アトモス部屋

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【ファイルET36】2011.07.20 靖国神社にお詣りしたよ(その10)

日露戦争『水師営の会見』だよ。

 靖国の記事を、最初からご覧になられる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/52046335.html

 日露戦争『水師営の会見(すいしえいのかいけん)』の写真です。

イメージ 1
 


 中列中央が乃木大将とステッセル将軍です。

 明治三十八(1905)年一月五日、旅順要塞を陥落した第三軍司令官乃木希典(のぎまれすけ)大将は、遼寧省大連市旅順の水師営ロシア極東司令官ステッセル中将と会見しました。

 これにより旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結されたのです。

 会見に際して明治天皇は「ステッセル将軍の面目を保つように」とお達しになり、乃木大将は従軍記者に武士の情けとして敗軍の将の写真を撮らせないことにしたかったのですが、それでは世界中から来ている従軍記者も役目が果たせないということで、一枚だけ撮らせました。

 その際に乃木大将は敗軍の将兵たちの心を気遣い、勲章さらには軍刀の佩用(はいよう)を許しています。

 ステッセルは帰国後、ロシア皇帝ニコライ2世から敗戦の責任を追及され、銃殺刑を言い渡されました。

 これを知った乃木大将は、助命嘆願の手紙を出しました。そのかいあって、ステッセルは罪を軽減され、死刑を免れて、シベリア流刑となりました。

 小学唱歌『水師営の会見』【作詞:佐々木信綱 作曲:岡野貞一 (明治39年6月)】
 

 上手く見られない場合はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=WVVS56hWx30


1
旅順(りょじゅん)開城約成りて  敵の将軍ステッセル 
乃木大将と会見の 所は何処水師営(いづこすいしえい)
2
庭に一本棗(ひともとなつめ)の木 弾丸あとも著(いちじる)く 
崩れ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二将軍

3
乃木大将は厳(おごし)かに 御恵(みめぐ)み深き大君(おおぎみ)の 
大みことのり伝うれば 彼かしこみて謝しまつる

4
昨日の敵は今日の友 語る言葉もうちとけて 
我は讃(たた)えつ彼(か)の防備 彼は讃(たた)えつ我が武勇

5
かたち正して言い出でぬ
「この方面の戦闘に 二子を失い給いつる 閣下の心如何にぞ」と

6
「二人のわが子それぞれに 死所を得たるを喜べり これぞ武門の面目」と
大将答え力あり

7
両将昼食(ひるげ)ともにして なおも尽きせぬ物語
「我に愛する良馬あり 今日の紀念に献ずべし」

8
「厚意謝するに余りあり 軍の掟に従いて
他日我が手に受領せば 長く労(いたわ)り養わん」

9
「さらば」と握手懇ろに 別れて行くや右左
砲音絶えし砲台に 閃(ひらめ)き立てり日の御旗

 
 動画では4番までしか入っていませんが、水師営の会見で、ステッセル将軍は、乃木大将が戦争で二人のご子息を失ったことを気遣い、紀年に愛馬を献上したのですね。
 
 でも、歌詞に「他日我が手に受領せば」とあるように、愛馬は軍の捕獲品になりますからステッセル将軍がその場で個人的に乃木大将に勝手に贈るわけにはいかないので、乃木大将はその場では受け取らず、後日受け取ることにしたのです。
 
 日露戦争が終わって、まず日本がしたことはロシアの戦没者の慰霊です。

 負けた方が悲惨で、悔しい思いをしたのだからと、旅順にロシア風の墓地と顕彰碑を作って礼拝堂を建て、日本政府の主催で盛大な慰霊祭を執り行いました。

 慰霊祭はロシア正教の聖職者とロシア軍関係者を招き、乃木大将は日本側の代表として参列しました。

 日本の戦没者を慰霊する旅順白玉山の表忠の碑ができたのはその1年6ヵ月後なのです。

 日本は自国の戦没者の慰霊より先に、ロシア側の大慰霊祭を行ったのです。

 「昨日の敵は今日の友」

 当時の日本と帝政ロシアの立派な態度は、日本との中立条約を一方的に破棄し、火事場泥棒的宣戦布告。昭和20(1945)年8月15日に日本が降伏して以降も戦闘をやめず。北方領土を強奪した凶悪なスターリンのソビエト社会主義共和国連邦と大違いです。

 『水師営の会見』の写真を見ると、どうしても較べてしまうのは、昭和天皇とマッカーサー元帥の写真です。

イメージ 2



 正装なさっている陛下と較べ、マッカーサーの格好は何ですか?!

