【ファイルMK6】2009.11.23 京の新五条大橋・旧五条橋(現松原橋)に行ったよ。京都の鴨川は、都と冥界との境界(その1)以前、三条大橋が東海道中膝栗毛のゴール地点で、三条河原が石川五右衛門が処刑された地だという記事を書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/23905574.html それから、祇園祭では、鴨川の外(東側)は異界で、京の都の魔を払うために異界に位置する祇園社から、主祭神の素戔嗚尊(スサノヲノミコト) さん達が御神輿に乗って橋を渡って、御旅所まで出張されるという記事も書きました。 というように、鴨川は京の都すなはち洛中と冥界を隔する境界の川なのですね。 ということで、五条大橋に着きました。 中央分離帯のある、交通量が多い大きな橋です。 橋の袂には、弁慶さんと牛若丸さんの可愛い像が建っています。 ちょっとタンマと言っている弁慶さん。 弁慶さんと牛若丸さんについては、以前紹介した祇園祭の橋弁慶山の記事を参考にしてくださいね。 擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)はとても古くて立派です。 雒陽ラクヨウ(ラクヤウ)というのは、洛陽のことで、支那の洛陽です。東周に洛邑と称され都が設置されて以来、後漢・曹魏・西晋・北魏・隋・後唐などの都城が設置され、また長安を都とした王朝でも、洛陽を副都とした王朝が多く中国古代の政治経済の中心地でした。 元々は平安京を東西に分割し、西側(右京)を『長安』、東側(左京)を『洛陽』と呼んでいたのですが、右京すなわち『長安』側は湿地帯が多かったことなどから程なくして廃れ、市街地は実質的に左京すなわち『洛陽』だけとなったのです。 現在でも京都以外の地方から京都へ行くことを「上洛する」「入洛する」といいますね。 正保2年は1645年で、干支は乙酉(きのと-とり)です。『し』が『乙』を表すのかな? ちなみに正保2年がどんな時代かというと、前年1644年に明が滅んでいます。 五条大橋の袂から、鴨川の岸辺に降ります。 川のほとりには、サギさんがいました。 ユリカモメさんもいます。 ジャンプして、急降下して川の魚を食べていました。 ユリカモメさんは、現在鴨川に公園の鳩なみに沢山いますが、実は京都に来たのは、1970年代になってからだそうです。 ユリカモメさんは、昔の本に都鳥という名前で出てくる鳥のことだという説が有力だそうで、『伊勢物語』の「九段 東下り」に出てきます。 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。(中略)さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。 隅田川に『京には見えぬ鳥』がいて、渡しもりに名前を聞くと『都鳥』ということなので、舟のお客さんは京都のことを偲んで泣いたのですね。 私はてっきり京都に沢山いるからユリカモメのことを都鳥と呼んでいたのだと思っていましたよ。 五条大橋から北側に松原橋を望むことができます。 ということで、旧五条橋の松原橋に向かいます。 途中にあった小公園で、ムギマキさんが赤い実をくわえていました。 中世の五条橋は、東の橋と西の橋に分かれていて、2つの橋を中継する中洲が鴨川の真ん中にあったそうです。 『雍州府志(ようしゅうふし)』などの記載によると、この中洲には法城寺(大黒堂)という真言宗の小さなお寺があったそうです。法城寺は陰陽師で有名な安倍清明ゆかりの寺で、清明が亡くなったとき、この寺に葬り、晴明塚を立てました。 その後、改宗・改号して京都知恩院の末寺となり。数度の洪水に遭い、慶長12(1607)年に三条大橋東詰、京阪三条駅のすぐ北側の現在地に移転。この折、晴明塚もともに移築されたそうです。(現在の心光寺=法城山晴明堂)。 松原橋(旧五条橋)の上から、現五条橋を望む。 時代は変わっても鴨川は流れ続けています。 鴨川東隣の疎水に落ち葉が浮かんでいました。 さらに松原通を東に進みます。 狭い通りだねえ。 ということで、位置関係を落とした写真を見てください。 鴨川が南北に流れ、その東側に赤で鳥辺野と書かれています。 そして、緑の線で松原通を示しています。 松原通はもともと、鳥辺野という墓地の葬送道でした。 ですから、魑魅魍魎、妖怪、幽霊の原宿通りといった感じなのです。 松原通はそのまま行けば清水寺に通じています。 これから、この一帯をご案内しますね。次に続くよ。 |
