なんでんかんでん

行き当たりばったりのエッセイ集

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桂林、墨絵の世界

「旅行社から桂林の旅のパンフレットが届いていたよ、どうする?」
「去年申し込んで催行されなかったあのぶんでしょ、今回は大丈夫だろうか?
とりあえず申し込んでみようよ」
○さんと私の中国への旅はこうして始まった。
福岡空港から広州まで空路3時間
広州から桂林まで同じく空路1時間
最後に桂林空港からホテルまでバスで約50分
おまけに時差1時間。

亜熱帯、雨季、霧の中の桂林
私たちを乗せたバスが走る
右には高層アパートがならび
左には近く遠く、墨絵のような面白い形の山が
おぼろおぼろに霧の中に浮かぶ
秋にはこの町全体を木犀の花が覆い
甘い香りが人々を包み込むらしい。
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(川下り遊覧船)

漓江(りこう)下りの船着場は観光客であふれ
〜公司の川下り船がエンジンを震わせ出発時間を待っている
「7番目の船に乗ってください」
我々の船には既に100人くらいの日本人客と
数十人の中国人のグーループが乗船を終え
想いは既に山水の世界に遊ぶ。

次々と岸を離れる船
アチコチから弾けるように響く中国語
緑深く薄く白い霧のなかに聳える幽玄な奇山
小さな竹舟で村人が川を行き交い
川土手の竹林が頭をたれる。
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(地元のレジャー客)

いつもは美しく奇山を写すらし漓江の水も
雨季の増水で水面は重く
波立つ流れに竹舟の足は遅い。
頼山陽も驚くほどの絶景は
霧の中に濃く薄く現れては消え
大河の流れは大陸の大きさと
悠久の時間を想わせる
イメージ 3
(漓江、山水の世界)

途中、昼食あり
中華料理の食事に
素材の中国産をものともせず
舌鼓をうつ
オランダ製のビールは渇いた喉を潤す。

川原に地元民の観光客が多く戯れ
子供たちは水に遊び
大人は竹舟に座り大河を遊覧す
手を振ると竹舟のハンカチが応える。
高度成長期の日本のエネルギーに満ちた
家族団らんの遊びの風景を彷彿とさせる。
竹薮の向こうに牛を引き
鋤を担いだ農民の姿が見え隠れする。

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(中州で楽しむ家族)

墨絵の世界を堪能し
やがて60km、4時間の船旅は終点、陽朔の港で終る
町には歴史的建物の少数民族の土産店が並び
通りは国内外の観光客で溢れている。
「お財布とパスポート取られないように注意してください
同じような姿ですが、日本人は直ぐにわかります」


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(陽朔の町)

煩くはじけるような中国語
その昔、日本の田舎でも小父さんの話し声は大声だった
山の上から谷間の畑に
小父さん達の声が飛び交っていた。
「東京にでて来たお爺ちゃんの声は大きくて恥かしかった」
そんな大声の日本人は今はもう居ない。

人口700万の桂林には信号は数えるほどしかない
それでいて世界各国からの観光客は年間1千万人を下らないらしい。
町にはCO2を排気しない電気バイクが溢れて
商店は活気に溢れシャッター商店街がみえない
高度成長期以前の日本と同じだが
違うところは車の数量の割に道路が良く
高速道路の料金所で働いている人は
美しい女性ばかり。
日本と同じように、一家に数台の車社会になったときの
中国社会のエネルギー消費量に思わず背筋が寒くなる。

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(ヘルメットを2個持っているのがバイクタクシーらしい)

観光地近くの村の畑は荒れはて
村の女性は苦しく辛い農作業から
現金収入のある土産売りに商売替え
「写真、2冊、1000円」
幾ら断っても無視してついてくる。
帰りに同じ道を通ると
「3冊、500円」

3日間、観光地に寄る度に現れる「写真、千円、千円」
売るほうも客たちも何時の間にか
相手を人としての感情や言葉が態度に出ていない事に気が付いた
千円の小母さんの後ろにある家庭
見えない小父さんの影、荒れた畑
日本の戦後のヤクザ映画ではないが
暗い居間でお酒を飲んでマージャンでもしているのだろうか

乗り継の広州の飛行場のロビーは暗い
本を読むのが辛いくらい。
飛行場のエプロンも向かいに見える建物も
暗くて内部はよく見えない
エネルギー不足のせいか、環境対策か
無駄な光りの溢れる日本の夜景に
おもわず嘆息す。
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(広州飛行場)

