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昨日、テレビ東京の「モヤモヤ・・・・・」という番組で、長野県の上田市を取り上げていて、その中で休業中のこの建物が出て来ました。番組を見ていると、どうやらここ、元々あった映画館を数年前に演芸場風の外観に改装して、某映画のロケに使ったんだそうで、昔から「雷門ホール」と銘打って営業していたんじゃなさそうです。私がここで写真を撮ったのは、ロケ後も改装したまま放置してあった建物を見て、ちょっと感動してしまってのことだったんですねえ。
ん〜、だまされた。
考えてみれば、上田くらいの規模の町に演芸場があるというのも不釣合いですが、土地の事情を全く知りませんし、近頃の日本映画はつまらないものばかりで全く見ませんので、この元映画館でロケをしていた事など露知らず、まんまと一杯食わされましたよ。まあ、そういう言い方をしては、上田の人に失礼ですけどね。
手前のストリップ小屋も、ひょっとすると映画の撮影用につくられたニセモノかも知れません。大体、いくら何でも信州上田で「花やしき通り」というのも、あまりに節操が無さすぎますわね。
ニセモノを掴まされて、バカを見た気分です。本物なんて、そうそうあるもんじゃないですねえ。
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旅行
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先日、茨城県東海村の「虚空蔵さん」を見物した時、お花祭りの数日前でしたが、本堂の前で参拝客に甘茶を無料で振る舞っていました。私は信心で来ている訳じゃないので遠慮して、境内を散策しているうち、外国人のツアーコンダクターのIDカードが落ちていたので、拾って寺の受付へ届けました。その後、「珍しく善行をしたんだから、甘茶の一杯くらいご馳走になっても、罰は当たらんだろう」と思って、甘茶を一杯飲ませてもらいました。
私も花祭りの由来を詳しく知りませんので大きなことは言えませんが、クリスマスにハロウィンと来て、今年あたりは「イースター」にかこつけて、ものを売りつけるキャンペーンがはられたとか。復活祭なんぞにかまける前に、「お花祭り」でもなんでも、従来の行事を見直したらどう?と皮肉を言いたくなりますな。
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昨年、高崎市の山名八幡宮という神社へ出かけました。最近、なぜか室町時代の応仁の乱がブームなんだそうで、新書本などの売れ行きが良いんですって。よりによって、応仁の乱がブームってどういうことなんでしょうねえ。
昨年行った時、フィルムカメラが故障して気が滅入りましてね。再訪です。
高崎から上信電鉄に乗って、山名という駅で降りると、写真の左手奥の方に山名八幡宮があります。右の石碑の碑文は、敗戦時の総理大臣・鈴木貫太郎の揮毫だそうです。
応仁の乱の一方の大将であった山名宗全は、この地に土着して山名氏を名乗った、新田義重の子・義範の子孫です。山名氏は、足利氏と婚姻を通じて繋がりが深かったらしく、没落した新田氏と違って室町幕府内で栄達しました。たしか、侍所の所司をつとめる四家の一つでしたね。例の四職というやつです。
電車の形からして、昔西武新宿線や池袋線で見かけたものの「お古」が走っているんでしょう。
手描きの、ちょっと味のある路線図ですね。
駅の待合室に鉛筆削りが置かれていました。若い頃は鉛筆で書いた字を読むのも、何の苦でもありませんでしたが、近頃目が悪くなって来て、鉛筆で書いた文字は読みにくくなりましてね。旅日記代わりに簡単なメモ書きを記すのも、万年筆やボールペンを使わないと、後で読み返す時に苦痛になって来ました。
ここは安産や子育ての御利益があるとかで、赤ちゃんを連れてお宮参りをする夫婦などで、割と人出があります。
神木は、やっぱり男性器をイメージしたもんなんでしょうな。男性は神木に触れると、女性は神木の前にある石に触れると、それぞれ子宝に恵まれると説明板にあります。石の方も、それらしい形をしています。
ウグイスの鳴き声が響いて、長閑でした。芽吹いた若芽と桜の花のコントラストも、なかなか良いもんです。
都会に住む身には、こういう長閑なところが良いんですが、地方出身の人は、こういうところへ来ても珍しいと思わないらしく、連れて来ても甲斐がないですね。
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茨城県東海村の村松虚空蔵尊を見物に行きました。昔、この近くの海岸をほっつき歩いた事があり、東海駅まで帰る途中、「虚空蔵尊前」というバス停を見かけて以来、気になっていましてね。