全体表示
[ リスト ]







上の地図を見ながら、何年か前自分が歩いたところを確かめることが出来ました。現五条大橋は何度も渡りましたが、牛若丸と弁慶の戦ったところはここではない、と言われていましたので、橋の袂の銅像を見てもあまり興味がもてませんでした。
むしろ、四条大橋の方が雰囲気があって好きでした。
でも鴨川の辺に降りたことがありましたが、上から眺めている鴨川とは趣が違って、ある懐かしさを含んだ感慨を持って眺めたことでした。
2009/11/23(月) 午後 9:15 [ afuro_tomato ]
ムギマキさんっていう鳥なんだ!てっきり、色でジョウビタキかとばかり・・(実はそれしか知らないんだけど・・)でも、ちょうど8月に説明を受けた場所なので、思い出しながら読みました。TBさせてくださいね!サギの写真が逆行を生かしててすばらしいの一言です!凸!
2009/11/24(火) 午後 4:42
トマトさん、京都は方位がしっかりしているので、鳥瞰図で見ると位置関係がはっきりしますね。
現五条大橋は、牛若丸・弁慶よりも、豊臣秀吉が巨大な方広寺を造営した権勢の名残としてみた方がよさそうですね。
四条大橋は夏は納涼床ができて、人が大勢行き来して、昔の賑わいが想像できますね。
鴨川も、下に降りた方が自然の川を味わえますね。
2009/11/24(火) 午後 8:31
むにゅさん、ノビタキさん、ジョウビタキさんかなとも思ったのですが、野鳥図鑑を見たら、ムギマキさんが一番それらしかったので、ムギマキさんということで書きました。自信はありません。
むにゅさんも記事で、五條天神や、法城寺の由来を書かれていましたね。本当に京都は魔界ですよね。
サギさんは逆光で尚且つ橋の下の影が魚が多いのか、ずっとここにいました。
日本の風景にサギは映えますよね。ポチ、TBありがとうございます。
こちらからもTBさせてくださいね。
2009/11/24(火) 午後 8:54
こうした寺院や名所は、このあたりいったいの地が
古くは葬送の地であったのでしょうね。つまり、
旧五条橋は清水寺へおまいりをするための橋であるとともに、
この世とあの世をわける境界というべき橋でもあった。。。
松原橋(旧五条橋)を渡って、さらにずっといくと、
やがて五条天神にまで行き着くのですね。
こうして、時代背景を考えながら散策も楽しいと思います。
京の整然とした秋の佇まいの風景が素敵です。P
2009/11/26(木) 午前 9:55
もえぎさん、京都は千年の都ですから、それだけ亡くなった人を祀るという事が大きな意味を持っていたのですね。
昔の人は、地形にたいする体感を霊的なものに変換していたのでしょう。
あれだけ立派な清水寺を建てなければならないほど、パワーを持っているのでしょうね。
端正な町並みと、おどろおどろしい歴史が並存しているのが、京都の魅力ですね。
ポチありがとうございます。
2009/11/26(木) 午後 8:42
写真がなんとなくいつもと違うような気がするのは気のせいでしょうか。空の部分が少ないからなのかもしれません。赤い実の下の落ち葉がきれいですね。(*´・ω`)ノ凸ポチ♪
2009/11/29(日) 午後 8:54 [ - ]
BTGさんがおっしゃるように、私の旅の写真は、夏の写真や、晴れた写真が多いので、秋の曇りの写真はいつもと感じが違うと思います。
魔界の写真は曇りの方が感じが出るかも。
落ち葉は疎水に溜まっていてとても綺麗でした。ポチありがとうございます。
2009/11/30(月) 午前 0:17