kuroyuonsenのブログ

このブログ,段々と愚痴をこぼすコーナーになって来ました。

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富岡製糸場

昨日の朝早く、こむら返りを起こしました。あれ、痛いのも痛いんですが、決まって寝ぼけているときに起こるもんで、ビックリするんですよねえ。JRの青春18きっぷがまだ残っているもんで、こむら返りの治療に温泉へ行こうと思い立ちました。

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温泉へ入る前に、少し歩いて脚の筋肉をほぐそうと、高崎から上信電鉄というローカル鉄道に初めて乗り、途中の山名で降りて山名八幡宮を見物しました。ひっそりした無人駅です。駅のすぐ隣に山名八幡があります。

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応仁の乱で有名な山名宗全は、ここから出た山名氏の子孫で、その山名氏は新田氏の庶流とのこと。新田宗家からは冷遇されていたらしく、早くから新田氏のライバル・足利氏と縁を結んでいたことが、室町幕府内でのし上がる原因になったんだそうです。

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懐かしい政治家の名前がありました。福田赳夫が大蔵大臣、中曽根康弘が自民党幹事長というのは、三木武夫が首相の時、ちょうどロッキード事件が起こった頃のようですよ。

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近くまで来たんだから、外から写真だけでも撮ろうと、富岡製糸場へ来ました。世界遺産に指定される前に行っときゃ良かったですね。入館料1000円は高いので、初めから入るつもりはありませんでした。沿道の店も色々とあざとい感じがしましたしね。

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私のイメージですけど、「溺れる者は藁をもつかむ」という感じがして、いたたまれないんですね。建物を見て「スゴい」、食べ物を食べて「美味しい」だけじゃ、わざわざ行った価値が無いんじゃないかと思いますが、誰がやってもああなっちゃうんでしょうな。

富岡を見終わって、前橋の駅前温泉でふくらはぎのマッサージをやったら、こむら返りの違和感もだいぶ減りましたよ。(笑) 良いお湯でした。
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先日、水戸市郊外の内原にある「満蒙開拓青少年義勇軍」資料館というところへ行ってきました。
「満蒙開拓青少年義勇軍」というのは、国策により、各地から募った少年たちを集団で満洲へ移住させ、平時は開墾に当たらせ、戦時には兵隊に転用するための組織でした。農村の口減らしの役割も兼ねていたでしょう。

写真の建物は、少年たちが寝起きしたバラックを再現したもので、これ1つに30人くらいが暮らしていたでしょう。
この宿舎が何百と建って、ここで数年間訓練を積んだ少年たちが、後に満洲に渡ったんだそうです。

要は少年兵の養成所ですから、帝国陸軍と同じように私的制裁=イジメが無くはなかったようで、そのことが原因なのかどうか判りませんが、戦後帰国しOBの中にも昔を思い出したくない人がいるから、このバラックの中は撮影してくれるなと、係りのおじさんに注意されました。そう言われると、いくら私でも従わざるを得ませんよね。

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義勇軍の資料館を見学して、常磐線に乗って勝田駅まで行き、「武田館跡」を見学しました。武田信玄の甲斐源氏のルーツ、この常陸国の武田郷なんだそうです。新羅三郎義光の息子である義清が、ここに土着して地名を苗字にしたらしいんですね。建物は、当時の物よりずっと小さいでしょうし、防火対策で建物の屋根が銅葺になっているのは、仕方がない事とはいえ、ちょっと興ざめではありますね。

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詳しくは解説板の通りです。無料で公開されているものなので、いろいろ不備があっても文句は言えません。

最近、茨城県も観光客を誘致しようと、色々PRしているようですけど、満蒙開拓青少年義勇軍にしても武田館にしても、歴史的に重要ではあるものの、やはり地味ですね。ミーちゃんハーちゃんを大勢呼ぶだけが良いかどうか、私には判りませんけど。
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下諏訪訪問の第2弾です。ここは中山道でも有数の宿場町だけあって、歴史上の事件に関係があるんですねえ。
上の写真の看板にある「水戸浪士 天狗党」、興味のある方はご自分でお調べください。しかし、水戸から「いくさ」をしながらここまでやって来て、さらに京都へ上ろうとしてたんですから、すごい執念ですねえ。

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中央の一番大きな墓石は、相楽総三のお墓です。ここも、一度見てみたかったんです。
相楽総三についても興味のある方は、ウィキペディアなどで検索してみて下さい。まあ、かなり胡散臭い人物ではありますね。

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道端の石碑は、一里塚だそうです。

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前回の投稿で、説明員のお爺さんのいた旧商家、伏見屋というんだそうです。

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中山道と甲州街道の合流点に、問屋場跡がありました。問屋場というのは、運送業者や金融業者の中継基地とでも言えば良いんでしょうか。今でいえば、クロ○コヤマ○とか日本通○のような業者もあったでしょうし、金融業者が為替や両替を扱っていたじゃないでしょうか。

和宮さんも、お輿入れで江戸へ下る途中、この下諏訪宿へ泊った訳ですが、中山道の難所の和田峠とか、碓氷峠とか、やはり御々足で歩いて越えられたんでしょうかねえ。馬や駕籠で峠越えは出来ないでしょうから。貴人と言っても、昔の旅は命がけですよ。

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石碑の「綿の湯」は、永六輔氏の揮毫だそうです。左の茶色い球体の下から、温泉が噴き出していました。

