★≪でこっぱち≫☆ 〜自己満足日記〜

本なら紙、記録はブログ!忘れないためにも日々のことを日記に書きます。

私の○○

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花は咲く ケータイ投稿記事

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私のお家。
帰ってみました。


今日は、茨城のおじおばが車を届けに来てくれた。

震災から少し落ち着いたある日『車いらないか?』って電話からはじまったの。

志津川は、車がないと不便な町。
震災後はさらに不便さを増しました。

ありがたい申し出に、受ける事にしました。


そして今朝やってきました。

町の惨状を本当の目でみて驚いていました。

家の跡地にいきました。
自分の家なのに、跡地と表現するのはなんだか変な感じです。

みていたらおじとおばが『これ咲くね』って。
牡丹の花壇でした。

震災の後何度かいってみたのですが、ミルミル枯れはじめました。

それが、いつの間にか蕾をつけていたのです!
よくみると根は地面の上に出ていました。

嬉しくなりました。

牡丹には思い出があります。
牡丹に限らず、すべてに思い出はありました。

車が足となり、誰に頼ることなく動けるようになったので、花の頃にはまた家に帰りたいとおもいます。

そして、時期が来たら鉢植えにして側におきたいと思います。

植え替え時期はいつだろうなぁ〜

よくみると、他の株にも蕾がありました。
シャクヤクの葉も出ていました。

瓦礫に花が咲くらしい。
また一歩前進です。

本物の電気 ケータイ投稿記事

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5月5日。
第三次集団避難で、住み慣れた土地を離れ、戸倉の民宿におひっこししました。

道中、各所の被害状況にあぜんとしました。


民宿は、町内の避難先では条件のよいところです。
電気、水道、入浴可能。

現在、町内の電気の復旧は徐々にってとこです。
水道はいまだ数カ月かかります。


それが民宿では、電気はハツデンキで賄い、水は独自で井戸を掘り、
=はお風呂も?

ご飯は三食美味しくたべれるし、畳におふとんはふわふわ〜

ご近所さんと相部屋だけど、今まではフロアの床だし〜


別世界です。


そして。
昨日、朝から部屋の外でドガスカやってたとおもったら、午後には電柱が建ちまして(画像一枚目)、気付けは電線が(画像二枚目)!

そしてそして〜
夕方、地震以来58日ぶりに電気がとおったのです。

次は水道かな!


被災生活第二章。
いよいよ幕開けです。

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移動決まる ケータイ投稿記事

今の避難所は、家があった場所を見下ろせる施設です。

今日、その場所から移動する事が正式に決まりました。

集団避難の募集は三回目。
そこで初めて地元の民宿やホテルが受け入れをしてくれる事になったの。

何度も避難先候補にあがる条件のよい鳴子にも行きたいが、鳴子は遠すぎました。

だけど、まわりがそれぞれのこれからをきめはじめ、置いていかれる不安を感じ、遠くとも次回の募集では決めようと決意したところ、町内で条件がよいところが出てきたの!

個室、電気、水道、入浴可。

現状、フロアに生活スペースをもち、電気が無く、水は配給と自衛隊さんからの給水タンク?
トイレは外の仮設を使用。
入浴は片道20分先で時間も決まってるので毎日は無理です。

とはいえ、現在の避難所は地元の隣組・親類の全壊者の集団で、だんぜん他の避難先よりは居心地さいいはずです。
正直、電気の無い生活には慣れました。
水は足りているし、お風呂通いも慣れた。
が、家がある家庭との考えの違いが浮き彫りになり、居心地がわるい地域へとなり始めてね…

私達が重荷になるなら移動すれば負担も減るでしょう。

で!五日に移動です。
慌ただしく、とまった時が動き出しました。


だけど急で困り事がひとつ。
着の身着のままで今の施設に避難したはずが、救援物資や差し入れで今では立派な衣装持ち(^-^;

衣装に限らず家が無いのに物が増える(笑)