日本の明治維新、アフガニスタンの石窟寺院
中国の文化大革命、ヨーロッパの第二次世界大戦
人類が営々として作り上げた文化遺産
時の権力者は旧態否定のため、いとも簡単に破壊してしまう。
ヨーロッパは遺産復元に情熱を燃やしているが
まだまだ便利さを求め破壊の方にむいている国もおおい
あらためて文化遺産とは?
そんな事を考えさせられた桂林の旅だった。

萩、笠山の椿

早朝でもないが朝9時に北九州都市高速にのり
うす曇の関門海峡を越えて美祢インターへ
萩に着いたのが11時丁度であった。
途中よった萩の武家屋敷では気温10度を少し超え
風も無いうららかな散歩日和
夏蜜柑が顔を覗かせる萩の武家屋敷横丁を歩いてみた。

今までに何度も見学している武家屋敷は
軽い散策と昼食に留め目的の椿の群生地笠山に急ぐことにした。

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木戸孝允旧宅のある江戸横丁では、ぞろぞろと多くの観光客と一緒に歩き
たわわに実った夏蜜柑が、廃藩後の貧困士族救済のために植えられた歴史も今は昔、
すっかり武家屋敷の雰囲気造りに一役買っている。

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1つ路地を曲がると菊屋横丁。
江戸時代の総合商社だった菊屋の当時の繁盛振りを今に伝える広大な敷地、
贅を尽くした屋敷では、たびたび殿様を迎えたらしく
殿様お成りの際の籠置石、豪華な玄関や座敷、
座敷の縁側には、商人使用禁止の檜の板をすのこで隠した長縁。
座敷の庭園は左奥に低い築山を配したレイアウトになっている。
また広い廊下の其処ここには歴史を伝える装飾品が飾られていた。
敷地は通りを隔てた維新の英雄、桂小五郎(木戸孝允)旧宅のゆうに3〜4倍はあり
商人の実質的な力の強さを偲ぶことが出来る。

美しい日本海の菊が浜から萩港に沿って北東に国道191号線を30分くらい進むと
約1万年くらい前の休火山、笠山の入り口、明神池に着く
この池は溶岩の隙間を日本海の海水が出入りしボラ、イシダイ、マダイ、コノシロ、フグ、など
海水魚が生息していると説明されていた。
あとで椿祭りのボランティアの人に聞いたところ
「この池のある厳島神社の神主さんが海から魚を釣って
昔から少しずつ入れて育てたそうだよ」

2万5千本の椿が茂る原生林はこの明神池から笠山を越えた
正反対の北側の海岸よりにある。
車が一台やっと通るくらいの細い道が海岸線をうねうねと続き
日本海がきらきらと春の光に揺れている。

駐車場に着くといきなり椿祭りの看板がかかったゲートが見えてくる。
ゲートを抜けると今日は椿祭りのせいか
直ぐ左手に海の幸や焼き鳥などの屋台が並んでいる。
入り口の地図で行く先を展望台に決め
整備された遊歩道の周りを火山岩で囲った椿の原生林に入った。

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椿の季節には早いのか遅いのか
思っていた程に椿の花は咲いて無く
パンフレットにあるように落ちた椿で歩道が赤く染まっているような雰囲気が無い。
椿の花のハッピを着たボランティアの叔母様の説明によれば
大風の早朝ここを訪れるとこのような椿の絨毯の風景が見られるらしい。

ところが散策途中、突然現れた見事な満開の数本の椿に出会い言葉を失った。
今を盛りにと咲き乱れる真っ赤な花々
陽光に青く輝く照りのある葉
木が密集しすぎて光を求めて空へ空へと伸びた
鼠・茶色のすべすべした滑らかな美しく長い幹。
暫く立ち止まり今日の椿を堪能した。

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展望台からは日本海に浮かんだ
お盆を伏せたような大島が、肥島が見える
豊かな日本海は海藻や魚で溢れ
春の光に魚達が群れ泳いでいるのが想像される。

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椿の原生林を楽しみ駐車場に戻る途中
賑やかな笛や太鼓の囃子の音が聞こえてきた。
神様の郷、出雲が近いせいか
初めてみる石見神楽が始まっていた。

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春の浜辺の 巻貝の
奥に聞こえる潮の音
青く輝く 海の底
水面(みなも)に揺れる一筋の
光の帯に誘われて
戯れ泳ぐ タイにイカ