常磐線の東海駅舎です。四半世紀前に来たときは、平屋の小さな田舎の駅舎でしたので、見違えちゃいますね。
ご存知、茨城県の東海村から大洗町にかけては、関東の「原子力銀座」でありまして、原発関連の施設がズラッと並んでいます。駅近くは道も広く、新しい家が多くて、とても地方の一寒村の風じゃありません。原発に起因する交付金や補助金が、村にドッサリおりている事を推測させます。当然、原発存続反対や事故の危険性を指摘する看板も立っていました。
村松虚空蔵尊、真言宗のお寺です。地元の人には「こくぞうさん」と呼ばれて親しまれているようで、県外からも「講」でお参りする人たちが来るそうです。
鐘楼堂と本堂です。寺自体は平安時代の創建のようですが、戦乱や災害で、明治以前につくられた建物は残っていないようです。本堂は1917年・大正九年に建立されたそうで、これが一番古いらしいです。やはり、寺は木造でなきゃ。いい味出していますよ。
この多宝塔は、1934年・昭和9年に建てられ、大満虚空蔵尊を安置しています。間違いが有っちゃいけませんから、この寺のホームページで調べましたよ。(笑)
この三重塔は、1998年・平成10年に建てられ、大日如来を安置しています。建ってまだ20年ほどですが、木の風合いが何とも言えません。
本堂を裏手の高台から写しました。
寺の裏手の高台には、幕末の水戸藩主・徳川斉昭に由来する石碑がありました。この高台から見る東海村の海岸は、湘南あたりと違って明るいクリーム色の砂浜で、松葉の緑色と砂浜のコントラストを斉昭が「白砂青松」と称賛したそうです。石碑の文句と白砂青松がどうつながるのか、門外の私には分かりません。興味のある方は、どうぞ、ご自分でお調べになって下さい。(笑)
この辺りの高台は、前の砂浜と同じ細かい砂から出来ていて、いわゆる海岸段丘ですので、降った雨がすぐに地下へ浸み込む「乏水地域」であり、農業には向きません。東海村の南隣のひたちなか市の国営海浜公園も、大体同じ地質の海岸段丘上にあります。その「海浜公園」は、戦後米軍の射爆場になっており、戦前は旧陸軍の飛行学校と飛行場だったそうで、言っては悪いですが「不毛の地」ゆえの土地利用の仕方です。
その砂地の高台に、アリジゴクの巣がありました。掘り返してアリジゴクがいるかどうか、確かめませんでしたけど、多分間違いないと思います。アリジゴクはたしか、ウスバカゲロウという虫の幼虫ですね。
寺のホームページによると、山門の仁王像は鎌倉時代のものだそうです。
なかなか落ち着いて良い寺でした。今回は露出過多で悪い画像が多かったので、いずれ捲土重来を期そうと思います。東京からは、近くの「原研」へ行く高速バスで往復するのが便利のようです。
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群馬県館林市の茂林寺へ行ってきました。この茂林寺、昔話の文福茶釜の、その茶釜が収めてあるんだそうです。この時は茶釜の拝観をしませんでしたが、やはり見て来れば良かったでしょうかね。まあ遠くじゃないし、次の機会に回しましょう。
今のお子さんたちは、文福茶釜のお話、知っていますかねえ。和尚さんが小僧さんに茶釜を洗うように言いつけて、たわしか何かでゴシゴシ洗っていると、「小僧、小僧。そこは痛いからソロソロ洗え」と、茶釜が小僧さんにしゃべるんですよ。(笑)
参道には、たぬきの焼き物がズラッと並んでいて、三々五々参拝者が訪れます。何軒かあるうちの一軒の土産物屋で、館林名物の「麦落雁」という和菓子の試食品を頂いたところ、素朴な甘みと焼いた麦の香ばしさがあって美味しかったので、一袋買って来ました。お茶うけに良いですよ。
ミノックスでカチャカチャとっているところを、土産物屋のオヤジさんが見ていました。「珍しいカメラですね。昔のスパイ映画に出て来るようなのを使っていますね。」なんて、そのオヤジさんに言われましてね。よく御存じで。
本物のたぬきは少し陰気な感じがして、あまり可愛いとも思えませんが、こうしてキャラクターにすると可愛いもんです。
館林といえば「うどん」も有名で、茂林寺のすぐ近くに館林うどんの店がありました。たぬきの事ですから、金○がぶら下がっているのは当たり前としても、ポコ○○が立っているのは悪ふざけが過ぎますな。(笑) 田舎の人は大らかだから、まあ良しとしましょうか。
文福茶釜のおとぎ話、もしかすると、今では動物虐待に当たるのかも知れませんねえ。
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