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今日は、夏目漱石「行人」。 昨年、漱石の前期三部作「三四郎」、「それから」、「門」を読み、 先日後期三部作の「彼岸過迄」を読みました。 この作品は、「彼岸過迄」同様、明晰すぎる自意識をうまく現実に着地させられない人間について書かれてあります。 【あらすじ】 自我にとじこもる一郎の懐疑と孤独は、近代的個人間の運命そのものの姿である。「行人」の悲劇は単なる一夫婦の悲劇ではない。人間そのものの心の深淵に、その宿命的な根を求めなければならない性質の悲劇だ。「死ぬか、気が違うか、宗教に入るか」主人公の苦悶は、漱石自身の苦しみでもあった。大正元年作。 (夏目漱石「行人」角川文庫 表紙カバーから引用) 【ここに感銘!!】 その時の私は前言ったとおりです。ただ煙草を吹かして黙っていただけです。私はその時すべてのことを忘れました。独り兄さんをどうにかしてこの不安の裡から救ってあげたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気はむろんありませんでした。だからなんにも言わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかもしれません。 (夏目漱石「行人」角川文庫P354) 【感想】一郎は、自分の中から一歩でも出る術を知らない。立派な講義はできても、子どもはおろか妻さえ綾成すことができない。 学問修めることに忙しく、人間らしい気持ちを覚えるヒマがなかった。 一郎は、弟・二郎と妻・直の仲を疑う。 妻の自分に対するよそよそしい態度に対して、弟にみせる親しみに懐疑を抱く。 人と親しみをもって接するということはどういうことか? それが、一郎にはわからない。 彼は、思想の拠り所を探しているけれど、現実のどこにも着地点を見つけられない。 神でもない、宗教でもない、学問でもない、科学技術でもない、家庭でもない。 彼の着地点は、針穴のように狭く、鋭い。 一郎の家族たちは、それが窮屈で彼を腫れ物に触れるように扱う。 思想のうえで動揺している一郎を旅に連れ出してくれたHさんから、二郎に手紙が届く。 そこには、家族には吐露したことのない、一郎の苦悩が綴られていた。 兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、知的にも鋭敏すぎて、
つまり自分を苦しめに生まれてきたような結果に陥っています。 兄さんは甲でも乙でも構わないという鈍なところがありません。 必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。 しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合いなりが、 ぴたりと兄さんの思う坪に嵌らなければ肯わないのです。 兄さんは自分が鋭敏なだけに、 自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩を進めてゆきます。 その代り相手も同じ際どい針金の上を、 踏み外さずに進んできてくれなければ我慢しないのです。 しかしこれが兄さんの我儘から来ると思うと間違いです。 兄さんの予期どおりに兄さんに向かって働き懸ける世の中を想像してみると、 それは今の世の中よりはるかに進んだものでなければなりません。 したがって兄さんは美的にも知的にもないし倫理的にも 自分ほど進んでいない世の中を忌むのです。 (夏目漱石「行人」角川文庫P364〜365) 自分の狭いストライクゾーンを人にも強いるのだから、 家族はたまらないだろうな(笑)。 Hさんはそれでも、それを「わがまま」ととらえるのは、 頭の働きが進みすぎた一郎には気の毒だと言う。 結局、一郎は宗教や神に着地点を与えるしかないのでは? と考えるHさんは、宗教に話を持ち込む。 一郎は、神でも仏でもなんでも自分以外に権威のあるものを建立することを嫌う。 「神は自己だ」、「僕は絶対だ」と言う。 ひとたびこの境界に入れば天地も万有も、 すべての対象というものがことごとくなくなって、 ただ自分だけが存在するのだと言う。 すなわち絶対即相対になるという境地に至ることで、 自分以外に物を置き他を作って苦しむ必要がなくなる、と。 一郎は、絶対の境地を頭では理解している。 理解しているけれども、幸福は依然として対岸にある。 そして、自分でもその矛盾を自覚し、Hさんに悲痛な訴えをする。 「しかしどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化できるのだろう。
どうぞ教えてくれ」(中略) 「僕は明らかに絶対の境地を認めている。 しかし僕の世界観が明らかになればなるほど、絶対は僕と離れてしまう。 要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。 それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、 同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。 僕は迂闊なのだ。僕は矛盾なのだ。 しかし迂闊と知り矛盾と知りながら、依然として藻掻いている。 僕は馬鹿だ。人間としての君ははるかに僕より偉大だ」 (夏目漱石「行人」角川文庫P380〜381) ああ、痛い訴えだなあ…。 Hさんは、これに対して我を忘れるほど没頭する何かの存在を期待する。 私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河、もしくは美人、
