神々がうごいとーと

やさかましませ。いやさかましませ。かんながらたまちはえませ。

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物語の終わりのために


麻賀多神社の祭神は、稚産霊(わくむすび)。和久産巣日とも書く。
養蚕と五穀の神だ。
応神天皇20年に印旛国造の夢に稚産霊神があらわれ、日本武尊が埋めた七つの玉を祀らせたのが創建だという。

古事記では、稚産霊はカグツチを出産して瀕死となったイザナミが最後に生じさせた神。
カグツチ出産といえば、フクシマだ。

フクシマはギリシア神話のデロス島と同緯度。
東日本大震災の震源は、稚産霊を祀る竹駒神社と同緯度(宮城県岩沼市)。

女神レトは、デロス島で「日月」の神を出産する。
この出産を援けたのが、海神ポセイドンの巨大津波だった。
フクシマと似たような構図だ。
偶然ではないだろう。

2011年は住吉大社の御鎮座1800年記念大祭。
もし大震災がなければ、僕は5月の大祭にあわせて憧れの住吉大社に初参拝するはずだった。

かたや津波といえば志賀大神だ。
福島第一原発は新潟の柏崎刈羽原発とおなじ「志賀大神原発ライン」にある。

日月+稚産霊と、住吉大神+志賀大神。
前者は麻賀多神社のキーワード。
後者は僕のライフワークの神々。

1stステージのはじめに自分が麻賀多神社に行ったことで、なにかが動き出したなんてふうにはぜんぜん思わない。
でもそこで自分が無意識に結びつけたワードが、ステージの終わりに大震災のエレメントとして反映されたということは、やはりあのとき僕は事象の流れに取り込まれていたのだと、思わざるをえない。
待ち合わせをすっぽかされたのも、憑かれたように歩きつづけたこともだ.


同僚の車でふたたび麻賀多神社を訪れたのは、第一次安倍政権下の2007年4月15日。
日づけがわかるのは、三重県中部地震があった日だから。

2007年は僕にとって異様な年だった。
このブログをはじめるきっかけとなった年である。

仲哀天皇変死事件の真相を知るには、めぐる物語をさかのぼる必要があった。
父親の日本武尊もまた、海神の祟りを受けてたからだ。

よし、ことしは日本武尊の行軍路を徹底的に洗うぞ!
一年の計は元旦にありとばかりにそう決めたのは、2007年の正月。
千葉神社(天御中主神)の初詣でも、後押しよろしくお願いしますとお祈りした。
もちろん道真公の千葉天神にもだ。
いまにして思えば、まったくよけいなことをしたもんだ。

シンクロが起きるようになったのはそれからだ。
はじまりは伊勢の猿田彦神社からのまちがい電話。
お祓いを予約してた人が来なかったのか、その確認の連絡だった。

神社からのまちがい電話なんて、はっきり云って気味がわるい。
しかも千葉のパワースポット猿田神社(銚子市)に祐気取りに行ったばかり。
もちろん祭神はおなじ猿田彦。
あきらかに事象の息がかかったシンクロ。
いまならなかったことにするよな(笑)。

だが当時はそれを、ある種の導きだとカン違いした。
しょせんは「まちがい」なのにだ。
猿田彦は導きの神。
めねふね家のルーツ(鹿児島県日置市)の産土、船木神社の神でもある。

これは猿田彦神社でお祓いを受けろってメッセージだな。
どうせなら、まだ行ってない熊野にも足をのばしてみよう。
そう思ったのが、運の尽きだった。

伊勢熊野の旅に向かったのは、二ヶ月後の3月20日。
あとになって思えば、志賀大神の福岡県西方沖地震が起きた日だ。
もちろん当時は日づけなんて忘れている。

おまけにもっとも気に入ったのが、イザナミの熊野那智大社だときている。
デジャヴまで感じた。
そりゃそうだろう。志賀大神の志賀海神社と、シクミ上つながっているのだから。
例のトリニティ原爆実験ラインである。

