山越え谷越え旧道ある記

長野県飯田市を通る旧道を探検しています。三州街道、遠州街道、秋葉街道などを、散歩感覚で☆

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ヤフー!ブログが終了という事でアメーバブログに引っ越します。「山越え谷越え旧道ある記」というタイトルですが、まだ設定がわからず、IDがそのまま使われてます。何とかせねば。めんどくさい作業のいくつかを山越え谷越えて終わらせました。ヤレヤレです。
皆様あちらでも宜しく…まだ整っていませんが一応下記に貼り付けました。プロフィールにいっちゃうみたいですが、ちゃんとまたご案内します。
https://ameblo.jp/meruru3140/entry-12459153389.html

https://profile.ameba.jp/me
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新元号が決まりましたね。令和。
この元号が引用された万葉集の一節は本当に美文なので紹介します。

梅花三二首幷序
天平二年正月十三日、卒于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春令月、気淑風和、梅折鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。
庭舞新蝶空歸故鴈。
於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室廼嚢、開衿煙之外。
淡然自放、快然自足、若非翰苑何以攄情。
詩紀落梅之篇。
古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。


>万葉集、5巻、815〜846(32首)への序文全文です。
大伴旅人の家(大宰府)で開かれた宴会で、梅の花を読んだものを32首集めています。

意味↓ 講談社 中西進「万葉集 全訳注原文つき」より

天平2年正月13日に、長官の旅人宅に集まって宴会を開いた。
時あたかも新春の好き月、空気は美しく、風はやわらかに、梅は美女の鏡の前の装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香のごとき香りを漂わせている。
のみならず明け方の山頂には雲が動き、松は薄絹のような雲をかずいてきぬがさを傾ける風情を示し、山のくぼみには霧がわだかまって、鳥は薄霧にとじこめられ林に迷い鳴いている。
庭には新たに蝶の姿を見かけ、空には年を越した雁が飛び去ろうとしている。
ここに天をきぬがさとし地を座として、人々は膝を近づけて酒杯を酌み交わしている。
すでに一座は言葉をかけ合う必要もなく睦み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。
淡々とそれぞれが心の赴くままに振る舞い、快く各々が満ち足りている。
この心中を、筆にするのでなければ、どうして言い現し得よう中国でも多く落梅の詩編がある。
古今異なるはずとてなく、よろしく庭の梅を詠んで、いささかの歌を作ろうではないか。

       

この集まりがあたりの自然と相まって、開放的でみな心から打ち解けている、芸術も高まっている、ということなのかな?高揚感がつたわってきます。その気持ちは、今ここで筆にせずにはいられない。この思いは昔も今も変わらないはずだ、と作者(旅人か憶良)は言っています。

 

伊那谷地名研究会の地名フォーラム、今回は4人の研究発表がありました。

1.伊那郡青表紙検知帳の地名…山内尚巳さん
2.竜東地域の集落地名とその考察…下平隆司さん
3.道に刻まれる地名…中島正韶さん
4.明治維新と町村地名の誕生…青木隆幸さん

中で面白かったのが青木隆幸さんのお話。
最近つけられた地名、
南アルプス市、つくばみらい市、高輪ゲートウエイ駅、朝日ヶ丘、光が丘
といったキラキラ地名。
ちょっとどうなの?と思いませんか?それまでの地名を消して、こういう地名がつけられる。その土地が長年使われてきた、由緒ある地名が消されてしまうのはとても悲しいことです。
平成の大合併で、複数の町村が一緒になり、地名の取捨選択できないとなると、無難な地名で手を打ってしまう。という事態が起きました。あまりにも短絡..

