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【ファイルH16】2008.08.14 鬼畜米英って本当に『うそ』だったの?(下)
(上)はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/44070110.html
皆さんは空の英雄リンドバーグのことをご存知でしょう。
1927年5月20日スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したアメリカの英雄チャールズ・リンドバーグです。『翼よあれがパリの灯だ!』という台詞が有名ですね。
彼は第二次世界大戦に従軍しましたが、その時の日記にアメリカ軍の実態を告発しています。
『リンドバーグ第二次世界大戦日記』は、1974年に新潮社から出ていましたが、今は『孤高の鷲 リンドバーグ第二次世界大戦参戦記 上・下』チャールズ・リンドバーグ 新庄哲夫訳 学研M文庫 として入手できます。(現在アマゾンで古書の入手になるみたい)
(下巻)昭和19年(1944)の日記−日本軍と対峙した日々より
六月二十六日 月曜日
―――(略)―――小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品(スペーニア)として十ポンド(三十三ドル)の値打ちがあると、ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は二百五十ポンドなら譲ってもよいと言った。談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる」と、将校の一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
「*****では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」 「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる。
「たとえば***隊だが、かなり残酷なやり方で切り刻まれている隊員の遺体を発見した。それ以来、連中は日本兵をさほど多く捕虜にしなくなったと考えて間違いない」
話は次いで空中戦や落下傘脱出に移る。一座の操縦士は一人残らず、落下傘で降下中のパイロットを撃ち殺して差し支えないと主張した。「これも、最初はジャップの方からやり出した。やつらがその手を使いたければ、われわれにだって同じ手が使えるということだ」落下傘にぶらさがったまま、日本軍に撃ち殺されたアメリカ軍パイロットの話が幾つか披露された。
七月二十一日 金曜日
早朝、ビアク島の断崖にたてこもる日本軍の強力な拠点に再度の攻撃を加えることになった。
―――(略)―――もう何週間も、二百五十名から七百名の間と推定されるいわば一握りの日本軍は圧倒的な強敵に対して、また充分に補給された火器が撃てる限りの猛砲撃にも、その拠点を死守し続けて来たのだ。
仮に攻守ところを変えて、わが方の部隊がかくも勇敢に立派に拠点を死守したのであれば、この防衛戦はわが国の歴史上、不撓不屈と勇気と犠牲的精神との最も栄光ある実例の一つとして記録されたに相違ない。が、安全でかなり贅沢な将校クラブに坐しながら、これらの日本軍を「黄色いやつばら」と表現するアメリカ人将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、むごたらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた憶えは全くない。
自分が最も気にしているのは、わが将校の側にある殺戮(さつりく)の欲望ではない。それは戦争に固有なものである。問題は敵の尊敬に値する特質にさえ敬意を払う心を欠いていることだ―――勇気、艱難、死、信念に殉ずる覚悟、卓越した訓練と装備にもかかわらず次々と殲滅されて行く部隊等に対し敬意を払う心が全くない。われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる。われわれは声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方では自らの残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として大目に見ようとする。
アメリカの兵の首を斬り落とす日本兵は”どぶネズミ以下”の東洋流の蛮行だ。日本兵の喉元を切り裂くアメリカ兵は「ジャップが戦友に同じような真似をしたのを知っていたからこそ、同じようなことをやってのけたまでの話だ」。東洋流の残虐行為がしばしばわれわれのそれより極悪であることを問題にしているのではない。結局のところ、われわれは自分にも、また耳を傾けてくれる人たちにも、われわれがあらゆる”善”と文明の擁護者だと絶えず言い聞かせてきたと言うことでもある。
私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼けただれた地域の地表下に極度の苦悶が隠されているのだ―――飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとはしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかなのだから。
しかし、われわれは彼らに爆撃を加えて洞窟からいぶり出さねばならぬ。戦争だからである。もしわれわれが彼らを殺さねば、われわれが投降の可能性を無くしたが故に彼らはわれわれを殺すであろう。それにしても、われわれがもし日本兵の遺体の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、浚(さら)った土をかぶせたりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標もたてずに、こう言うのである。「これが黄色いやつばらを始末するたった一つの手さ」と。
七月二十四日 月曜日
―――(略)―――丘の斜面を降りていくと、峠に差しかかる。そこには一人の日本軍将校と、十人か十二人の日本軍兵士の死体が、切り刻まれた人体だけが見せるような身の毛のよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま、横たわっていた。彼らは峠の防衛戦で倒れ、死体は埋めずに放っておかれたのである。戦闘は数週間前に行われたので、熱帯地の暑気と蟻とがそれぞれの働きをなしていた。頭蓋骨を覆うわずかな肉片だけが残っている。ある場所では一個の遺体に二つの首が並んでいるかと思えば、他の場所では遺体に首が無かった。なかには四肢がばらばらになり、身体のかけらしか残っておらぬ死体もあった。そして同行の将校が言ったように、「歩兵はお得意の商売にとりかかったようだ」つまり、戦利品として金歯をことごとくもぎとったというのである。
