アトモス部屋

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【ファイルET42】2011.09.05 防衛省市谷ツアーに参加したよ(その1)

日本の国家防衛の中枢だね。

 東京の市ヶ谷(いちがや)に防衛省があります。

 防衛庁本庁舎が、ここ市ヶ谷地区に移転してきたのは、平成12(2000年)年5月のことでした。

 それ以前の防衛庁は檜町駐屯地(東京都港区六本木)にありました。

 檜町駐屯地(ひのきちょうちゅうとんち)の旧防衛庁跡地は、現在『東京ミッドタウン』になっています。

 東京ミッドタウンといえば、檜町公園でスマップの草剛(くさなぎつよし)さんが酔っ払って裸で歌っていたところだねえ。

 草剛さんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/47936746.html

 ということで、市ヶ谷地区は日本の防衛の中枢でいわば、日本のペンタゴンです。

 ここには、防衛省本省(内部部局)だけではなく、統合・陸上・海上・航空幕僚監部があって、駐屯地司令は陸上自衛隊中央業務支援隊長が、基地司令は航空自衛隊航空中央業務隊司令が兼務しています。

 航空幕僚監部といえば、『田母上論文』を発表して辞任に追い込まれた田母上航空幕僚長(たもがみこうくうばくりょうちょう)もここにお勤めだったのですね。


 ということで国家機密が多い施設なのですが、一般の人でも、事前申し込みをすれば、見学させてくれるのです。

 申し込み詳細は防衛省・自衛隊のHPをごらんください。

 市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)のご案内のページはこちら。
http://www.mod.go.jp/j/publication/events/ichigaya/tour/index.html

 防衛省というと、なんか厳めしくて堅苦しいイメージがあるのですが、多分日本の役所の中でも有数の親切でサービス精神旺盛な役所なんじゃないかと思います。

 自衛隊があれだけマスコミに叩かれ続けているので、その分、一生懸命イメージアップに努めていらっしゃるのでしょう。

 東日本大震災における自衛隊の方々の活躍が記憶に新しいのですが、やはりいざというときに頼りになるのは自衛隊ですから、ここの見学はとても有意義なのです。

 正門には『防衛省』の新しい看板が掛かっています。

イメージ 1



 220mある通信電波塔が立派だねえ。

 防衛庁が防衛省になったのは、やっと平成19(2007)年のことです。

 平成19(2007)年1月9日 、 防衛庁設置法等の一部を改正する法律(平成18年法律第118号)施行により、防衛庁設置法が防衛省設置法に改題され、防衛庁は防衛省 (Ministry of Defense) に改められました。

 それにしても、国の重要な仕事といったら、国防と外交なのです。

 それが、国防を司る役所が長い間、大臣を置く省ではなく、庁だったと言うことは信じられません。もっとも、いまだに日本国は国軍を持たず、憲法違反の自衛隊というのも信じられないのですが・・・。

 自衛隊の総指揮官は内閣総理大臣で、総理大臣がいわば今の日本国の元帥なのでした。

 そのことを首相に就任しても知らなかった菅直人前首相の官房長官は自衛隊のことを『暴力装置』と言っていた仙谷由人氏だったのが、これまた信じられません。


 ということで、指定時間に防衛省に到着し、受付を済ませて、見学者用の立入証を首にかけて見学を開始します。

 ガイドのお姉さんに案内されてついていくと、すぐに急な坂道になっていて、エスカレーターで登ります。

イメージ 2



 坂を登ったら、ピカピカの大きなビルと、広い広場があります。

イメージ 3



 防衛省庁舎A棟の前に広がるこの儀仗広場(ぎじょうひろば)は国賓が来たときに、閲兵を行う広場です。

 防衛省庁舎A棟の場所に、もともと何があったかというと、こういうビルが建っていました。

 市ヶ谷旧一号庁舎ビルの模型

イメージ 4



 このビルおそらくご記憶の方も多いのではないかと思います。

 1970年(昭和45年)11月25日に三島由起夫事件があった建物です。

 三島氏はこの広場に自衛隊員を集めるよう要求し、バルコニーから最期の演説をしたのでした。

 さらに進んでいくと、市ケ谷記念館が建っています。

イメージ 5



 先ほどの市ヶ谷の旧庁舎を小さくしたようなデザインになっています。

 ここは、市ヶ谷の旧庁舎から、歴史的な遺構である大講堂・車寄せ・バルコニー・旧陸軍大臣室(前陸自東方総監室)・旧便殿の間(前陸自幹部学校長室)が移築復元された記念館なのです。

