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調布市の深大寺境内の崖(段丘崖)にみられる武蔵野礫層です.およそ10万年ほど前,かつての多摩川がこの高さで流れていたときの河原の跡です.調布付近の今の多摩川河原の海抜高度を正確に知りませんが,この礫層の最上部と多摩川の今の河原との間に,おそらく10m近くの高度差があります.ということは,当然海水位も,武蔵野礫層の最上部の高さに応じて現在より高かったはずで,当時の気候が今より温暖であったと推測できます.
武蔵野礫層の最上部のアップです.大きいものでは握り拳ほどの石もみられます.左手の黄土色の土は,武蔵野礫層の上にのるローム層(武蔵野ロームと呼ばれます)の最下部で,古い多摩川の砂と火山灰が混ざっています.ローム層の上部は,風に飛ばされてここに堆積したわけですから,武蔵野礫層(流水による激しい動きのある環境)→ローム層最下部(砂とロームが混じり合い,水の流れが緩やかになった=川の水が遠のいた)→風で飛ばされて堆積したローム層,というように,一つの場所でも堆積環境が異なって来た事を示すものです.
武蔵野台地の等高線を抜き書きした図です.先日亡くなられた私の先生が,かなり昔に描かれたもので,著作権の問題はあるかも知れませんが,師弟関係に免じて,天国の先生も許して下さると思います.
図の左下の方に,黒の小さな正方形が打ってあるのを,お分かりになりますか?この正方形の位置が青梅です.武蔵野台地は,青梅を要として扇を拡げたような形の,いわゆる扇状地という地形です.ですから深大寺の武蔵野礫層も,かつて扇状地上を多摩川が自由に流れて堆積させた扇状地礫層である,と言うことになります. |
自然
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先日アップしました,喜多見不動の滝の奥に,この横穴があります.穴の壁面は舗装しておらず,いわゆる関東ローム層が観察できます.
南関東のいわゆるローム層は,箱根と富士山から噴出した火山灰が堆積・風化したものです.大半は粒が非常に細かく,粘土化した部分が多いんですが,その中に比較的粒が粗く,大きな砂粒程度の火山灰がバンド状に挟まっていることがあり,種類によってパミス(軽石)とスコリア(岩滓)とに分けられます.ここのローム層には東京軽石層と呼ばれる明瞭なパミスが存在します.コンクリートの床から少し上のローム層の壁に,えぐれた凹みが横に繋がっているのがお分かりになりますか?この凹みの部分が東京軽石層です.
東京軽石層の拡大写真です.表面は風化しているので,削って新鮮な面を出してみると,ローム層は茶褐色をしているのに対して,東京軽石層はきれいなオレンジ色をしています.東京軽石層は今から約5万年前,箱根火山の大規模噴火時に噴出したことが分かっていますので,ある地点中のローム層に東京軽石が見つかれば,その地点付近の土地のなり立ちを,時間的・空間的に考えるのに役立ちます.
このように,地層の重なり方や地形のなり立ちを考えるときに,火山灰をいわば時計代わりに利用する方法を,「火山灰編年法」と呼びます. |
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世田谷区の野川沿い,小田急線の高架近くにある喜多見不動の「滝」です.崖から流れ落ちている水は,多分地下水を汲み上げて落としているのだろうと思います.というのも,ここから数十メートル離れたところに,「みつ池」という湧き水があり,そこで湧き水の出ている高さよりも,ここの位置は高いと見られるからです.
「水は低きにつく」の例え通り,低い方へ流れていきます.地下水も同じで,こういう崖(段丘崖といいます)から湧き出る水は,水を通しにくい難透水層と,よく通す透水層の境目付近から出て来ます.成城付近では三浦層群の泥岩と,その上に乗る武蔵野礫層の境目付近です.みつ池のこの境目に比べて,喜多見不動の滝の位置は数メートル高いと考えます.水平距離にして100メートルも離れていない2地点間で,地下水位が数メートルも違うとは考えにくいので,喜多見不動の滝は多分,地下水を汲み上げているか,あるいは水道水だろうと推測します.
確かなことは,測量をしたり,開放井戸で地下水位を調べてみないと分かりませんが,大間違いはないだろうと思うわけです.