漁師の網に生け捕られ
八手のように広げられ
春の光に クルクルと
祭りの出店で客を待つ
椿の甘い春風に
吹かれてくるりと軒に舞う

村人の屋台では干し魚やスルメが所狭しと並んでいる。
友人はまだスルメにはなっていない白々とした
イカの半日干しを何故だか私は外郎を買った。
後日談だが、初めて食べた外郎は
甘くも無く辛くも無く
硬くも無く柔らかくも無く
美味くも無く不味くも無く
不思議な味だった。

雪の金沢、百万石

目が覚めて、ホテルの窓から見える金沢の町は気温−2度。
凍った街路樹に纏わる雪はまるで霧氷のように白く、クリスマスのイルミネーションのように美しく
昨日の白川郷のサラサラと音も無く降り積もる粉雪の凄さにくらべ
軒先で下から上に舞い上がるように降るボタン雪は
百万石の冬を彩る優雅ささえ感じさせる柔らかな雪であった。

少し早めの朝食をとり武家屋敷観光にでかけた。
実は10年位前金沢で開かれた学会に参加したことがあり
季節は違うがこの武家屋敷も夜の香林坊も兼六園も既に一度訪れていた。

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百万石の城下町で戦災にも会っていない
そんな歴史の町としてはややコンパクトで物足りなさを感じる武家屋敷の佇まいだが
馬二頭が並んで走れない広さの石畳
敵の直進を防ぐ為所々で直角に曲がった見通しのきかない路地。
土壁を雨から守るための蓑囲いと上に張り出した松の枝、
微かに当時の面影を見ることができる。

駐車場から兼六園に続く道路は雪国らしく
融雪用のスピリンクラーは勢いよく水を噴出し
その水で足元を濡らさないように注意が必要だった。

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ガイドさんの名調子によると
「宋の時代の書物『洛陽名園記』には、
庭園では六つのすぐれた景観を同時に兼ね備えることはできないと書かれています。
なぜなら、広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまい、
人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しくなる。
また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない。
ここでは公園では無理だと思われたこの六つの条件を湖園とすろことで見事に解決しました。
文政5年(1822)、奥州白河藩主・松平定信によって
この六つの景観を兼ね備えた「兼六園」とその名を与えられたのが
現在の兼六園の由来だそうです。
兼六園は四季折々に見所がありとても美しいものですが
中でも雪釣りのあるこの雪の時期の人気が高く
雪景色の中の徽軫灯篭 雪吊りが施された唐崎松を見逃さないように楽しんできてください」

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あとはそれぞれ渡されは案内図を片手に
雪を掻き分け庭園の散策に出かけた。

ここでも唐崎の松の周囲では多くの観光客と
ガイドさんの中国語が賑やかに聞こえてくる。
「唐崎の松は13代藩主が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せ植えた黒松と伝えられています
また歴代の前田家の殿様は
最初は他家から嫁いで来た寂しい奥方や忠臣たちの慰労のための別荘として
観月や観楓のための蓮池庭(れんちてい)造ったのであろうが
それを幕末の頃に今の兼六園の形に作り上げたと言われています」
中国語がわかると多分このように説明していたのでしょう。
残念ながら一般庶民に解放されたのが明治7年と言われていますので
さすがの名君達も一般市民には目が行き届かなかったようです。

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霞が池をはさんで徽軫灯篭から唐崎松を眺めてみた。
雪が止んだ満月の夜、灯篭の灯りに朧に浮かんだ唐崎の松。
藩政時代、これ等を楽しめる場所に「内橋亭」なる建物が在ったらしい。

「姫この前、爺に作らせた霞が池と灯篭が効果的であろうが、
これで黄門様の偕楽園には負けない幽玄の世界が出来上がったであろう」
「あら、松の雪が大きな音をたてて池に落ちましたでおじゃりまする(?)」
なんて能登湾の海の幸と美味しいお酒でも飲みながら語らったのであろうか
それにしろこの公園が高台にあるのに園内を流れる
裕福な水の流れに先ず驚かされる。

「現在ならば水道が完備しているので不思議ではないが、
江戸時代にこのように水が豊富なのはどうしてだろう」
「そういえばローマ帝国時代のフランスの水道橋ポンデュガールを思い出すなあ。
日本人の新婚さんがこの高くて狭い橋の上を歩いて来たのには驚いた
学生時代山岳部で岩登りが得意だったが
年にはかなわないね。高所恐怖症で足が震えたよ」