ところがこういうことは明治14年の合併でも起こっていたのだそうです。
特に伊那谷は、県の命令が強く出て、一度にたくさんの村が合併させられ、明治のキラキラネームがつけられたのです。
たいてい、役人が自分で考え、押し付けられたそうです。でも結構よく考えられていて、かっこよすぎるきらいはありますが、住民は納得しただろうと想像できます

喬木村…たがぎむら。中国の「詩経」出典。助け合う村の姿からとったもの。
泰阜村…やすおかむら。漢詩、「泰山丘阜」に由来
三穂…みほ。三つの村が一緒になったので
信夫村…しのぶむら。今また分かれている。由来は不明。
伍加村…ごか。五つの村がいっしょになった
旦開村…あさげむら。朝日の当たる村。

あまりに無理やり合併したので、すぐにまた元に戻ったり、再編されました。村の名前を考えた人は、いい名前にしようと相当知恵を絞ったと思います。豊村、とつけたら、うちのような山間地にそれはないと言って反対され、変えた村もあったそうです。最近のキラキラネームだって、いい名前にと思ったことは確かでしょう。

次の元号が明日決まりますね。
どんなんなるんでしょうね。わざと悪い字をつけるわけないから、まあいいんじゃないのとなりそうです。

そう期待します。





http://www.vill.achi.lg.jp/ ←阿智村のHP

長野県下伊那郡阿智村に浪合(旧下伊那郡浪合村)という地籍があります。国道153号線を飯田から豊田に向かう途中の村です。
ここで、長年名主を務めた千葉さんというお宅の古文書が、この度県宝に指定され、記念講演が開かれました。
3月9日、家から40分ほどかかりますが、阿智村浪合支所 コアホールへ行ってきました。千葉家文書は古くから存在は知られており、私も見る機会はありました。特に中馬の中継地を表した古地図に興味があり行きました。
高速道路やバイパスができてからは、阿智村、平谷村には全く行くことがなくなったので、浪合の中心集落は、本当に久しぶりでした。
昭和40年ころまで、飯田から東海方面に行く主要道路で、中央道ができるまでは必ず通りました。車の弱い私はげーげーやって、ようやくついたのが浪合で、まだ半分も来てないよと言われてげんなりしたものです。あまり建物や道が変わっていないようで、とっても懐かしくて涙が出そうでした!
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浪合は江戸時代街道の宿場としてにぎわったので、千葉家には街道に関する資料が大変多いのです。木曽には中山道が通っていましたが、伊那街道は脇往還なので、伝馬がありません。そこで中馬家業が盛んになりました。中馬は一人で三〜四匹の馬を引き荷物を運びます。一度積んだ荷物は、目的地まで直接運んでよいことになっていました。それは伊那街道の中馬に特別許可されたものだったのですが、次第にもうけがいいことがわかると、東海地方の馬(三州馬)が伊那街道にもやってくるようになり伊那の中馬を脅かすようになります。そこで伊那の中馬たちがお上に訴え、伊那は訴訟に勝つのですが、結局三州馬の勢いは止められなかったということです。千葉家にはその時の訴訟の資料がたくさん残っていたそうです。
このように、歴史的に価値があり、地域の生活もよく表していて、文書の整理がついていることが、県宝に指定された理由だとのことです。

演者の飯田市歴史研究所の吉田ゆり子さん(東京外国語大学教授)によって、文書の解読と研究がされてきました。その間、千葉家の奥さん、千葉貴美子さんが先生と一緒に研究に携わってきました。その時の思い出も交え、貴美子さんもあいさつされました。貴美子さんはお嫁に来た頃、舅が先生たちに古文書を見せているのをお茶を出しながら見ていたそうです。その舅さんもなくなり、子供も手が離れたので、うちの古文書には何が書いてあるんだろうと、興味を持ち始めたのだそうです。そこで、飯田市でやっていた古文書講座に通うようになりました。週一回、夕方5時に夕飯を作り、7時の講座に間に合うように出かけます。帰りは10時近く、それを20年続けたそうです。わからない文字をずっと夜も昼も考えて、ふっと浮かんでわかった時の喜びは格別だった、とお話ししてくれました。千葉家の文書については、一つ一つにラベルをつけて整理していってください、と先生に言われ続けてきたそうです。
これはすばらしいですね〜〜。うちにはそんな古文書はないけど、うちの古文書を、自分で解読してみようと思うところが立派ですよね!その甲斐あっての県宝ですからね。

