脳内ソースの独祭国家

政治やマスコミについて思うこと。

広島

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

祖父祖母の話2

アメリカ人は個性を大事にするから、
マイノリティーな人に見られたがる、と聞いたことがあります。ソースはたぶん小説。
でもたぶん放射線への理解は、グアムの運転手さんと一致してるんだろうなぁと。

日本情報の小出しぶりをひとつ見ても、それを分かった上での対応なのかなぁと。
(メルトダウンは今にはじまったことじゃない。それが今わかったってだけの話だ。うーん?)
政治は票集めてナンボですので、マーケティングしてんだろうなと思うのですよ。
浜岡原発の停止も民意にそってるわけですし。

でなくて、放射線の理解を深めるのが重要なような気がするのですよ。
だから、www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/panel/A3/3203_1.htm
原爆投下時の放射線量を明らかにしてもらって、
どんな感じに減ってたかっていうデータを大々的に出したら、
グアムの運転手さんにも、
放射線撒きちらかされたっつても
ずっと不毛な土地になるわけじゃないんだなって分かってもらえると思うのですよ。


うまくまとめきる自信がないのですが、
人の要望ばっかり聞いていかようにも変容する政治って、
あてにならんなぁと。

マスコミさんがあてにならないのはまさに其れが所以ですもんね。

祖父と祖母の話

うちのじーちゃんは10代のとき原爆に遭遇しました。
仕事をしに、広島駅に向かうとちゅうで、ピカドンにあいました。
背中を大やけどしたものの、一緒にいた友人と二人、協力して船をこぎ、自宅へ戻りました。
割と元気だったので数日後に、小学校での死体焼却の作業を手伝う事になりました。
その時の焼場の臭いとけむりで、じーちゃんは倒れました。
それから1カ月弱意識不明で眠り続けたものの、復活。
その数年後、ばーちゃんと結婚をして、母が産まれ、その後私が産まれたわけです。

じーちゃんの実家もばーちゃんの実家も、ばりばりの専業農家でした。
主食は自分とこで作った米と野菜。肉もたまーに自分のとこでしめた鶏。

原爆の放射線量についてのソースがなかったので、なんとも言えませんが、
ハウス栽培なんてやってなかったはずですから、
放射線をたっぷり浴びた野菜やお肉を食べていたはずなわけです。

ちなみに黒い雨を浴びた当時7歳?だったうちのばーちゃんは、
やはり自分とこの野菜を食べて育ってますが、今も元気に農業やっています。
じーちゃんは孫の私と数年過ごして、亡くなりました。

つい最近グアムに行ったとき、
観光バスの運転手とつたない英語で国際交流しました。
チューインガムでつながる人々。

運転手「ねえ、日本のどっから来たの?」
私「広島です。」
運転手「え!まじで。原爆おちたとこだよね。知ってる知ってる。」
私「そうそう。私のばあちゃんとじいちゃんが原爆にあったんですよー。」
運転手「まじで。それはそれは。原爆おちたとこって、でっかい穴だけで、なんもないんでしょ?」
私「いやいや。普通にキレイな公園になってるよ。平和記念公園てのになってるよ。」

外国人は、たいてい広島出身と聞くとオ〜!大変だったね!みたいになぐさめてくれます。
いやいや超頑張ったのはじーちゃんばーちゃん〜ひいじいちゃんひいばあちゃん世代だから。
と、否定しますが、あんまり聞いてくれない。


60年経っても原爆落ちたとこは木も生えてないっていうのが、運転手のジョークだったら、
頭のしかくい日本人ゆえ、ごめんなさいって感じですが。

こういう考えがグローバルスタンダードだったら困るなぁと思いました。


原爆投下から半世紀以上経って、ごくごく普通な被爆者三世の私がおるわけなので。

このたびの福島と原爆の放射線量を比較して、
安全じゃーとか危険じゃーとか言ってみたかったんですが、
原爆投下時の放射線量のソースがなかったのです。

→www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/panel/A3/3203_1.htm


うちのじーちゃんは、57歳没。
原爆投下時のことはあまり語りたがらなかったのですが、
ちょこっと聞いた話を載せます。

自分は小学校低学年のとき、
平和学習として、似島※へ行ってきました。
 
学校が組んでいるカリキュラムとは別行動でしたので、
担任の先生と同じクラスの女の子と自分の三人と行ってきました。
 
防空壕やスライドを見たり、
語りべの人たちのお話を聞きいたりしました。
 
一番印象深かったのは、やはり語りべの人のお話。
彼女らは、自らの体験を語り、涙していました。
 
実際、語りべの人たちの語る体験は陰惨です。
今の自分が聞くにしても、聞くに堪えません。
(ex,小学校の頃、麻酔なしで◎×▼■○、、、子どもを抱えて立ったまま○●□、自分と友達の生死をわけたのはz;?・。)
 
小学校低学年で、あの話を聞かせるのもどうだろうと思う程度に
自分自身トラウマです。(まぁいいんだけど。)
 
はだしのゲンはリアルです。
実際うちの近所のおじいさんは、原爆孤児。
 
二番目に覚えているのはスライドです。
 
ケロイドや、ときどきアニメも挟んであって非常に印象的でした。
今でもどんな感じだったか、説明できます。
 
そんな陰惨な話を散々聞いてきた自分が、
原爆症認定訴訟だとかの話を聞くと、
どんだけか・・・・お察しください。
 
自分としては、平和公園での花見も、平和公園を通り抜けに使うのも嫌なんです。でももはや、平和公園や式典もおおよそ形式的。
だから、アメリカ代表の人も式典に来たのかなぁと思いました。
 
原爆って、やっぱりなしです。
感情的になし希望。
 
同じ兵器ならば、原爆以外の、
あまり人を苦しめないものをお願いしたい。
だってあれから65年も経ったんですよ。
人類の作り上げた兵器って、あれが最高であるはずがないでしょう。
なんで核である必然があるんですか。
それとも人間が65年間積み上げてきたものって、
65年も昔の兵器に縋りつく程度のものでしかないんでしょうか?
 
 
 
※似島(にのしま)
広島市宇品の広島港からフェリーで20分。
原爆のとき、多数のけが人が運び込まれた。
広島の各病院でまったく薬も場所も足らなかったが故の措置であるが、
地つながりの各病院でそんななのに、
島の病院で、なんとかなるわけがないって言う。
原爆症が認定された人は、月々14,5万のお金がもらえます。
 
原爆症の人を治療する病院もお金をもらえます。
 
原爆症認定訴訟をしている人たちは、
 
原爆手帳を既に貰っています。
 
原爆手帳があれば、医療費はタダです。
 
以上。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事