 記念館に入ると、さっそく大講堂に案内されます。

イメージ 6



 ここは、昭和9年に陸軍士官学校の大講堂として作られました。

 何といっても敗戦後、昭和21年5月から23年11月までの間、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われた歴史的建造物なのです。

 椅子に腰掛け、市ケ谷台の歩みを、明治、大正、昭和、平成の各時代の貴重なスチール写真や新聞記事などを織り交ぜながら説明するビデオ映像を見せてもらいました。


 市ケ谷台の沿革は以下の通りです。

 市ヶ谷地区=市ケ谷台は、そもそも尾張徳川家上屋敷だった場所で、

 明治7年(1874)年12月:市ヶ谷台に陸軍士官学校が開校される。

 昭和12年(1937)年:陸軍士官学校が座間に移転するまで士官候補生の教育機関が置かれた。戦時中は参謀本部が置かれる。

 大東亜戦争後は極東国際軍事裁判にも利用された。

 昭和35年(1960)年:東部方面総監部が置かれる。

 平成6年(1994)年11月:防衛庁(当時)移転計画に伴い、東部方面総監部は朝霞駐屯地に、統合幕僚学校及び陸海空幹部学校は目黒駐屯地へ移駐。

 平成11年(1999)年11月:第32普通科連隊が大宮駐屯地へ移駐。

 平成12年(2000)年5月:檜町駐屯地(東京都港区六本木)にあった防衛庁本庁舎が市ヶ谷地区に移転(跡地は東京ミッドタウン)。

 平成19年(2007)年9月1日:防衛施設庁の解体及び防衛監察本部を新編、装備本部を装備施設本部へ改組。

 ということで、次に続きますね。

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そういえば50年以上東京に住んで居て、私は市谷駅に降りたことは一度もないですねぇ。考えられないことですが・・・
ですから、上の写真を見ても、三島由紀夫の切腹したビルなど見たことはありません。それだけではなく、どこにどういう防衛省関係の建物が建っていたのかも知りません。
これから、スジャータさんの記事を読ませていただきながら、一つづつ頭に入れていきたいと思います。

2011/9/6(火) 午後 1:57 [ afuro_tomato ] 返信する

トマトさん、市谷駅は、確かに一般の人が降りるような駅ではありませんよね。
四谷ならともかく・・・。
市ヶ谷という地名も、なんとなく三島由紀夫事件のあった場所という記憶はあったのですが、実際に行ってみると、ああ、こういうところなんだと改めて思いましたよ。
係の人にいろいろと丁寧に説明していただいたので、ぼちぼちと紹介させて下さいね。
ここも日本の歴史にとって大きな意味を持つ場所だと思います。

2011/9/7(水) 午前 0:04 眼とろん星人 返信する

やはり、今でも「六本木の防衛庁」「市谷の駐屯地」っていうイメージが強いです・・・・防衛省になる以前の駐屯地は、本当の駐屯地で普通に門のとこに隊員が立ってるだけで・・・今考えると、六本木がものすごく広かった記憶もあるのですが、市谷のが広いです・・・当たり前だけど・・・凸

2011/9/13(火) 午後 0:24 むにゅ 返信する

あ!トラバさせて〜〜

2011/9/13(火) 午後 0:25 むにゅ 返信する

そうですね、市ヶ谷は駐屯地ですよね。防衛庁となると、まだ馴れませんよね。
それにしても、防衛施設に高層ビルって、9.11みたいなことがあったら、大丈夫かな?
アメリカ国防総省のペンタゴンなんか、地上5階建てですからね。
無料参加なのに、内容が濃い見学ですよね。ポチありがとうございます。
こちらからもトラバさせてくださいね。

2011/9/13(火) 午後 8:50 眼とろん星人 返信する

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