いい話を聞けました。
阿智村ではこんな企画もやっているそうですよ。
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Yahooがブログを終了するそうですよ!。まー、いきなりやめるというのはあんまりですよね。なんかもっと規模を縮小するとか、やり方があってもいいんじゃないの?前にアバターが終了したときも、利用者のことをないがしろにしたやり方だったし、今回の終了もYahooならあるかもという感じですね。(-_-メ)
そのうちどこかに移動しますので、その時はまた見に来てくださいね
せっかく知り合いになったブログの皆さんとも、バラバラになってしまうのが悲しいです。ワンクリックで尋ねられたのに(´・ω・`)これからはそうはいきません。(T_T)
まあ、気を取り直して、この先も更新していきますのでよろしくです!なんて、今回は二カ月以上ほおっていましたが。(^_-)-☆

私の発掘に行っているのが飯田市座光寺の恒川官衙遺跡。奈良平安時代の遺跡です。同じ時代で最も近いのが、岡谷市の榎木垣外遺跡
隣の県では岐阜県関市の弥勒寺官衙遺跡です。
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ここで、3月の上旬。官衙遺跡の保護に関するフォーラムがあり行って来ました。初日3月2日は弥勒寺官衙遺跡、伊勢国分寺遺跡、久留部官衙遺跡の三つの遺跡の担当の方の話がありました。
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三重県四日市市くるべ官衙遺跡パンフレットより
北勢バイパス建設中に見つかった遺跡。北勢バイパスを高く架橋して遺跡を保存しています


いつも自分の発掘に行っている、恒川遺跡は、後世のかく乱が多くて、とても大変と思っていましたが、三人のお話を聞いて、うちだけじゃないんだなあと、担当者の皆さんはどなたも大変な思いをして調査しているんだなあと、再認識してきました。思わず(´;ω;`)
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三重県鈴鹿市伊勢国分寺の平面図 パンフレットより


3つとも発掘は終わっていて、整備中なのですが、今はそれぞれ工夫を凝らしたイベントなどで、官衙の研究や体験学習などを行っていて、その発表がありました。古代衣装を着たり、昔の硯で字を書いたり。縄文の遺跡だと火おこしをしたり、弓矢を射たり、割とわんぱくな遊び(学習)ができますが、お役所の遺跡はちょっと地味ですよね。何をしたらいいか知恵がいるみたいです。
役所というのは給食、直会が必ずあったので、給食をイベントにとり入れたらいいんじゃないかなあ。このころから個人のお膳に各料理を盛り付けるようになったので、給食を出したらいいんじゃないでしょうか。イベントのお料理はお客さんも喜ぶけど、作る方も結構楽しめますよね。

フォーラムの講演会は午後からだったので、午前中に弥勒寺官衙遺跡を見に行ってきました。
ここはこれから整備をしていく、今まさに途中です。あしたはここで整備の説明があるのですが、私たちは見るだけに。
ここは長良川が大きく蛇行した凸の部分に、つくられた官衙です。

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正倉域と現在の弥勒寺
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正倉の建物を表している擬木
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準備している擬木

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林の中にある、旧弥勒寺の金堂の心礎

江戸時代の有名な、円空が入定したところで、円空のお墓と、円空の作品を集めた円空館もあります。白鳳期の弥勒寺という古いお寺の跡もあり、その東側で見つかった官衙遺跡です。遺跡と史跡と博物館が、ぎゅっとまとまって存在しているところなんです。円空さんだってめったにないアーティストでお坊さんですもんね。

ここの工事が終了したらまた見に来たいですね。
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弥勒寺官衙遺跡パンフレットより

今回のお話はここまで

皆さんお体大切に。お引越し先をぜひ教えてくださいね!

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