この旅で、僕はよけいな神霊をくっつけてきたらしい。
当時の連れ合いはスピリチュアルビンボーなくらいスピ系にハマっていて、僕もさんざん連れまわされたのだが、ある霊能者にこう云われた。
「あらぁ、たくさん連れてらっしゃるのねぇ」

地上の神霊はつよい想いや念をもった人にはけっこう簡単に憑く。
でもピンもいればキリもいる。
数憑きゃいいってもんじゃない。
おかげでシンクロがひどくなった。
地震から日常の些細なことまで。なんでか競馬はぜんぜんだったけどね(笑)。

もともと日本武尊の検証に入ってから、なんか調べてるトコで地震起きるよな〜って薄々感じてたのだが、その地震がデカくなった。
日本武尊の終焉地、亀山を震源とする三重県中部地震もそうだ。

同僚とドライブに出かけたのはその日の夕方で、麻賀多神社に着いたのは逢魔時。
薄暗い麻賀多神社は凄味があったから、よけい自分の既知感にゾッとなった。

いつもはバカ話やエロ話なのに、なぜあのとき日月神示の話になったのかぜんぜん憶えていない。
つまるとこ、呼ばれてしまったんだろう。日本武尊にだ。

きわめつけがトリニティ原爆実験の日、7月16日の新潟県中越沖地震だった。
志賀大神原発ラインの柏崎刈羽原発が黒煙を上げた。
日本武尊東征の越方面軍、吉備武彦を追って、柏崎市の神社しらべに入ったとたんの大地震。
いったいおれどうなっちゃってんだ?って、けっこうビビった。

このシンクロが自称「こじつけ大王」の決定打となり、翌年のブログ『神々が動いている?』開設に至る。
当時はまだ自分の考えに確信がもててなかったので、自分は「こじつけ」の王だったし、ブログのタイトルには「?」マークがついていた。

このころ、日本武尊と並行してとつぜん人生にかかわってきたワードが、西郷隆盛である。
ある方のヒーリングを受けていたとき、突然部屋が「どーん」と揺れた。
そのヒーラーさんビクッとなってしばらく固まってたけど、首をかしげるようにこう聞いてきた。
「西郷.....?ってわかります? 西郷隆盛」
「ええ」
「おれは西郷だって云ってますよ」
「だれが?」
「あなたのハイアーセルフさん」

彼女によれば、僕の前世は西郷隆盛なんだそうだ(笑)。
もちろん、そんな話はまったく信じていない。
ただ、彼女はちゃんとしたヒーラーさんだったので、たぶん僕の中のコードかなにかを読み取ったんだと思う。
先祖が鹿児島だとか、そういうプライベートな話はいっさいしていない。

大河ドラマ『西郷どん』を観てた方、たぶん「日新公のいろは歌」って出てきたんじゃないかな。
薩摩といえば、「いろは歌」だし。

日新公は伊作島津家(いまの鹿児島県日置市)の忠良公のことで、島津家中興の祖だ。
関ケ原で有名な島津義弘は、孫にあたる。
うちの祖先は日新公に仕えて殉死した家来で、お墓は竹田神社の日新公のそばにあるから、とうぜん西郷隆盛も手を合わせたはずである。
西南戦争で西郷軍にくわわって戦死した人もいる。

このヒーリングルームでの出来事以降、なんだか節目節目に西郷が出てくるようになった。
いいわるいはべつとして、まるで道標のようにだ。
もちろんワードや事象としてである。

どーんと揺れて西郷なんて、まさに「西郷どーん」。
2011年3月12日九州新幹線全線開通のカウントダウンキャラだ。

たとえばその「西郷どーん」にしてもそう。
事象に登場したのは2010年9月中旬。
僕がいまいる蘇我比弯声劼凌整茲飽越したのも、おなじ時期である。

当時すでに日本武尊事象に取り込まれてることに気づいてたから、本来なら避けなければならない地域だった。
だが蘇我比廚日本武尊の妻弟橘姫とともに東京湾に入水したおつきの姫だと知ったのは、引越したあと。

