかりそうな気もしますので、甲府の様子は次の回でご紹介します。

ときがわ町・慈光寺

埼玉県のときがわ町というところにある、慈光寺という寺を見物して来ました。

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東武東上線の武蔵嵐山という駅から、土日休日に限って、山の上のこの寺へ直通バスが出ていますが、平日は麓の「慈光寺入口」という停留所までしかバスが行きません。麓からここまでの道は、傾斜もきつくヘアピンカーブの連続で、この時期に歩いて登るのはきついですねえ。でも、自転車で登って来る人が随分いましたよ。根性あるなあ。私は根性ないですから、行きも帰りもバスでした。(笑)

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2枚目が本堂というか、納経堂というんでしょうか。寺の人が生活する家屋と棟続きのようになっています。

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3枚目は、本堂から少し上ったところの観音堂で、千手観音をまつってあるようです。先に上がって来ていたおじさんが、朗々と読経していましたので、デジカメのシャッター音で人の信心を邪魔したら悪いと思い、後ろ姿をミノックスで撮らせてもらいました。オイオイ。

冗談はともかく、信仰でやって来る人がいるんですねえ。ここは板東三十三観音の、たしか九番目の札所です。

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午前中、こちらでも雨が降ったようで、非常に蒸し暑かったんですが、アジサイを見るのは、そういう梅雨らしい日の方が味わいがあります。

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このバスで、山上の寺まで登って行きました。

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嵐山町は、木曽義仲の生まれた土地だそうで、改札からロータリーへ下りる階段に、こういう写真が飾ってありました。春先や秋の涼しい頃、麓から山上の寺まで、ハイキングを兼ねて歩いて登るのも良いかも知れません。

呉越同舟

岩井堂から下りて来て、秩父鉄道の影森駅から秩父鉄道に乗って、秩父駅で降りました。

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岩井堂のある場所へは、上の写真の昭和電工の敷地を通って行かねばなりません。工場の方も、巡礼者やハイカーがよく来るので心得たもんです。受付のおじさんに挨拶して、出入りさせてもらいました。
後ろに見える山は武甲山です。秩父の中心市街地から見るのとは、山の形が少し違います。当たり前ですが。

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熊谷方面行きのホームに、有料の急行列車が入って来ました。元西武のお古を買って、車内をロングシートからクロスシートに改装しています。ひと駅乗っても全区間乗っても、一律200円の急行料金を取られますので、次の各駅を待って乗りました。(笑)

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下りホームから、元東急のお古が三峰口方面へ出ていきました。呉越同舟ですな。秩父鉄道は単線ですので、ここで上下列車の交換をしていたんですね。

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待合室には、長瀞のライン下りのポスターや、秩父夜祭りなどの写真がありました。バーチャルな旅行をお楽しみ下さい。(笑)

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埼玉から群馬にかけての人は、よく「だんべ〜」って言いますね。これが千葉から茨城だと、「だっぺ〜」になります。まあどっちも、テレビラジオで標準語の影響を受けて育った世代は、あまり使わないかも知れません。

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秩父駅で降りて、駅前のバス停でバスを待っていると、汽笛を鳴らして蒸気機関車が入って来ました。なんとかいう特別列車です。生まれてこの方、蒸気機関車の引く列車に乗ったこと、ないんですよねえ。(笑)
秩父札所26番所の臨済宗円融寺という寺の、通称岩井堂という観音堂を見物して来ました。いや、その石段がスリル満点でしてね。

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手すりがあるからいい様なものの、石段は300段くらいあるそうで、足をかけても奥行が狭くて踵がはみ出しそうになるし、タガネで荒く削った石なので真っ平じゃないし、苔むして滑りそうなところもあるし、ヒヤヒヤものでした。
こういうところを今でも巡る巡礼の人がいるんだから、すごいですよねえ。

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石段を登りきると、こういうスゴいお堂が建っています。鳥取県の三朝温泉の近くに、三徳山投入堂という、想像を絶するお堂があります。それほどではないにしても、なかなかスリルのあるお堂でしょ?(笑)

鳥取の「投入堂」は、生涯見に行けないかも知れませんので、その代わりといっては失礼ですが、ここを見学させてもらいました。欄干の高さと比較して、いちばん高い柱の長さは7、8mあるんじゃないでしょうか。

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床板は厚くてしっかりしていて、ちょっと安心しました。床が腐っていて、踏み抜いて下へ落ちたらと思うと、ゾッとしますよ。

いやしかし、巡礼さんのご苦労が少しだけ分かった気もします。

男のパラダイスか。

深川不動は、真言宗の成田山新勝寺の別院ですので、成田まで行かなくてもここでお参りをすれば、同じご利益がある訳です。江戸時代の初代市川団十郎が新勝寺を崇拝したことから、成田参りを望む江戸の団十郎ファンのために、いわば新勝寺の「特別出張所」をつくって便宜を払ったらしいんですね。賽銭は、どこで頂いてもカネの価値に変わりありませんからね。

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本堂の脇に、何を造っているんだか知りませんが建設中です。記念会館のようなものじゃないでしょうか。よく見ると、外壁に連ねてあるのは梵字です。耳なし芳一じゃあるまいし、不気味ですわ。(笑)

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深川不動は、元々永代寺の付属施設のようなものだったらしく、本家本元の方は明治の廃仏毀釈で絶やされてしまい、その後に再建を許されたようです。江戸時代の永代寺は、明治以降よりも広大な敷地を持って栄えていたようで、例の「岡場所」もこの門前町にあったそうです。「男のパラダイス」といったところでしょうな。ムフフ。

寺や神社を管理したのは、町奉行でなくて寺社奉行なので、いくら町方が岡場所を取り締まろうとしても、寺社奉行管轄の門前町には手を出せなかったんでしょう。二重行政というのか、縦割り行政の弊害というのか、あるいは本音と建前というのか、今と全く変わりませんなあ。

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永代寺、今ではどっちが付属施設だか分からないくらい、小さな寺になってしまいました。

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極めて大ざっぱな紹介ですので、間違いも多々あります。詳しくは、それぞれお調べ下さい。

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