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【ファイルMK11】2010.01.23 京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は冥界への入り口(その3)

小野篁(おのたかむら)さんが冥界に向かう入口の井戸があるよ。

 小野篁(おのたかむら)さんは夜に冥界に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたということを書きました。

『その1』からご覧になられる方はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50020335.html

 それで、ここ六道珍皇寺には、小野篁さんが、夜になって冥界に出勤する際の入口の井戸があります。

 ところが、八月七日から十日までの四日間に行われる『六道まいり』の時期は、小野篁さんや閻魔大王さんの像が見やすくてよいのですが、本堂前に、おまいりのための受付が設けられるので、井戸を見ることができません。

 それで、別の機会に訪れた時の写真を改めてUPします。

 普段の珍皇寺さんはひっそりとしています。

イメージ 1



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 門の右手に碑が建てられています。

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 謡曲『熊野』 【『熊野』と書いて『ゆや』と読みます。喜多流では『湯谷』】
の清水詣より、一節が刻まれています。とても古い作品で、作者は世阿弥とする説や、金春禅竹とする説があるそうです。

地:『げにや守りの末すぐに。頼む命は白玉の。愛宕(おたぎ)の寺も打ちすぎぬ 六道の辻とかや』

シテ:『げに恐ろしや この道は。冥土に通ふなるものを。心ぼそ鳥辺山』

 平宗盛の愛妾熊野が、老母からの手紙をみて病であることを知り、見舞いのために暇乞いをするのですが、宗盛は寵愛する熊野を手放したくないので、熊野の気持ちを引き立てようと、牛車で清水寺の花見に誘います。

 その道中、冥界の入口である『六道の辻』や葬送の地の『鳥辺山』を通り、母の病を案じて心細くなる熊野の気持を表しているのです。その辺のところが分からないと、作品の理解が皮相的になるんですね。

 ここにある『愛宕(おたぎ)の寺』というのは、8世紀中頃、稱徳(しょうとく)天皇により、ここの近くに愛宕寺として創建されたお寺です。平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたのですが、鴨川の洪水で堂宇を流失し廃寺同然に打ち捨てられていたのを醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(せんかんないぐ=伝燈大法師)が復興しました。

 千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)と改め、天台宗に属しましたが、興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなってすっかり荒れ寺になりました。

 1922年それらを嵯峨野に移築して再起を期しますが叶いませんでした。

 そのまま、嵯峨野に移った愛宕念仏寺は、すっかり荒れはてたのですが、五つ子ちゃんの名付け親としても有名な清水寺の大西良慶貫主(おおにしりょうけいかんす)から住職を命じられた西村公朝(にしむら こうちょう:僧侶で、有名な仏師)さんが復興し、今では『愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)』=別名『千二百羅漢のお寺』は、嵯峨野めぐりの始発点として知られています。


 話が脇道にそれましたが、六道珍皇寺に戻って、薬師堂です。

イメージ 4



 ここには

○本尊の木像薬師如来坐像(重要文化財)=伝教大師 最澄の作と伝えられている。
○毘沙門天=弘法大師の作と伝えられている。
○地蔵菩薩

 が祀られています。

 それで、肝心の六道珍皇寺の由来ですが、

 創建については諸説あって、平安京遷都以前に東山阿弥陀ヶ峰山麓一帯に住んでいた鳥部氏の氏寺(宝皇寺)が由来とも、

 平安時代前期の延暦年間に、大和(奈良)の真言宗大安寺住持であった慶俊僧都(きょうしゅんぞうず)によって建立された珍皇寺が始まりであるとも言われているそうです。

 平安時代、鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。

 室町時代前期 に建仁寺(けんにんじ)の聞渓良聰(もんけいりょうそう)によって再建され、臨済宗に改められ現在に至っているそうです。

 石のお地蔵さんが並んでいます。

イメージ 5



 閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれていますからね。

『閻魔堂』です。

イメージ 6



 ここに、『その1』『その2』でご紹介した小野篁さんや閻魔大王さんの像が安置されているのですが、普段はこのように戸が閉まっていて、ガラスの入った格子の隙間から覗き見ることができます。

 本堂です。

イメージ 7



 写真右の赤い矢印の箇所にある格子の隙間から、小野篁(おのたかむら)さんが冥界への入り口にしたといわれる井戸『冥途通いの井戸』を覗き見ることができます。

 ここのお寺は、人に覗かせるのが好きなようです。

『冥途通いの井戸』です。

イメージ 8



 ドラえもんのタイムマシンはのび太くんの勉強机の最上段の引き出しですが、こちらは井戸が冥界への入り口なのですね。

 冥界への入口はこの井戸なのですが、篁さんが冥界から現世に帰って来る出口は、京都の西の葬送地にあたる化野(あだしの)の大覚寺門前六道町辺りにあった福生寺の井戸と伝えられているそうです。

 残念ながら、福生寺は明治時代に廃寺となって今はありません。

 ということは、今この井戸から冥界に行っても、行きっぱなしで帰ってこれないのですね。大変だあ!