なんでも構わないから、兄さんの心を悉皆奪い尽くして、 少しの研究的態度も萌し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。 そうして約一年ばかり、寸断の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。 兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、 畢竟物に所有されるという意味ではありませんか。 だから絶対に物から所有されること、 すなわち絶対に物を所有することになるのだろうと思います。 神を信じない兄さんは、そこに至ってはじめて世の中に落ち付けるのでしょう。 (夏目漱石「行人」角川文庫P388) 他に心を明け渡すということは、一郎のもっとも忌むべきことだろう。 しかし、Hさんは対象に情熱を奪われることしか、彼を救う途はないと思う。 果たして一郎はどうなってしまうのか――。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 一体、自分は何を信じて生きていくのか? どこを思想の拠り所にして生きていったらいいのか? 既存の宗教に頼らない絶対の境地はいかにして得られるのか? 漱石は、答えのない問いを問いかけてくる。 どんなことにも軽薄に移り気になれたらどんなに楽だろう。 何も考えずに、世を実際的に渡り歩くことができたら、どんなに楽しいだろう。 しかし、一郎の性質が、それを許さない。 答えが出るまで、まわりから変人扱いされても、考えることはやめられない。 それに対する漱石の答えは、「彼岸過迄」でも書かれてあるように、 研究的態度が萌さないほど対象に心を奪われることである。 でも、自分に閉じこもった人間が、 果たして対象と自分の区別がつかないほどのめりこめるものだろうか? この作品は、自我に閉じ込められた人間に対する接し方が新鮮だった。 Hさんは、一郎の明晰な頭脳に敬意を払いつつ、 その頭脳運動についていけない時は、やむを得ずじっと沈黙する。 その沈黙は、意図的でもない、理解を諦めた沈黙でもない。 言葉では何も言うことはできない。 頭脳がそこまで行き着いている以上、余計な口出しはできない。 ただ一郎の苦痛はどうやったら和らぐのだろうと無心に沈黙する。 その沈黙だけが一郎を救う。 わかった振りも、うわべだけの理論や説得も一郎には通じない。 重過ぎる一郎の苦悩を、全人格を懸けて受け止める沈黙。 一郎のような人と本気で向かうのは命懸けの仕事なのだ。
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漱石の中では、一番最近読んだ本です。
といっても5,6年前で、しかもアルツハイマー入ってます・・・
乱読もよくない!
本当にあんまりよく覚えていないのですが、儀式についてのことが多々書かれていた印象が残ってます。
謡曲「景清」を聴くシーンは、漱石の心の中の複雑な表したものでしょうか?
2009/7/26(日) 午後 4:21 [ / ]
katatsumuridonoさん、5〜6年前に読まれましたか!思春期読書をしている私としては、やっとkatatsumuridonoさんの最近の読書に追いついてきたか…(まだまだだって!)と、ちょっと嬉しい気持ちになったりして(笑)。
「景清」のシーンは、結構長く書いてありましたね。元ネタの「景清」を観てみたくなりますね。主人公の葛藤は、なかなか壮絶ですね。気難しい人って言ってしまえばそれまでですが(笑)、一郎の言葉は結構胸に喰い込みます。重いですね。でも、自分の子どもは頭より身体が動く人間であって欲しいなと思ってしまいます(笑)。
2009/7/28(火) 午後 4:50
Hさん何者!?という疑問はとりあえず置いておいて…^^;
自らの厳しい律に殉じるあまり他人にもそれを強いるというのは分かる気がします。そうしたくないからもがくし、その結果他人との隔てになってしまう…ちょっと救いがないような人ですね。
Hさん、よくこんな奴(失礼!)と付き合っているな。
mepoさんの記事を読んでいたら久しぶりに漱石を読みたくなってしまいました。
2009/8/1(土) 午前 11:07
あんごさん、すみません、説明不足でした(汗)。Hさんは、主人公の学者友だちのような形で出てきます。
自分でいろいろな経験をして、考えたりすると、今までは普通だったまわりとの不調和が気になってくる時期ってありますよね。他人だったら、離れてそれで終わりでいいものが、家族であると、なかなかそうは割り切れないのがつらいところですね。自分のことを許せないと、他人なんて許せるわけがないし、ほんと仰るとおり、救いがない人かも(笑)。あははは!Hさんは、家族じゃやないから、ここまで付き合えるんですね、きっと(笑)。でも、この小説でいちばん感心したのは、Hさんの態度だったりします。なかなか難しいですけど。
わ〜、あんごさん、漱石再読しますか〜!?やった、仲間ができる!(気が早い)漱石は、以前まで「まったく歯が立たない」って印象でした。今でも歯が立たないのは変わらないのですが、月並みですけど文章が美しいですね。しかも百年以上たっても内容が伴っているのですから。形式と内容って一致しちゃうですねえ。
2009/8/5(水) 午後 11:33
丁寧な説明をありがとうございました!Hさんの立居地がとても気になったもので…^^家族とは違った距離感で供にある他人(友人)がいるって良いですね。一郎さんのような真摯な姿勢で自分と戦う人にはこういう人がひとりいて欲しいですね。
それにしても、Hさんのような友人を持てるなんて、一郎さんうらやましいぞ。
2009/8/6(木) 午後 10:20
あんごさん、さすがです。Hさんの立ち位置って大事ですよね。一郎は、正直いって家族に余されてるんです、気難しすぎて(笑)。こういう人を家族が支えるのは厳しいですね。「行人」までは、一郎タイプの人間の結末は書かれていないけれど、「こころ」であんなことになってしまうんですね、やっぱり。
一郎をHさんのように支えるには、同程度の頭脳と、健全な心と、実際的な人が必要です。なかなか限られてきますよね。
あははは!Hさんのような友人はうらやましいけど、それ以外は全然うらやましくないんですよ〜、残念なことに(笑)。
Hさんのことを誰かとしゃべりたかったので(笑)嬉しいです、ありがとうございます♪
2009/8/8(土) 午前 0:06