【ファイルET31】2011.06.13 靖国神社にお詣りしたよ(その5)遊就館のC56型蒸気機関車だよ。名画『戦場にかける橋』の大嘘の証拠だねえ(上)。靖国の記事を、最初からご覧になられる方はこちら。http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52046335.html 靖国神社の遊就館は、靖国神社に鎮まりますご祭神のご遺書やご遺品をはじめ、英霊のまごころやご事蹟を今に伝える貴重な史資料を展示しています。 館名の由来は、支那の古典、「荀子(じゅんし)」勧学篇(かんがくへん)「君子は居るに必ず郷を擇(えら)び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。 ここの「遊ぶ」とは勉学のために他の土地へ行くという意味で、遊学という使い方をしますね。 この機関車は、もともとは昭和11年日本車輌で製造され、石川県七尾(ななお)機関区を走行していた機関車でした。左上のレールと斧のぶっちがいのマークは鉄道連隊の連隊章です。左下の『七』は石川県七尾(ななお)機関区。右上のナンバープレートと、右下の日本車輌名古屋工場の製造銘板が設置されています。戦後は、タイ国有鉄道で使用され、昭和五十二(1977)年に引退することになったのですが、泰緬鉄道建設に関係した南方軍野戦鉄道隊関係者が拠金(きょきん)してタイ国有鉄道から譲り受け、昭和五十四(1979)年、靖国神社に奉納されました。左翼の人たちは、大東亜戦争の嘘がバレるのが嫌なので、この展示に大反対しました。泰緬鉄道(たいめんてつどう)というのは、昭和17年6月、日本軍がビルマ・インド進攻作戦の陸上補給を目的に、タイ(泰)のノンプラドックからビルマ(緬甸)のタンビザヤの最短距離、415キロの区間で鉄道建設を開始した鉄道です。工事は日本の国鉄規格を基本にして、鉄道第五、第九聯隊を中心に連合軍捕虜や現地住民など約17万人が従事し、1年3ヶ月という驚異的な早さで、昭和18年10月に開通した。この区間はかつてイギリス軍が構想したが断念したもので、険しい地形と過酷な熱帯気候などの悪条件のもと、敷設は困難を極めました。監督は、『陽気な幽霊』、『逢びき』、『旅情』、『アラビアのロレンス』等で知られる巨匠デヴィッド・リーン。特に『陽気な幽霊』、『逢びき』は私の好きな、とってもお洒落な名画です。名監督の下、ウィリアム・ホールデン、アレック・ギネス、ジャック・ホーキンス、早川雪洲、ジェームズ・ドナルドといった名優を配した超大作です。一般の評価も高く、第30回アカデミー賞を7部門受賞しています。受賞・・・作品賞/監督賞/脚色賞/主演男優賞(ギネス)/撮影賞/作曲賞/編集賞ノミネート・・・助演男優賞(早川) フィクションとして、架空の国の作り話として観れば、とても良くできた映画だと思います。原作はピエール・ブール↑ 実はこの人、日本の捕虜経験者なのです。それで、よほど有色人種の捕虜になったのが悔しかったのか、ものすごい歴史捏造をやらかしました。日本人及び有色人種を見下した人種差別映画が、アカデミー賞を受賞するのは、なにも『ザ・コーヴ』が初めてではないのです。ストーリーは私の記憶では、こんな感じです。舞台は大東亜戦争中のタイのクウェー川。黄色い猿の日本人は生意気にも、白人様の捕虜を虐待してちゃちな橋を架けようとします。でも哀しいかな、日本人は頭が悪いので、ちゃちな橋ですら架けることができません。日本人の馬鹿さかげんを見かねた白人捕虜の司令官は、野蛮な日本人の虐待に毅然とした態度で臨み、ご親切にも立派な木の橋を架けるため協力してあげようと申し出ます。最初は敵対していた黄色い猿の日本人と、白人の捕虜様でしたが、白人の捕虜様の英知と慈悲心に感動した日本人に、忠犬ハチ公がご主人様に対して抱いたような友情が芽生えてきます。ところが、捕虜収容所から脱出した米兵が黄色い猿の日本人にいじめられた復讐のためにクウェー川に舞い戻って橋を爆破しようとします。ちょうど橋の開通記念式典が行われる真っ最中。黄色い猿の日本人の軍幹部がちゃちな遊園地のお猿の汽車のようなおもちゃに毛が生えたようなシュポポの汽車に牽引された客車に乗り込みご満悦。日本人の捕虜収容所所長と、白人捕虜の司令官が爆破計画に気がつき、それを阻止できたのですが、橋の建設に大活躍した白人捕虜の司令官が、脱走米兵の撃った弾に当たり、意識を失ってよろめいた拍子にダイナマイトの起爆スイッチの上に倒れ込んだからたまりません。実際は、木の橋が白人捕虜の協力によって作られたなどというのはまったくのデタラメで、イギリスの技術では不可能で放置された難工事を日本軍が引き継ぎ、日本軍の鉄道連隊が設計し現地人や捕虜の協力を得て鉄橋を敷設したのです。当時、建設に携わっていた森本平太郎軍曹も次のように語っています。※ ※ ※「あの橋は白人俘虜の頭脳で作られたなんてとんでもない嘘で私達(鉄道連隊)が設計し現地人の協力を得て敷設したものなんです。重労働で白人がバタバタ倒れたと日本軍を非難してますが、ハーグ条約に違反した訳でありません。日本人と同じものを食べておりました。現地人や日本の兵隊はパンと野菜スープだけの毎日でもちゃんと働いてましたよ。捕虜からは色々と注文が出て、我々と違って連中のスープには肉片もいれてあげたんですよ。元々白人は余りにも体力がないんです。皮膚はすぐに真っ赤になってしまうし。捕虜や現地人は三交替ですが日本兵は徹夜でした」※ ※ ※『戦場にかける橋』では、橋は爆破されたことになっていますが、そのような事実はなく、後に空襲で破損しましたが、補修され、戦後も使用されています。 |
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