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大切なことは、主の御心に従って行動する、ということです。
自分の身に起こった単なる負の要因がすべてを解決したのではない、ということです。
(中略)
事は自分の願いによるのでなく、神の御心によるのです。
そこでこそ神の御心とご計画に生かされて者の姿です。
(中略)
私たちの戸惑いは、状況からの判断に限られていて、主の御心がどこにあるかわからないように感じることです。はっきりすれば迷わなくて済みます。その選択に誤りはありません。
神が保証し、神がよしとしてくださるからです。そういう形で歩みを進めることができればと思います。
しかし、考えてみると、私たちにとっても御心ははっきりと示してくださいます。
(中略)
御霊が私たちの内に働き、志を立てさせ、事を行わせてくださいます。
御心でない歩みであれば、どこがでとどめられ、大事に至る前に、私たちの歩みがまもられてきました。御心でない歩みを続けることは許されません。
(中略)
恵みによってその歩みを正されます。御霊によって私たちの歩みは確かに導かれているのです。
その手応えによって、さらに主の御霊の内在を確認します。
遠藤嘉信著「私を祝福してくださらなければ 荒削りの信仰者ヤコブの生涯」
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私が今読んでいる本です。この遠藤先生(日本同盟基督教団和泉福音協会牧師)の本は今回のこの本で4作目なのですが、聖書の注解書のようなものに加え、私たちの日常にたいしても語っている文章で、とてもわかりやすくて、読みやすいです。
かなり中略ばかりで抜粋的に書いてしまいましたが、「主の御心」について書かれている箇所です。
クリスチャンはよく「主(神様)の御心」という言葉を使って、クリスチャンでない人には、なかなかわかりづらい言葉かもしれません。でもクリスチャンである私も正直に言って、この言葉はなかなか難しく思われます。
自分の将来を考えたとき、自分はこれからどんな道を歩むことになるのかわからなくて、途方に暮れてしまいそうになる時もあります。でもきっと、神様が私の進むべき道をちゃんと与えてくださる、神様の御心にそった人生を生きたいと思うのです。
でも果たして「神様の御心というのはどうやったらわかるのだろうか?」ということを悩みます。
聖書に書かれている人は、直接神様からの語りかけがあった人もいます。ヤコブもその一人でした。
「ヤコブから沢山の子孫が与えられる」との神様の約束、御心がありました。
でも、具体的なことは示されていませんでした。だからヤコブは自分で色々と考えて、あるときは間違った人間的な行動をしてしまうこともあります。でも結果的には、ちゃんと神様が道を備えて、ヤコブの人生を導いてくださるのです。
私たちの人生にも、神様は確実に関わってくださってます。
直接の語りかけはないけれども、人や出来事を通して、進むべき道を示してくださいます。
でもでも・・・、それが本当に神さまが与えてくださってることなのかがわからないことがたびたびあります。
今日書いた箇所で一番気になるところは、
「御心でない歩みであれば、どこがでとどめられ、大事に至る前に、私たちの歩みがまもられてきました。御心でない歩みを続けることは許されません。」
というところ。
直接な神様の語りかけがなくて、本当に神様の御心かどうかわからないけれども、神様は御心でない歩みはとどめてくださるということ。何か問題が起きたりして、それ以上、ことを進められなくなったり・・・そのようなときに、これは神様の御心でないのかも・・・と思えるのかなって思いました。
とはいえ、完全に神様の御心を知ることはできない私たちですが、神様に信頼して、人生を歩んでいきたいと思います。
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私も今この本を読んでいます。今半分ほど読破しました。全部読んだら感想を書きますね。
2007/1/13(土) 午後 2:14
ゆうみんさんも読んでるんですね^^ 私も今半分くらいですよ〜。 またここにも載せていきたいと思ってますので、是非ゆうみんさんも感想書いてくださいね^^
2007/1/13(土) 午後 4:46