先輩の言葉になるほどと思い売店のオバサンに聞くと
「この10km上流の犀川の水を引いてきていますよ」
との事だった。
さらにこの霞池の水を使ったサイホン方式の噴水を回り黄門橋を渡り
広々とした梅林に回ってみた。

「春が来て 先ず咲く花は 万作で
    雪の中にぞ 季節(とき)の温もり」

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その昔、まだ子供だった頃
梅の蕾の優しさや花の美しさより
塩をつけて食べる青梅の酸っぱさや団子の甘さのほうがまだ心に強く響いていた。
過ぎ去った若き心は既に衰え
胃と感性は、団子より花
昨夜の蟹の食べ放だいは今でも重く胃に残り
雪の白さに優しい梅の薄紅色が心に響く

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美しい梅ノ木の周りには
三脚を持った俄かカメラマンがあつまり
梅林撮影会の様相を呈していた。

どんな色の花を咲かせるのだろう
何の花だか知らないが柔らかに妙に心に残る
青い蕾があった。

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約4000坪の庭園をひと回りすれば、ほぼ決められた時間で
最後に入り口近くに着き、行きに見落とした「根上の松」があった。
大小四十数本の持ち上がった根は2mにも達しているらしい。

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この「根上の松」は万葉時代の北九州市小倉の「聞の海岸」に多く
何度も今に残っていないかと調べに行ったが
数十年前に一本だけ残っていた「根上の松」を近所住む人が車の通行の邪魔だと切ってしまっていた。
その時の残念さを思い出しながら少し複雑な気持ちでこの松を眺めた。

「豊国の聞の浜松ねもころに何しか妹に相云ひそめけむ」  巻12.3130

兼六園見学と昼食を終えると
フェリーの出発の時間を気にしながらの5時間に及ぶバスの旅の始まり。
途中、福井県、滋賀県の県境から賤ヶ岳は大雪でチエン規制中、

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あちらこちらでスリップした車が反対方向を向いている。
忙しいのは運転手さんだけで遊び疲れた乗客にとって
飛騨路の旅は夢のまた夢。

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白川郷

高山で昼食の後、バスは豪雪の中を一路白川郷に急いだ。
山また山、雪また雪、1時間30分の吹雪の高速道路をバスは縫うように進む。
最後に峠の急坂を一気に下るとそこは白一面の小さな集落だ。
バスの駐車場の前には俗界と荻町を隔てる庄川が流れ
村とを繋ぐ吊橋は我々を合掌造りの郷に誘ってくれる。
橋にも下の川原にも真っ白に降り積もった雪は遠近感をなくし
吊橋からそのまま川原に続いているようなそんな錯覚を起こす。

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村の角のお店で友人は甘酒を私は五平餅を買った。
冷えた大気に五平太餅の醤油の熱さが香ばしい。
積雪量は1mくらいらしいが
あまりにも豪雪のイメージが強いのと、
雪掻きされた道を観光客が踏み固めているせいか
殆どその雪の多さは感じられない。
我々のグループはお年寄りが多く平均年齢は70歳を超えている。
ツルツル滑るスケート場のような道をバランスをとりながら、お爺さん、お婆さんが小走りに歩く。

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村の道の最初の辻は明善寺の日本昔話のような
雪のぽっかり積もった寺の鐘楼。
頭にタオルを被り腰の曲がったお婆さんが
今にも歩いて出てきそうなそんな錯覚を覚える。
本能だろうか、始めて経験する降り積もった雪に何故だか心が躍る。

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合掌造りらしい家を求めて村中を散策する。
来る前は村中同じような合掌造りの家で溢れていると思っていたが
想像していたような大きな合掌造りの家が少ない。
そのなかでも一際立派な長瀬家のまえで
姿かたちが全く日本人と同じ観光客の一団から
すこし賑やかな中国語が聞こえてくる。
友人が
「台湾からですか」
「そうです」
「台湾の何処の町ですか」
「台北です」
注意してみると我々のグループ以外の殆どの観光客の言葉が違う。