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下諏訪宿の旧本陣です。大名や貴族などの宿泊所ですね。和宮さんは、この本陣へ泊ったと説明板に記してありました。先ほどの問屋場跡の旅館の看板にも、「和宮さんご宿泊」とありましたから、どっちの言う事が本当なんですかねえ。

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ここにも温泉がありました。

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この文句、良いですねえ。

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中山道沿いに色々見物し終えて、土産物屋の前にあった「おやき」の店で、これを買って食べました。冷蔵庫から出してレンジでチンするものに、一個220円は少し高いけど、まあ洒落ですからね。
加熱してから時間を置いて、中の餡が生温くなったくらいの方が好きです。この時は、中の餡が熱すぎました。

下諏訪、なかなか楽しかったです。公衆温泉は、今回一か所しか入らなかったから、そのうち別の所へも入りに行きたいです。
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長野県の下諏訪を見物して来ました。下諏訪へはまだ行ったことがないので、諏訪大社の見物をかねて。

下諏訪駅から歩いて15分ほどでしょうか、「下馬橋」という橋だそうで、身分の上下なく、ここで下馬して歩いて橋を渡るしきたりだったとか。昔は橋の下を小川が流れていましたが、今は暗渠になっています。

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下社の春宮です。ご存知の方もありましょうが、諏訪大社は上社と下社があり、下社は春宮と秋宮に分かれています。神様が春を過ごすのが春宮で、秋を過ごすのが秋宮、という事らしいです。何だか良く分かりません。

後で行く秋宮より、幾分建物が小さい感じがします。朱色とか青とか緑とか、極彩色で塗りたくった派手さはなくて、質素な感じで良いですね。

左には御柱が建っています。ついこの間、新しくしたものだと、立ち寄った社前の郵便局のおばちゃんが自慢していました。

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下諏訪は中山道の宿場町で、春宮と秋宮は街道沿いにありますので、15分ほど旧中山道を歩きます。
途中、直上の写真左の、呉服やお茶を商っていたという旧家へ入ってみました。説明員のおじいさん、この家の故事来歴を話したくて仕方がない様子で、二階へ上がってみないかと誘われましたが、こういう長話に付き合うと「えらい目」に遭うのが「おち」なので、丁重にお断りして秋宮へ。

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下諏訪は温泉の町なので、いたるところにこういう温泉の湧き口があります。湧き水かと思って手を出すと、熱いのでビックリします。

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秋宮へ着く手前で、甲州街道が中山道と合流します。江戸へ向かう場合は、ここから向こうが甲州街道です。
甲州街道は、いざ事があった時、徳川将軍が江戸城を捨てて甲府へ立て籠もるための逃走ルートであったと聞きたことがあります。普段は中山道のバイパスみたいなもんだったんでしょう。

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下社の秋宮です。先ほども申した通り、春宮より少し建物が大きく感じましたが、実際はどうでしょうねえ。

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温泉の町で公共温泉があるんだから、素通りも出来まいと、入ってみました。「すげの」と読みます。

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「埜」は「野」の旧字だそうで、これで「すげの」温泉です。

管理人のおばちゃんが、高速道路の料金所方式に玄関に向かって座っていて、その両脇に男湯女湯の入り口があります。熱い湯で、あまり硫黄の匂いはしませんでしたけど、鄙びた昔風の良い雰囲気でした。
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静岡県の静岡市,旧東海道の宇津ノ谷峠を見物して来ました.東海道と言っても,時代によってルートが違っている場合もあって,1枚目の写真は江戸時代以前の峠道の入り口で,今の静岡市側にあります.ここから峠を越えれば,向こう側は藤枝市ですね,たしか.

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江戸時代以前の東海道と言われても,私には単なる山道にしか見えません.こんなところを昔の人は登って下りたんですから,大変ですよ.

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つたの細道から少し歩いたところにある宇津ノ谷集落です.近世以降の東海道は,この集落を通っていました.この付近の宿場町は,峠の江戸寄りに鞠子宿,上方寄りに岡部宿だったはずですから,ここには茶店などはあっても宿屋などは無かったのでしょう.

豊臣秀吉の小田原攻めのとき,先ほどのつたの細道では軍勢の峠越えが出来ないため,新たにこの峠道が開かれたんだそうで,秀吉が休息したという旧家も残っていました.明治天皇も京都から江戸へ移動の途中,この集落で休息をとったようです.

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丸太で土止めしてつくった階段が,新しい峠道です.小田原攻めの軍勢が通り,江戸時代には大名行列も通った道ですから,先ほどのつたの細道より広いとは言っても,この程度です.馬もこの道を通ったんでしょうねえ.

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宇津ノ谷峠からみて,江戸寄りにある直近の宿場町が鞠子宿です.今の住所表示では,丸子と書いて「まりこ」と読ませるようです.その鞠子宿にある丁子屋は「とろろ飯」で有名ですね.たしか,ここへは昔入ったことがあるし,時間の都合もあるので,今回はパスしました.

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広重の作だそうで,浮世絵にも出て来ます,この店.

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ご覧の通り,本陣跡です.後ろの家が本陣だったんでしょうから,地元では今でも名家なんでしょう.

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先ほどの丁子屋のある場所が鞠子宿の上方寄りの入り口で,そこから旧東海道を歩いて来て,ここは江戸寄りの入り口です.見付跡とありますから,ここに木戸でもあったんでしょう.

この日,宇津ノ谷峠の入り口をうろうろして,鞠子宿は全部歩いたので,結構疲れましたよ.
次は,興津と由比の間にある薩埵峠から,駿河湾と富士山を望んでみたいもんです.

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