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日本橋の洋食屋,「たいめいけん」の初代,茂出木心護さんが書いた『洋食や』(中公文庫BIBLIO)に,下記のような一節があります.皆様にはいかがお受け取りいただけるでしょう.ちょっと長いんですが,引用してみます.なお,ひらがなが多く,また妙なカタカナの使われ方もあって,ちょっと読みづらいですが,原文に手を加えるべきではありませんので,スキャン時の誤字訂正以外に改変はしていません.
冷蔵庫のない夏
今では冷凍食品万能の世の中になり、冷凍庫つき冷蔵庫がごく当り前の顔で台所に鎮座ましますが、ついせんだってまでは、冷蔵庫(といっても電気ではなく氷を入れるもの)のない暮らしをしていたことを忘れがちです。
戦前、梅雨から夏にかけてごくふつうの家庭でみかけたのは「はいちょう」です。金あみを張った戸だなで風通しのよいところにおき、中には梅干しをのっけたご飯なぞがはいっておりました。
冷蔵庫のない時代に生マものはどうしたのかと申しますと、魚屋さんが毎日天びん棒にはんだいをさげて、威勢よく売りにきたのです。はんだいの一方には干物などがはいっており、もう片方には氷を入れて生マものがおいてあり、おさし身を注文したりしました。ぼてふりの魚屋さんのおかげで買いおきをしなかったから、いつも新鮮な生マものを口に入れることができました。もっとも東京の海もまだきれいで、江戸前という言葉もぴんぴんはねていたころです。
大正の中ごろ、私が育った東京の三田には魚文という大きな魚屋が店を張っており、店の前におよそ高さ一間半ばかりの木の桶があって、水をいっぱい張っていました。桶の下のコンクリートのますには魚がおよいでおり、桶の水を竹筒から噴水で流しこんでいました。不意の来客には、ぼてふりの魚屋さんでは間にあわず、魚文にいって高価な魚をおつくりしてもらったものです。
当時の下町の家といえば、軒につるしたしのぶから水がしたたり、時折り風鈴の音がして、一坪あるかないかの庭に朝顔やおしろい花が植えられ、銭湯にいくのがもったいないとたらいが干してあったものです。
お祭りやらなにやらめでたいことがありますと、洋食やにとんかつを注文しました。親子三人に二人前のとんかつで、もったいないといっておかみさんの分は控えました。お膳にはたいてい煮つけた小アジの皿がならび、おしまいにはお湯をかけて骨から身をはなし、すっかり飲むのがしきたりでした。そこへ熱いとんかつがきてソースをたっぷりかけて、ビールといっしょに食べるのが庶民のささやかなぜいたくだったのです。
冷蔵庫のない夏には、洋食は火を通してあるからといって、たくさん出前の注文がありました。
(昭和五十三年夏)
私には,小アジの煮付けとトンカツの下りが興味深く思えてなりません.
しかし,この文をデジタル化するのに,スキャナーで文字認識させているんですから,著者の言いたいことに反するかも知れませんね.
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何年かぶりにコンパクトデジカメを買いました.ペンタックスのオプティオRS1000という機種です.
ミノックスは携帯に便利ですし,取り出して撮影するまで時間がかかりませんので一番なんですが,この寒い時季に現像液の温度管理が面倒なので,ものぐさな私は誘惑に負けて,コンデジを買ってしまいました.バッテリーを含めて8千3百円ほどでしたので.
話は逸れますが,普通のコンデジを本体8千円以下で売って,メーカーも儲けになるんでしょうか,物の価値が判らなくなってくる近頃です.
で,こういうコンデジって,いろんな機能が付いているんですね.「夕焼け」をキレイに写すモードで撮ってみたんですが,その夕焼けの色が何か不自然で,オレンジの絵の具で塗ったように見えて,ガッカリです.空に変なグラデーションも入っているし.こういう機能って,メーカーが「こうしておけば良いだろう」と決め込んでいるんですね,きっと.
コンデジは,撮影感度を変えることで代替させることくらいは出来るものの,基本的に露出もシャッタースピードもコントロールできません.そのかわりに暗いところ明るいところ,遠景や近景様々な状況に合わせて機能を盛り込んでいるんでしょうが,やはり基本は露出とシャッタースピードを調整して撮ることでしたね.メーカーが盛り込んだ機能には限界があるようです.
まあしかし,これだけの機能を盛り込んで8千円以下で売らされて,私みたいなへそ曲がりからボロクソに文句を言われたんでは,開発に携わるエンジニアも立つ瀬がありませんので,ちょっとフォローしておきますと,コンデジは近接撮影には強いようですし,レンズを交換しなくて良いのは便利です.
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