★≪でこっぱち≫☆ 〜自己満足日記〜

本なら紙、記録はブログ!忘れないためにも日々のことを日記に書きます。

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バタバタ

昨日からバタバタ。
 
今日はあさ、疑問を葬祭の担当さんに確認し、安堵する。
午前は、アマの活動の話。
昼にお寺に電話を入れて。
会場に席札と席次表を届けに行こうと思ったら。
遠方の身内の到着で、ホテルによってチェックインまでお茶を飲み。
順番が狂って、お寺に塔婆をもらいに戻るのに、
お布施の封筒を買いに店により、
たのまれてた用事を済まそうとアリーナに入ったらまた戻るはめ。
お寺について、筆ペンと格闘し、塔婆をもらい。
会場に遅れることを電話して。
自宅に塔婆をおいて。
ガソリンが不安で給油に行き、アンケートに答えて。
帰りの手土産にのりを買いに商店街によって。
身内をひろって、明日の会場席札と席次を届け、
ドライブがてらに案内して。
ホテルで夕飯を食べて。
奮発したのに、しょっぱくて・・・
ラーメンにすればよかったと後悔し。
身内と2時間ほど談笑し。
帰宅したのは9時過ぎて・・・
やっと線香あげられて。
メールの見落とし見つけてあわて。
別件の送る約束のメールを送信!
明日に備えて早く寝ようと思うのはうそっぱち!
 
このバタバタも明日で終わる。
 
 

2年目の3月11日

今日で2年です。
 
久しぶりに家のあった場所に行きますと、基礎もなくなってデコボコだけど更地になっていました。
この時期のお花を探してみるとわずかながらも残って今年もかわいらしく咲いておりました。
誰も見る人もいないのに、花は咲きます。
 
イメージ 1
 
この庭をもとに戻すにはどうしたらいいのか、見当もつかないけど。
あたしはこの土地を残したいと思う。
 
 
 
午後は町の追悼式に出席しました。
開場は1時45分なのに、1時過ぎに行きますとすでに待っている方がおりました。
寒かったせいか、会場の中には入れないまでも、中には入れてもらえました。
そして、開場時間前に会場の中に入ることを許されました。
 
アリーナに着いて、15分くらいたつと開場待ちの参列者は増え始めましたからね。
 
式は2時半から始まります。
 
2年前のその時間はすべてがありました。
東日本大震災という言葉も存在していませんでした。
当たり前の日々、穏やかな時間をそれぞれが過ごしておりました。
地震が起こっても、家が倒壊しなかったことに安堵し、来るであろう津波にも備えていました。
 
避難しました。
だれもが予想もしなかった津波が押し寄せました。
そして、すべてがなくなり、大切な命も奪われました。
 
今も夢であってほしいと願わずにはいられません。
今も夢の中なら、いつか覚めれば家族に会えるのに・・・
 
この会場に身を置き。
この祭壇を眺めるのは夢ではなく、現実なのです。
 
イメージ 2
 
式は、4時ころまでかかりました。
それから献花。
 
早いうちに終え、会場を出ますと身に染みる寒さがあの日を思い起こさせます。
今日は雪が舞わないまでも、あの日は雪が舞う寒い日でした。
 
それから不安な一夜を過ごし、先の見えない避難生活に入ります。
7月に仮設住宅に入るまで続きます。
 
2年経ったいまもまだ不安な日々を過ごしています。
この仮設を出るまで続くのでしょうね。
 
それもまだまだ先のような・・・
 
 
会場を出ると、白いカーネーションをいただきました。
 
イメージ 3
 
あれから2年。
 
1年後の今頃は何をおもうのでしょうね。
少しでも復興が進んでいることを願います。
そして、まだ帰らぬ祖母が帰ることを一番に願う。

お誕生日

お天気はいいのに、1日中強風。
いまも半端なく吹いています。
 
今日は伯母の家にいったけど、作りが違うせいか風がふいても外の音が遠く感じました。
仮設住宅にもいろいろあるんですよね〜〜
 
今日は祖母の96歳のお誕生日でした。
2年前の94歳のお誕生日はちゃんとお祝い出来たけど、去年から主役がいません。
それでもケーキを買って仏壇にお供えしてケーキをいただきました。
 
祖母がいたころは孫たちもよく来ていたけど、今は孫たちは誰も寄り付きません。
伯母の家であってもまるで他人のような感じです。
なんだか寂しく思いました。 
 
明日は町の慰霊祭。
2年とは早いのか遅いのか?
 