ぬきさしならない事情があって急いでたのもあるけど、なにより不動産会社の担当が「住吉」って名まえで、下調べもせずに決めてしまった。
住吉大社1800年記念大祭を前に、住吉大神のお導きならまちがいはないはず。
来年は住吉大社にお礼に行かなくちゃな、と。

8月には肥後国一宮の阿蘇神社で、住吉の松と相生の松である、高砂の松を2回まわったばかりだったし、その流れでの「住吉」の導きである。信じないわけにはいかない。
なぜ回ったかはご想像におまかせするけども(笑)。
(引越と関係あり)

ところが、フタを開ければ日本武尊がらみの蘇我比廖
それにくわえて東日本大震災が発生。
「西郷ど−ん」は、その最後にどーんへのカウントダウンキャラだった。

そこでようやく気づいたんだよな。
「西郷どーん」が僕にとってなんの道標だったのか。
なんのための「住吉」の導きだったのか。

いうまでもなく、僕が日本武尊の最期を演じるため。
演じさせるためだ。

前回書いた、
>では汝の身をもって教えてやろうぞ。
ってことだ。


一昨年、イザナミの国生みへの事象の流れで「戌亥」が示され、その戌の年の大河ドラマが『西郷どん』だと知ったとき、僕は「ああいよいよかもな」と思った。

その予感というか、予想はまちがっていなかった。

去年8月26日、ふたたび節目節目の西郷が最悪のカタチで示される。
大河ドラマ『西郷どん』を意識した安倍の、桜島をバックにした総裁選出馬表明である。

そしてそれを道標として、翌月その時は訪れた。
日本武尊の最期を演じるときがだ。

とはいえ、演じたのは僕ではなく、日本武尊の終焉の地=亀山の能褒野(のぼの)を通過した台風24号チャーミーの暴風に祓われた、うちのチャリだった。
そういった意味ではラッキーである。

ところが僕はそこで致命的なミスを犯す。
廃車の日を、無意識に10月22日に指定してしまった。
チャリとはいってもママチャリとは桁がちがって高額なだけに、なかばヤケになっててよく確認しなかったのだ。

ー年前の国難突破解散総選挙が示した10月22日。
それは奥州安倍氏滅亡の日であり、今回のシクミにおける「オワリのはじまりの日」だ。

あれはほんとにマズかった。
 せっかくチャリが日本武尊事象のオワリを演じてくれたのに、それを「オワリのはじまり」にしてしまっ
 たのだから。
 身代わり地蔵を予告地蔵にしてしまったようなものだ。
 おそらくこんどは、僕自身が演じることになると思う。

それを回避するには、メディスンマンの夢見の技法に倣うしかない。

悪夢を見たら、みずから夢を演じて実現させ、現実になるのを防ぐ。
おなじように僕もみずからのオワリを演じて、現実化をとめなければならない。
そのオワリは、蘇我比廚弟橘姫とともに入水した走水の海を震源とする巨大地震とつながってるかもしれないのだ。


そういうわけでこのブログ、本日、ひふみの1月23日をもって終了させていただきます。
はじまりが日月神示(ひふみ神示)の麻賀多神社だったので、オワリもね。

長いことおつきあいくださったみなさん、ほんとうにありがとう。

とくに2008年8月8日に八雲の図の出雲大社本殿でニアミスしたulalaさんはじめ、ブログ開設当初からご愛読くださったみなさん、心から感謝、御礼申し上げます。

みなさまが日々、平安でありますよう。

やさかましませ
いやさかましませ
かんながらたまちはえませ

                                         めねふねこと、いやさかの木

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