【ファイルT193】2013.08.07 福沢諭吉さんの生誕地跡だよ(その2)
現代語訳という名の歴史改竄!何故そこまで支那に媚びなきゃならない?
前回は福沢諭吉さんの生誕地と、『学問のすすめ』では諭吉さんは『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』なんて言っていないというお話しをしました。
それで、私がもともと持っていたのは岩波文庫版です。
ところが、この本は格調高いと言えば聞こえは良いのですが、旧字体でしかも漢字にフリガナ(ルビ)がふっていないのです。
再読しようにも、そのへんがしんどいのです。
それで、福澤諭吉さんの生誕地跡に行ったこともあって、じゃあ大意だけでもつかめればいいので現代語訳でも読んでみるかと思って、評判でこの出版不況時に10万部突破したという齋藤孝氏の読んでみてびっくり!
現代語訳ということを良いことに、とんでもない改竄・捏造がされているのです。
『現代語訳 学問のすすめ』福澤諭吉 齋藤孝=訳(?)
初編の岩波版P14で諭吉先生は、日本が外国と付き合うにあたっての心構えについてこう書きます。
岩波文庫版の叙述ではこうなっています。(変換できない字は現代の字にしています)
※ ※ ※
『(前略)日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空氣を共にし、情愛相同じき人民なれば、こゝに余るものは彼に渡し、彼に余る物は我に取り、互に相教へ互に相学び、恥ることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いに其幸を祈り、天理人道に従って互いの交を結び、理のためには「アフリカ」の黒奴にも恐入り、道のためには英吉利、亜米利加の軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さざることこそ、一国の自由独立と申すべきなり。』
【それで、反面教師として、こうならないようにという例を挙げます。】
『然るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、
外国の人を見ればひとくちに夷狄(いてき)々々と唱へ、四足にてあるく畜類のやうにこれを賎しめこれを嫌ひ、
自国の力をも計らずして妄(みだ)りに外国人を追払はんとし、却て其夷狄に窘(くるし)めらるゝなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にていへは天然の自由を達せずして我儘放蕩(わがままほうとう)に陥(おちい)る者と云ふべし。』
※ ※ ※
ところが、齋藤孝氏の現代語訳(?)P15では、ここがこうなっています。
※ ※ ※
『中国人のように、自国よりほかに国がないように思い、
外国人を見れば「夷狄夷狄(いてきいてき=野蛮人め!)」と呼んで動物のように扱い、これを嫌い、
自分の力も客観的に把握せずに、むやみに外国人を追い払おうとして、かえってその「夷狄」に苦しめられている〔アヘン戦争など〕という現実は、まったく国として身のほどを知らないところからきていいる。個人の例で言えば、自由の本質をわきまえないでわがまま放題におちいったものといえるだろう。』
※ ※ ※
日本はこの頃、支那のことを中国なんて呼んでいないのです。
清朝の支那という意識しかなかったのです。
しかも、清朝というのは満州族(女真族)の支配する漢民族とは関係がない国だったのです。
福沢諭吉が支那のことを中国なんて言うわけがないのです!