そういえば旧正月の日本の高級ホテルは中国からの
観光客で賑やかだとのニュースを流していた。
雪の無い台湾や中国南部では
この雪は一見の価値ありであろう。

村中をひと回りした後
村の中でも特に大きな国の重要文化財の和田家を覗いてみた。

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隣では中国語でこちらは日本語で国際色豊かにガイドさんの説明は続く。
「むかしこの家には三十人くらいの家族が住み
一階には家長が2階より上には次男、三男・・・と住み分け
長男以外は嫁を貰うことも出来ませんでした。
そのうえ2階から上は蚕との共同生活で、
夜中は蚕が桑の葉を食べる音がバリバリとさぞかし賑やかだったことでしょう。
何しろ平地は村面積の5%くらいしかなく村人の人口増は
全体の死活問題になるくらい大変な食料事情だったようです」

この話は、この山里だけではなく江戸時代人口2千5百万人を維持し
人権より先ず生きる事を第一に考えた
徳川幕府の政治方針であり
中国の一人っ子政策を思い出させるものであった。

「この家は3年前に約3千万円をかけて屋根を葺きなおしたもので
30年くらいこのままで大丈夫です。
国重文といっても国から出る予算は材料費だけで
屋根職人は今はお年寄りばかり
合掌造りを維持するのは大変なんですよ」

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アチコチ記念の写真を撮りまくったが
いい写真を撮ろうという意識の無い写真は
半端な写真が多い
たまには反省の要らない写真を撮ってみたいものだ。

雪の飛騨路

朝の9時頃から降り出した雪は九州にしては珍しく何時の間にか道路につもり
バスも電車も時間どうりには動かないような大雪に変った。
バランス悪く、この北九州を後に豪雪の高山・白川郷に雪見のツアーに出かけた。
夕方5時に新門司を出発したフェリは12時間かけて翌朝5時に泉大津の港に接岸する。
それからが運転手さんの一仕事。
快晴の大阪から名神高速道路を走り、途中から雪に変わった彦根城を横目に東海北陸自動車道を
脇目もふらずに北上する。
郡上八幡を眼下に雪のカラマツ林を抜けて大雪の1,000mもの高原をバスは走る。
落葉したカラマツ林の地肌は白く雪に覆われ
バックの白地の無い稜線だけが薄墨色の模様をなし
どこまでも白と薄墨色の墨絵の世界が続いていた。
延々と半日500kmのバスの旅は
お昼までに我々を高山の町に運んでくれる。

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「皆さん、足元が滑ります。一個1000円で靴に付ける滑り止めがあります
10個しかありません。早いもの勝ちですよ」
一番後ろの席で滑り止めを買い損ねた凸凹○の私たち3人組みは
滑る足元を気にしながら市内散策に出かけた。
東西に流れる雪除けの雁木の付いた町のメイン道路、
そこから南北に分岐した昔の面影を留めた蔵の多い路地通り
上一ノ町、上二ノ町、上三ノ町。
途中、観光客でごった返す、蔵開き中の酒蔵「飛騨の酒、山車」を味わい
民芸店を覗きながら、土産の漆塗りの箸を買った。
「見事な街づくりだなあ」
「一軒でも反対があるとこんな重要伝統的建造物群を残した街づくりは出来ないんだよね」
「上一ノ町、上二ノ町、に比べて上三ノ町が立派だね」
「町の人が1つにまとまるのは大変だったろうが努力の甲斐があったね」
「そうだな。歩いてる観光客が殆ど上三ノ町に集中しているしね」
街づくりの大変さと江戸時代の情緒を楽しみながら
宮川を挟んで構える高山陣屋に向かった。

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話し上手のガイドさんの説明では、
「幕府はこの高山の豊富な木材と鉱山資源(金、銀、銅・・)に目をつけ
この地を6代にわたって治めた金森氏を出羽上山に転封とし天領としました。
この後、城を壊し以前の領主金森氏の下屋敷だった今の場所に陣屋を構えたそうです」

「今の時代の人は皆さん従順ですね。
税金が上がっても生活が苦しくても苦情を言う人が居ません。

その昔高山ではあまりの増税に農民が団結しお上に直訴しました。
何しろ直訴が成功してもその農民は死罪。大変です。
高山は天領で代官様による政治だったせいでしょうか
江戸時代に4回もの一揆、直訴が繰り返されています」

歴史はともあれ、江戸時代の代官・郡代陣屋(60箇所)でいまも昔の建物が
そのまま残っているはこの高山陣屋だけらしい。
「何石くらいの旗本が代官で来たのですか?」
「3百石くらいらしいよ」
雪かき中の小父さんが教えてくれた。

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