洞窟郡へたどり着くまでには山道を横切り、もう一つの丘を登らねばならぬ。山道の片側にある爆弾で出来た穴の縁を通り過ぎる。穴の底には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。同胞が今日ほど恥ずかしかったことは無い。敵を殺す、これは理解できる。戦争の欠くべからざる要素だ。敵を殺戮する最も効果的ないかなる方法も正当化されるだろう。しかし、わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾で出来た穴に投げ込んだ上、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸くそが悪くなる。丘を登り詰めるまでに、われわれはもっと多くの日本軍将兵の死体をまたいで歩かねばならなかった。どうやら日本の海兵隊員に違いない―――(略)―――
八月六日 日曜日
―――(略)―――テントの中央には掲示板があり、告知事項や情報部の各地図が掲げてある。片隅の黒板には出動要員の操縦士一覧表、使用機種、飛行命令等が貼り出してある。黒板の下方にはチョークで横臥ヌードが描いてあった。真上から日本兵の白く光る髑髏(しゃれこうべ)が吊り下げてあった。
九月九日 土曜日
―――(略)―――アメリカ軍の戦死者は個別的に埋葬されたが、日本軍の戦死体はトラックに積み込み、ブルドーザーが掘り返した大きな穴に放り込んだ。原住民が主として死体の処理に当たり、彼らは多くの死体を”臭気”で見つけ出したそうである。 将校の話によれば、穴の中の遺体を「ブルドーザーにかける」前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む子袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに耳や鼻を切り落とされている日本軍の戦死体を幾つか見たとも言った。「兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の生首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなりすぎたので、首を取り上げねばなりませんでした」。行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ。
※ ※ ※
これは、一部分の引用です。酸鼻を極める叙述が延々と続きます。
左翼・偏向マスコミは、昭和16年(1941) 1月に当時の陸軍大臣・東條英機が示達した戦陣訓(せんじんくん)のなかの『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず』という一節が軍人・民間人の多量の無駄な自決・自殺の原因になったって言いますが、果たしてそうでしょうか?
事実は、捕虜になろうとしても、虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受ける前に、機銃掃射で撃ち殺されているじゃないですか!それどころか、死後も辱めを受けています。なんでも悪いのは日本です。アメリカの英雄でも日本軍に対する米兵の態度に憤っていたのに、日本人は本当におかしいんじゃないのかな?
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やっぱり、リンドバーグは紳士だったんだね。普通の感覚を普通に持ち合わせてる・・・だから、なんでもかんでも迎合するのではダメなんだよね。中にはまともなアメリカ人だっている。日本人はどうしてもアジア人とアメリカ人に対する態度が違うものね。なんでもかんでも、欧米が正しいのではなくてダメなことはダメ。良いことは良いでどうして見られないのだろう??普通は自国民が悪いって言われた時点で、ほんと??って疑うでしょ・・・悪いことはどこの国だってやってたんだもの、戦争だから。日本だけじゃないよ・・・それを全部押し付けられてさ・・・
2008/8/15(金) 午前 2:59
むにゅさん、ライフでさえ記事にするようなことですから普通に行われていたんでしょうね。命がけの冒険飛行をした英雄は、命がけの戦闘をした勇敢な日本兵に対する無礼は見過ごせなかったんでしょうね。昨日登山家の野口健さんが旧日本兵の遺骨収集のNPOについてテレビで話しておられました。戦後の遺骨収集によって約半数の124万5千体のご遺骨がご帰国されているものの、残りの115万5千体のご遺骨はいまだに戦地に取り残されたままでいるそうです。野口氏のHPよりhttp://www.noguchi-ken.com/message/b_num/2008/0323.html
いまだに日本兵は見捨てられたまま、罪をなすりつけられています。日本人に良心というものがあるのでしょうか?
2008/8/15(金) 午後 9:45
読みましたが読むに耐えない内容の文章ですね。
でも、この文章、終戦の日だけでもいいから、各新聞の一面に掲載してやりたいです。
私は父方の伯父から繰り返し繰り返し戦場のものすごさの話を聞かされてきました。上の文章は更にそれ以上に無残です。
2008/8/16(土) 午後 3:39 [ afuro_tomato ]
afuro_tomatoさん、日本のために命を賭した若者たちに対して、人間のする所業ではありませんね。人間という種に対する侮辱です。でも、支那は日本人に対して、それ以上の残虐行為を働きましたし、ソ連の満州侵攻時のソ連兵、支那人、朝鮮人が日本人にした残虐行為、千島、樺太でやったことはこれ以上です。また、ベトナム戦争で韓国兵が行った残虐行為は、アメリカ兵もあきれたようですが、韓国はベトナムに謝罪していません。マスコミは、信憑性がほとんどない出鱈目の話をスクープとして、日本兵の残虐行為をでっちあげます。私のブログでは、こういう話を少しずつUPしていきたいと思っています。
2008/8/17(日) 午後 3:22
眼とろん星人さん、はじめまして。
こちらも、TB先の記事に引用させていただきました。
>こういう話を少しずつUP
よろしくお願い申し上げます。
傑作、ピカッ☆!
&TBいたします。
2008/8/27(水) 午前 1:34
たつやさん、はじめまして、傑作・TBありがとうございます。当時成人だった人はかなり亡くなられています。さらに、世界情勢を知っていたインテリとなると、もっと限られてきます。今が、偏向した歴史を修正する最後の機会かもしれませんね。
2008/8/27(水) 午後 10:24