例えば銭形平次が『江戸八丁堀』のことを『東京八丁堀』のと呼ぶはずがないように。
諭吉にとって、『中国』とは、広島岡山鳥取島根山口の一体のことをさします。あと、山鹿素行の『中朝事実』に従えば、『中国』とは『中つ国(なかつくに)』である『日本』を指すはずです。
諭吉が書いた『支那』は『支那』なのであって、断じて『中国』ではないのです。歴史的文書の現代訳での歴史的呼称の言い換えは犯罪的な捏造改竄(ねつぞうかいざん)です。
それは、あとの「夷狄夷狄(いてきいてき)」という言葉が表す差別意識にも繋がるのですが、支那人は古来より中華思想という支那の文明の及ぶ首都以外の生物学的なヒト=ホモ・サピエンスに対して、やっかいで強固な差別意識を持っていました。
支那の歴代皇朝は、自らが人類で唯一の皇帝であり、それ以外は中華世界における辺境に過ぎないという態度を取っていました。対等な国が存在しないのだから、対等な外交関係は存在せず、周辺民族との関係は全て朝貢という形式となるのです。
支那の属国は朝貢の際に『三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)』という屈辱的な行為を強要されます。
「跪(き)」の号令で跪(ひざまづ)き、
「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」ことになるのです。
こういう考え方を華夷秩序(かいちつじょ)といい、これに基づいた体制を冊封体制(さくほうたいせい)といいます。
それで中華思想による呼称の『中国』は、西戎(せいじゅう)、東夷(とうい)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)といって、自分達人間の住む都(みやこ)以外は妖怪・化け物・魑魅魍魎のたぐいが住む異界だったのです。したがって、「夷狄夷狄(いてきいてき)」というのは、東夷(とうい)・北狄(ほくてき)のことですから、支那人以外を見下した表現なのです。
だから、孫悟空の出てくる西遊記なんかは、唐の城壁都市である長安の都を出た途端に妖怪・化け物・魑魅魍魎(ちみもうりょう)のたぐいに襲われるのです。
『中国』というのは支那人の皇帝や中央官僚が自分たち『人間』の住む都会のことを中華と見なし、『俺様たち人間の住むところ』=『中国』と威張って呼ぶことはあっても、当時の日本人が支那のことを中国なんて言うことはありえないのです。
ですから、いまだに中華人民共和国は都市と農村部の戸籍が別で、『盲流(もうりゅう)問題』というのが存在するのです。
中華人民共和国では元来戸籍に「農業戸籍」と「都市の戸籍」の二種を分けて、人口移動を厳しく制限していたため、国営企業しか存在しない純粋な共産主義だった改革開放前には大きな人口移動は起こらなかったのですが、経済の自由化によって農民にとっての戸籍の重要性が低下すると、内陸部の人々が政府の許可無く沿岸部に職を求めて移動するようになったのです。これを盲流というのです。
盲流によって都市部に流れた移住者を「民工」と呼ぶようになり、80年代後半以降、移動の人口が都市部での雇用需要を上回り、都市部に出たものの仕事に就けない者も現れます。
2005年の時点で1.5億の民工がいるものと推測され、主に建築業、採鉱業、第三次産業および労働力密集型産業に従事しているのですが、低い賃金、劣悪な労働環境の下、いまだに差別貧困の問題を抱え支那の政情の不安定要因として問題になっているのです。
つまり『中国』という呼称のもとになった『中華思想』という差別思想は、まだ生きている現代的問題でもあるのです。
そんなバカバカしい国の冊封体制に組み込まれた属国はいやだから人類唯一の『皇帝』であるという夜郎自大な誇大妄想を持った支那の皇帝に対抗して日本は『天皇』をいただいているとし、支那の冊封(さくほう)から脱したのが聖徳太子。
有能な人材を遭難の危機を冒してまで汚職腐敗した鮮卑(せんぴ)系の皇帝の唐に派遣し、帰った留学僧がいっぱしの支那風を吹かした官僚になるのが有害だと、遣唐使を廃止して、書物等の文物だけを輸入した学問の神様菅原道真。
つまり、『中華思想に基づく中国』という名称は他国を差別する究極の差別語ですから、封建的差別を憎んだ福沢諭吉が支那のことを中国なんて呼ぶわけがないのです。
しかも、外国を『狄(いてき)々々と唱へ』と支那人を批判しているのですが、その批判のターゲットは『中華思想』なのですから、支那のことを『中国』なんて捏造改竄したら、福沢諭吉さんが化けて出ます!
ということで、現在のところお勧めの『学問のすすめ』は講談社学術文庫版かな?
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講談社学術文庫ってあの青い背表紙でエジプトの鳥みたいなマークが描いてあるやつかな??実は、学問のすすめは読んでいないんです。あの一文だけしかしらないも同然。探して読んでみます!凸
2013/8/10(土) 午前 2:12
むにゅさん、その講談社学術文庫です。
そもそも学問のすすめの文章は現代語訳しなければならないほど、難しい文章でもないので、ルビが振ってあって、注釈が付いていれば普通に読めるんですよね。
ポチありがとうございます。
2013/8/13(火) 午前 2:15