 都の人々は、珍皇寺の井戸を『死の六道』、福生寺の井戸を『生の六道』と呼んでいました。


 門の屋根にあった笹龍胆(ささりんどう)の家紋です。

イメージ 9



 珍皇寺は建仁寺の塔頭なので、建仁寺にあったのと同じ獅子の瓦が載っています。

イメージ 10



 ということで、京都の魔界スポット六道珍皇寺でした。

 小さいのですけれど、とても不思議なお寺ですね。



 次は八坂の塔から、清水寺に向かいます。

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この六道と繋がっている小さなお寺は、いろいろな宗派のお坊さんが持ち回りの如く、お勤めを果たしたお寺なんですね。
まさかここの井戸を覗いただけでは、冥界にはいけないのでしょうね。冥界に行っても、閻魔様のお手伝いをするだけではつまらないですね。でもなんだか不思議なお寺だなぁ、と思います。

2010/1/23(土) 午後 8:56 [ afuro_tomato ]

トマトさん、ここ珍皇寺も、嵯峨野に移った愛宕念仏寺も、強い関係があるのでしょうし、それぞれ苦難の歴史を乗り越えていったのでしょうね。
もともとは、土地に住む人たちのアミニズム的な信仰の対象だったのかもしれません。
やはり、霊力がある人が入らないと、冥界にいけないのでしょうね。
小野篁さんのことだから、閻魔様にお手伝いのご褒美に冥界案内をしてもらったかもしれません。このような古くて不思議な話が、今も生活の中に息づいているのは、世界でも京都ならではなのでしょうね。

2010/1/23(土) 午後 10:33 眼とろん星人

もえぎさん、こんばんは。
主がいないと冥界にいけないことは分かっていても、ここから冥界に繋がっているっていう気配はするので、人気なのですね。
こういう話を知っていたら、ちゃちな宗教に騙されないと思うのですが。
『ザ・たっち』の幽体離脱は衝撃的なネタでしたが、確かに日本には道教の魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指し死後に分離するという考えが仏教に入っていますね。
しかし、日本人にとって魂は仏様になるので、悪人も丁寧に供養するのが素晴らしいと思います。
死について身近に感じる人は、生の大切さを感じることができますよね。
獅子舞が逆立ちしている姿は歴史のある寺社にしてはユーモラスですよね。
こういう精神の余裕が京都の歴史なのかな?と思いますよ。
ポチありがとうございます。

2010/1/24(日) 午後 11:03 眼とろん星人

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実際にはいけないでしょうけど、
井戸をちょいと探索したいなぁなんて思ったけど、
入ってしまうと地獄に行きっぱなしになるなんて…。
知らずにいたずら心でやっちゃうとエラいことですね(@@;)

屋根の獅子、可愛いですね(*^^*) 人懐っこい顔をしてます。

2010/1/25(月) 午前 6:27 [ みゆりん ]

みゆりんさん、やはりこの井戸を探索するには、小野篁さんについててもらわないと、不安ですね。
篁さんのことですから、ちょくちょくこの世にも遊びに来ているはずなんですけれどね。
井戸というのは、現代も、廃棄して埋める時はちゃんと御祀りしないと工事関係者が嫌がります。
普通の井戸でもいたづらするとエラいことになるようです。
こんな恐ろしい閻魔様を祀っているお寺でこんなかわいい獅子がいるというのは、ほっとしますね。偉いお坊さんがこれが良いってきめたはずですからね。
日本人は本当に可愛いものが好きなのですね。

2010/1/25(月) 午後 10:12 眼とろん星人

るあんさん、壺井地蔵ですか。
井戸とお地蔵さんと刑場ならば、道具立てがすべて揃っていますね。
福生寺の井戸と同じく京都の西ですから、共通する由緒がありそうですよね。
獅子は本当にバランスが取れた造詣ですね。
魑魅魍魎の表情が綻ぶようにデザインされたのでしょうか?
ポチありがとうございます。

2010/1/27(水) 午後 9:55 眼とろん星人

やはり、それなりに修行を積んだ方とかと一緒でないと、この井戸に入っても戻るどころかたどりつくこともできないような・・・
福生だから生っていうのもうなずけるような・・・・単純に語呂が合ったっていうわけでもないでしょうにね・・・凸

2010/2/16(火) 午後 3:52 むにゅ

むにゅさん、お疲れなのにコメントいただいてありがとうございます。
そうですね。
こういう特殊能力を身につけるほどの修行ですからきびしいものでしょうね。
福生寺はやはり小野篁さんにちなんだ名前なのでしょうね。
廃仏毀釈の波にのまれたのかな?のこっていないのがとても残念ですね。
ポチありがとうございます。

2010/2/16(火) 午後 11:56 眼とろん星人

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思うところあって、読み返してみました。
六道珍皇寺のことは、全3編読ませていただいても私的には
ざっくりとしか理解出来ませんが、
私の心は理解してくれているようです。

興廃を繰り返すお寺のことが気になりました。
一度荒れた寺の復興がむずかしいのも因縁なんでしょうか…。
「因縁」という言葉自体仏教用語ですものね。

愛宕念仏寺って「仏野(あだしの)念仏時」と
入口に書いてあったように思いますが、
嵯峨野の念仏時のことですよね…。
間違ってたらごめんなさい。
というのは

2010/2/27(土) 午後 11:08 りりぃ

りりぃさん、繰り返し読んでいただいてありがとうございます。
小さいお寺なんですが、こういう歴史が詰まっているところが京都の凄いところですね。

時代が移っていくと、人の価値観も違ってきてくるので、賑わったり廃れたりするのでしょう。時の権力者からの庇護も必要でしょうし。

やはり、こういうのは人智の及ばない因縁なのでしょう。
でも、地獄は西洋にもありますし、冥界とか鬼とかいう世界は多分ずっと人々の興味がなくなることはないでしょうね。

嵯峨野の化野念仏寺のさらに北西に登ったところに愛宕念仏寺はあります。
化野念仏寺は弘法大使の創建で法然が念仏道場を開いたお寺です。
一方、愛宕念仏寺は、鎌倉期の本堂を大正に移築し、一度は廃れましたが、西村公朝さんの努力で復興し信者の方々が彫った羅漢像が有名なお寺として有名です。
愛宕寺前というバス停があるので、愛宕念仏寺を観てから、化野念仏寺に降りると楽みたいですね。

2010/3/1(月) 午後 8:22 眼とろん星人


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