今日は、 エーリヒ・ケストナー「ふたりのロッテ」。
これ本当に児童文学!?っていぶかしく思うほど、リアルな感情に陥ります。
「飛ぶ教室」に出てくる先生たちみたいな大人がいたら、子どもは助かるんだろうな。
【あらすじ】
小さい少女たちが休暇中に過ごす「子どもの家」。その中でいちばん暴れている9歳の女の子・ルイーゼ。ある日「子どもの家」ルイーゼにそっくりの女の子・ロッテがやってきます。生まれた日も場所も同じであった二人は、生き別れになった双子であることに気が付きます。二人はある陰謀をめぐらせ、実行に移しますが…?
【ここに感銘!!】
何が起ころうとしているか、みなさんは気づいていますか。ふたごは、じぶんたちが事情を知っていることを、やはり両親に話さないつもりです。父と母に決定を強いようとは思いません。そんな権利がじぶんたちにないことを、ふたりは感づいています。両親が決心をすれば、それが幼いきょうだいの幸福をすぐに最後的に破壊してしまうことになりはしないかと、心配しています。そうかといって、何ごともなかったふうをして、もとの所へもどること、両親からいやおうなしにあてがわれた半分の世界で暮らしつづけること、そんなまねをすることは、しのびなかったでしょう!できないことです!
(エーリヒ・ケストナー「ふたりのロッテ」岩波少年文庫P64)
【感想】
ふたごであるルイーゼとロッテは、お互いの役割を果たさなくてはならなかった。
音楽家の父親と暮らすルイーゼは、天真爛漫な子どもらしい子どもとして。
編集者として忙しく働く母とクラスロッテは、真面目なしっかり者の主婦として。
それが両親に望まれたことだったから。
お互いに両親によってあてがわれた半分の世界だけで生きていたから。
二人は入れ替わって、お互いに今まで生きてこられなかった自分を生きるようになる。
今までを取り戻すかのように。
それは父母にとっても一緒である。
内気でしっかり者のロッテが子どもらしい一面を見せてくれる。
天真爛漫で陽気なルイーゼが、主婦らしい気遣いを見せてくれる。
なぜ自分はロッテの「子ども」を育ててあげられなかったんだろう。
なぜ自分はルイーゼの「主婦的」な気遣いに癒されているんだろう?
別れた当時、若かった二人。
妻は、音楽家である夫の「創作のための孤独」を理解してあげられなかった。
夫は、若くして妻となった女の「孤独の寂しさ」をどうしてあげることもできなかった。
夫は、創造は人とのかかわりから生まれることを知る。
妻は、夫の創造するための孤独を理解する。
ふたごの冒険、涙、不安、うそ、絶望、病気。
これらは自分と両親に何をもたらすのか?
こんな風に書いてしまうと、とても深刻な物語に感じると思うが、
深いテーマが背景にありつつ、物語は明るくユーモアにあふれている。
大人の決定に逆らえないことはわかっている。
そんなふたごのいじらしいけど、子どもらしい冒険心と勇気に満ちている。
小学校5〜6年生頃に読みたかったな。
|
私は、子供の頃ケストナーは挫折していました。私にとっては難しかったんです。でも、高校生の頃に読んで、面白かった覚えがあります。NHKでもアニメ化されてたと思う。どちらも幸せなってほしいと思いました。
2013/6/1(土) 午後 7:48
すてさん、はい、もしかしたらなかなかに難しいテーマなのかもしれません。子どもが読んで楽しめるかどうか…。でも、役割をチェンジするって子どもでもワクワクするんじゃないかな〜とも思いますね。娘がもう少し大きくなったら、読ませてみたい。お〜、アニメ化もされてたんですね。みたい!
2013/6/16(日) 午後 7:02
お久しぶりです。
子供の頃に母親が自分の好きな本をよくくれたので読んでいます。好きな本でしたしAミールシリーズも何度も繰り返して読んだ記憶があります。もう一度読んでみようかなと思いました。
2018/8/8(水) 午前 7:10 [ bat**yu2*01 ]
bataiyuさん、お久しぶりです!
さすがにbataiyuさん、名作は子どもの頃に一通り読んでますね〜!うらやましい限りです。「ふたりのロッテ」は、実は奥深いも物語ですよね。夫婦の物語でもあり、親子の物語でもあり。「妻は、音楽家である夫の「創作のための孤独」を理解してあげられなかった」という自分の感想に、自分を照らし合わせてドキっとしました(笑)。もう一度、私も読んでみたくなりました。お返事が遅れて申し訳ありません。また気が向きましたら、お気軽に来てくださいね。
2019/3/26(火) 午前 10:30