 本当に田舎のならず者です。この写真はさすがに敗れたとはいえ一国の元首に対して、国家元首でも何でもない軍人が余りにも無礼な態度です。

 アメリカの品性の下劣さに、海外のメディアも大いに批判しました。

 現在の日本人の中にも、こういった品性下劣な連中の起こした『東京裁判』を肯定するどころか、靖国問題だのA級戦犯だの天皇の戦争責任だの、馬鹿なことを言っている人がいます。

 ところで、マッカーサーといえば、こんなエピソードがあります。

 昭和20(1945)年12月15日、GHQによる「神道指令」によって国からは離され同28日に宗教法人令が施行されて「別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)」の社格を失いました。

 GHQ内部には「靖国敵視」といった靖国神社の本質を誤解した雰囲気もあって、靖国神社や伊勢神宮、明治神宮などを焼却処分にするといった野蛮な意見も飛び出しました。

 そんな中、マッカーサー元帥から靖国神社の存続を諮問された当時上智大学学長のブルーノー・ビッテル神父はこのように答申しました。

 《(前略)靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源というのなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。
 われわれは、信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教などいかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊を祭られるようにすることを進言する》

 マッカーサー元帥は、この答申を受け入れ、靖国神社の存続を認めました。

 ブルーノー・ビッテル神父の答申は反論のしようがない正論だったからです。


 現在、靖国を否定している中華人民共和国は、そのころは蒋介石の中華民国でしたが戦勝国の代表として日本を統治していたマッカーサーが存在を認めていたのです。

 1971年10月25日に国連総会で決議された2758号決議(「追放国府・招請中国」のアルバニア決議が基)によって、支那の国連での代表権が中華民国から中華人民共和国へと移しました。

 中華民国を引き継いだということに正当性を見いだしている中華人民共和国に靖国についてとやかく言う資格はありません。

 また、昭和53(1978)年に中華人民共和国と締結した『日中平和友好条約』には『内政不干渉』が謳(うた)われています。

 そればかりか、その前の昭和42(1972)人の『日中共同声明』や平成10(1998)年の『日中共同宣言』にも『内政相互不干渉』が銘記されています。

 日本の首相の靖国神社参拝を非難するのは『内政干渉』以外のなにものでもありません。

 そもそも日本と支那とは文化が違うのです。

 『墓を暴き、死者に鞭打つ』というのが野蛮な支那の伝統文化であって、『死ねば、敵も味方もみな仏』というのが日本の伝統文化です。

 凶悪犯の処刑場であった鈴ヶ森刑場でも、慰霊碑が建てられ、参拝慰霊する人が絶えません。

 鈴ヶ森刑場の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/47339510.html

 野蛮で執念深い支那人は春秋時代末期、伍子胥(ごししょ)は父と兄の怨みを晴らすために平王の墓を暴いてその屍(しかばね)に鞭打ちました。

 清朝のラストエンペラー愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)が、日本に助けを求め満州国を建国したのも、1928年に国民党の軍閥孫殿英の軍隊が河北省の東陵を略奪し(東陵事件)、乾隆帝の裕陵と西太后の定東陵は墓室を暴かれて徹底的な略奪を受けたことに憎悪したことが大きな原因です。

 近くは蒋介石が戦後、親日派で日本と和平を結んだ汪兆銘(おうちょうめい)の墓を爆破するという野蛮行為を実行しました。
 
 日本人にはこんな憎悪に満ちた野蛮な発想は端からありません。

 松井 石根(まつい いわね)大将は昭和12(1937)年に南京を攻略(南京大虐殺などといういうのは大嘘です)したときには、敬愛する孫文の墓=中山陵や其他革命志士の墓及明孝陵が荒らされることが無いように立入りを禁じています。


 一方、大東亜戦争当時の朝鮮系日本人は、実質上徴兵を免除されていて、軍人は志願兵でした。

 朝鮮で軍人の募集をしたとき、朝鮮系日本人はこれに殺到したのです。
靖国には、戦死された朝鮮系日本人の英霊も祀られています。

 朝鮮の人達はどういう神経で靖国を否定するのでしょう。

 韓国政府も中華人民共和国同様に『靖国問題』を内政の失敗を目を逸らすための道具として大統領の支持率アップに利用しているのです。

 また、韓国は勝ち馬に乗って、ベトナム侵略戦争に出征し、30万人を越すベトナム人を虐殺したと言われています。もしベトナムが、韓国大統領に戦没韓国兵追悼のための国立墓地参拝に反対したとしたらどうするのでしょうか?

 韓国大統領は無視するでしょう。敗戦国韓国はベトナムに対し、講和も謝罪も賠償も行っていません。人がやるのはダメだが、自分は良いという二枚舌は、支那・朝鮮人に共通する心の病です。まともに相手にするだけ損です。

 更に、日本人にも靖国を否定する人達が存在するのが驚きです。

 ということで、次に続きますね。








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その通り!わが国は支那とは違うんですよね。この写真を見るお、当時の露西亜帝国とアメリカの差が出てしまいますね・・・・あの当時は、世界最強の露西亜帝国だたもの・・・今は・・・
でも、こういうアメリカだたからよかたのかも・・・聞く耳があったし・・・・凸

2011/8/3(水) 午前 0:54 むにゅ

むにゅさん、そうなんですよね。仮に犯罪者であっても、日本では死ねば仏なんですよね。近代法では刑が執行されれば、それ以上の責めは負うべきではないし、ましてや、戦争犯罪人とされた人も、国会の決議で名誉回復は果たしていますから。
日露戦争は、世界中のマスコミが殺到していて、両軍多数の戦死者を出しましたが、正々堂々と戦いました。良くあの強いロシアに勝てたと思います。
アメリカの占領統治は、日本が天皇陛下の下、整然と秩序ある降伏をしたのでうまくいったのですね。それと同じことができると勘違いして、中東では散々の失敗です。早く気がついて欲しいものですね。
ポチありがとうございます。

2011/8/4(木) 午前 0:09 眼とろん星人


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