2007年のお誕生日の写真が携帯のsdカードにありました。
イメージ 1
日付からすると、お誕生日、母の日、敬老の日の3枚。
 
 
3回忌。
終わってしまえばどおってこともないんだろうけど・・・
考え過ぎてか頭痛がします(^^ゞ 
 

数珠いろいろ

お念珠を買いました。
今まで持っていなかったのですが、身内の法事に行ったとき従姉が持っていてね。
1つは持っていたほうがいいものなのかもしれないと思うようになりました。
 
それからしばらくたちまして。
ちょうどテレビの番組内でお念珠を見つけました。
「喜芳」さんという大正生まれの方がつくられるお念珠にひかれました
 
そして、そのときみた同じではないのですが、気に入ったお品を見つけたので購入。
 
イメージ 1
 
水晶に紫水晶が入っていて、房は好みの紫色。
藤色の房のものも気になりましたが、わたしの好みはこちら。
 
すべて紫水晶を使ったお念珠やグラデーションのものもありましたが、そちらは予算があいませんでした。
自分の家の宗派のお念珠が一番良いのでしょうが、各宗派に使えるというのでこれで十分ですよね。
 
もうすぐ3回忌なので早速出番が来そうです。
 
 
 
 
お念珠。
数珠というブレスレットは愛用していますが別物なんでしょうね。
お念珠も数珠とあるけど。
 
 
2年前に2本なくしましたが、手首にあった3本は残り、その後買ったり作ったりいただいたり。
数えてみましたら現在は10本になりました(^^ゞ
 
さすがに全部は重たいので、この5本は現在しまってます。
 
イメージ 2
 
ちなみにこの5本の中では、アメジストの数珠がお気に入りです。
 
 
こちらの5本は普段手首にある数珠。
 
イメージ 3
 
なんだかしっくりします。
一番最初に作った数珠は常に肌身離さず。
一番最後に作ったのも、同じです。
あとは、タイガーアイと、ガーネット、針水晶はなんとなぁ〜〜く。
これに、アメジストもつけていた時期があったんですよぉ〜〜
 
ちなみにタイガーアイは、11月から行方不明で先月スーツケースから出てきたり(笑)
 
初対面の人にはいつも驚かれます。
2本くらいがちょうどいいのかもなんですがねぇ〜  
 
ゴムの劣化が目立ってきたので切れる前に交換してもらわなきゃ!

大きな船

気仙沼に用があった帰り、行ってみました。
 
高田の一本松は見ましたが、高田よりも近いこの地は初めて行きました。
 
鹿折地区。
父が船乗りをしていた頃、この地区を走り造船所?に通ったのは10年ほど前でしょうか。
 
陸に打ち上げられた大きな船が見えてきました。
 
イメージ 2
 
止まることなく、横目にみてまいりましたが、ほんとうに大きな船が、陸にありました。
 
イメージ 1
2年前までは、船は海にあり、人々の暮らしがここにあったのに。
今は建物もなく、基礎ばかりが残っています。
 
津波は本当に恐ろしい力ですべてを奪っていきました。
 
しばらくぶりにこの地に来て、昔来た時のことを懐かしみ、父とのことを思いました。
 
 
 
帰り道。
岸壁付近や、魚市場のほうを走りすぎますと途中どこを走っているのかわからない箇所が多々ありました。
気仙沼でも被害が大きかったそこは、何度も通った道さえもわからなくなっておりました。
道はかさ上げされても、なんの目印もなく、突き当りに出て戻ったりもしました。
 
道があり、建物が一番の目印だったのに。
それがなくなると迷路のような感じです。
 
運転手はあたしではなく、気仙沼に詳しい叔父でしたが、彼ですら迷うほどです。
 
被災の規模もあるのでしょうが、まだまだ時間がかかりそうだと思いました。
自分が住む南三陸町は、見慣れてマヒしてしまってるだけなのかもですが。
 
 
もうすぐ2年です。

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