贅沢な悩みかもだけどね。
まだまだ先が思いやられますが、また一本前進です。

出会いと別れ ケータイ投稿記事

相変わらず、避難所生活が続いています。

50日を過ぎ心穏やかに日々を過ごしております。
私は元気です。

当初は、入れ代わり立ち代わりだった外部の人も出入りがある程度安定し、それでもおとずれる別れの時。

被災以来ずっと一緒だったご近所の方が、長期戦に備えて集団避難したのが先週のこと。

さらになじんできたボランティアの方々の、そう入れ代え。

一週間程前には常駐していた、上五島病院のチームが移動し、
代わりに来た、対島いづはら病院のチームが今日去った。
医療系は今後は巡回で来る以前の形になるか、直接出向くかになるのかな〜
常駐前は、東大病院や千葉病院、名古屋病院などが巡回してくれてた。
地元の病院も仮施設で再開したから、応援チームは撤退かな?

なんだか〜
毎日が出会いと別れの繰り返しだ!

特にこの一週間は多かった。
取材で来ていたNHKさん、高知からきたボランティアさん。
炊き出しでお世話になった方々。


ことばを一言二言かわしたりしたくらいの小さな出会いでさえ、印象強く残り
別れはいつもなぜか淋しい。

震災前なら感じなかった事だなぁ〜

これからはもっと増えるだろうね。
仮設住宅が当たればまた別れがくるだろう。

年のせいか涙脆くなったかな(^-^;


近々、集団避難で今の避難所を移る事になりそうです。

毎日当たり前だった地元の人とのふれあいもあとわずかかな…

人生の終まで続くであろうと思った、地味で平凡な生活は、今思えばしあわせだったなぁ〜

土地があり、家があり、家族があり、ご近所がいる。
津波でそのすべてが白紙になったのよね。

今後は。
土地を探し、家を借り、もしくは建て、家族をふやし、落ち着く。

道のりはながそうだ。


少しずつだけど、役場の用事や、いろいろを片付けはじめました。
今からは、祖母や父にかわってわたしがうごかなきゃだ!
頑張らなくちゃだわね!


コーヒーと紅茶を飲んで寝付けない(笑)
早くも五月ですね。

四十九日 ケータイ投稿記事

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お寺の近くの桜の木。

家の近所にあった思い出の桜と同じ種類だけど、思い出桜はもうありません。

いつの間にか季節は春だったけど、行動範囲が狭い為に桜の季節であることを忘れる。

この桜は遅咲きだけど、他は散りはじめたみたい。

震災から早くも、今日で四十九日になるようです。

依然不明なわたしの大切な人達。
父も祖母も役場勤めだった従兄弟もまたみつからない。

DNA鑑定の先は長い。
不明者と身元不明者の数はいまだ一致しないし、はたして知らずにあがっているかさえわからない…

日数がたち判別はつきがたく、身元確認でDNAまでやってくれるとは思わなかったので、小さな希望はのこった。


手をあわせても、いまだに実感がわかない。
はやく私たちのもとに帰ってこないかなぁ〜


四月ももうわずかだ!






暗い話しはこの辺でおしまい。
日記を書こう!

昨日は免許証の交付でアリーナに行ってきた。
写真は悲しい結果になったが4年の辛抱だ(^-^;

その時、上空をヘリが旋回『天皇陛下?』と、手を振り、予定にはない事に辺りは騒然となる。
着陸の体制に、あわててヘリポートにいき、見守っていると着陸後わずかで離陸。
離陸の風に煽られ、階段から転げ落ちそうになり、ここで落ちたらしゃれにならないと踏ん張った!
きくと、自衛隊の偉い人だったらしく…
天皇陛下は歌津に行かれたようです。
残念!

いったん帰り、自衛隊のお風呂に行き、海鮮丼とあら汁をいただいた♪
生のお刺身は被災後はじめて!
美味しかった〜


免許証も手に入れて、これで身分証がひとつできたぞ!
わたしがわたしであるということを。

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