【ファイルET97】2014.05.11 四谷から溜池山王までお散歩したよ。(その13)山王様のお猿さんは江戸城の裏鬼門を守護する神使だよ(日枝神社その3)。四谷から溜池山王までお散歩したよ。(その1)から読まれる方はこちら。↓http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/54423550.html ※ ※ ※ 山王のお猿さん当社の神使は古来、猿(申)といわれ、神門及び向拝下に夫婦猿の像が安置されています。神使とは神の使いの意で、主神の顕現に先だって現れ、主神の意を知る兆しとしてその行動を見ますがその多くはその神に縁故のある動物です。大山咋神(おおやまくいのかみ)は、山を主宰(うしは)き給う御神徳を持った神であり、この猿と比叡の山の神としての信仰とが結びついて山王の神使「御神猿」として信仰されるようになりました。猿は古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、厄除・魔除の信仰を受け又農業の守護神とする信仰が強く、俗に「さるまさる」といわれ、繁殖の獣として人々に愛され、犬と共に分娩の軽き 安産の神として信仰されます。猿は集団生活をして特に子供への愛情が強く、母猿はどの子猿にも乳を与えるという性質があるといわれ、その姿が当社の神猿像に表されており、夫婦円満・安産・家門繁栄の徳を称え安産・子育・厄除のお守りとして参拝者に神猿(まさる)の守土鈴、他に縁(猿)結びのお守りが授与されています。 ※ ※ ※(以上引用終わり) 江戸の幕府は、江戸城から見た鬼門、つまり東北=艮(うしとら)=丑寅(うしとら)の方角には神田明神があり、裏鬼門(うらきもん)、つまり西南=坤(ひつじさる)=未申(ひつじさる)=『羊と猿』の方角に山王様(日枝山王神社)があって、江戸城を神的な結界によって守護するように都市設計をしたわけです。日本の伝統的な方位について示しておきます(wikipedia画像に処理)。滋賀県の日吉大社(ひよしたいしゃ)は、永田町の日枝山王神社(ひえさんのうじんじゃ)同様、一般には山王権現(さんのうごんげん)とも呼ばれます。社名の『日吉(ひよし)』は、かつては『ひえ』と読んだのですが、大東亜戦争敗戦後は『ひよし』を正式の読みとしています。ですから、永田町の日枝山王神社(ひえさんのうじんじゃ)、は日枝神社(ひえじんじゃ)=日吉(ひえじんじゃ)=日吉(ひよしじんじゃ)なのです。総本社の滋賀県にある日吉大社(ひよしたいしゃ)は、文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見で、日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山(ひえいざん)のことなのだそうです。そして滋賀県日吉大社は、平安京遷都により、丁度、京の鬼門に位置することから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになりました。最澄は比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である日吉大社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬します。唐の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)にならって、日吉大社は、山王権現(さんのうごんげん)と呼ばれるようになりました。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説きました。ちなみに、中世に比叡山の僧兵が強訴(ごうそ)のために担ぎ出した神輿(みこし)は日吉大社のものです。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建されました。元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も、灰燼(かいじん)に帰しました。現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものです。じゃあ、世間では、どうして豊臣秀吉が『猿』という史実にもない仇名だったということになっているのかというと、秀吉の幼名、『日吉丸(ひよしまる)』の由来である日吉大社(ひよしたいしゃ・ひえたいしゃ)=日枝神社(ひえじんじゃ)の神使が、お猿さんだからなのでしょう。他に、秀吉が猿と呼ばれということになっているのは、関白就任後の落書(らくしょ)に『まつせ(末世)とは別にはあらじ木の下のさる関白』があって、この『さる関白』に由来するという説もあるそうですが、この説は怪しいものです。この落書の『さる関白』の『さる』は『猿』という意味ではなく、『さる【然る】:名称や内容を具体的に示さずに、人・場所・物事などを漠然とさしていう語』ですからね。どういうわけか、左翼系の歴史学者は、落書の価値を『庶民の本音を知ることができる貴重な資料』などと、必要以上に持ち上げますが、落書はあくまで落書にすぎません。たとえば、政争に敗れ大宰府で無念の死を死んでいった、菅原道真公の祟りを鎮めるために、道真公を天神さまとしてお祀りしたり、京都の白峯神宮(しらみねじんぐう)は、保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳(すとく)上皇が、その地において憤怒の中で歿し、その後天変地異が相次いだことから、上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(香川県坂出市)の前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立されたのが始まりです。将来江戸の幕府の存在を脅かすであろう勢力は、島津や、毛利。つまり薩摩長州等の西側の勢力です。事実、討幕、明治維新はこの両藩によってなされました。この勢力の反乱に備えて、姫路城や徳川大坂城は築城されたのです。それで、それらの勢力が西から攻めてきたら、日枝山王神社は、砦(とりで)にもなります。神的な結界としてだけでなく、日枝山王神社は軍事的にも利用できるのです。ここは、例えば、大坂の陣の際、徳川や真田が陣を置いた茶臼山のような地形ですからね。茶臼山の記事はこちら↓。http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53709931.html 徳川家が、自分たちが滅ぼした豊臣家とゆかりの深い、つまり豊臣秀吉の幼名、『日吉丸(ひよしまる)』の由来である日吉神社(ひよしじんじゃ)=日枝神社(ひえじんじゃ)を祀って、その祟りを防ぎ、逆に自分たちの守護神とする。それも、その神使が猿(申)であるため、坤(ひつじさる)=未申=羊猿の方位という江戸城の裏鬼門の守護に据えたのは、間違いなく明白な意図があってのことです。 |
全体表示
[ リスト ]






難しいことは分かりませんが、
徳川家が、自分たちが滅ぼした豊臣家とゆかりの深い豊臣秀吉の幼名「日吉丸」の由来である日吉神社=日枝神社を祀って、その祟りを防ぎ、逆に自分たちの守護神にする。
と、いう考え方はわかる気がします。
2014/5/11(日) 午後 7:48 [ afuro_tomato ]
トマトさん、これはあくまで私の説で、秀吉の幼名が『日吉丸』というのを俗説と退ける向きもあるようなのですが、それなら日吉大社と秀吉の関係はどうなるのかと逆に疑問が出てきます。
それにしても、いくら乱世の世とはいえ、徳川家康は豊臣家に随分と酷いことをしてきましたからね。やはり祟りを恐れるということはあったと思います。
幕府の都市計画のブレインだった、天海僧正や金地院崇伝は、その道のエキスパートでしたからね。
2014/5/16(金) 午後 9:59
すごく、勉強になりました。ありがとうございます。
赤坂の山王日枝神社、4年前〜2年前くらいには、よく行ってました。
そうですかーーー、日吉神社なのですね。知りませんでした。
日吉丸だから、サルなんだというのも!!すごく勉強になりました。
ウンチクとして、今後、使わせていただきます。
ありがとうございました。
m(_ _)m
2014/5/19(月) 午前 1:12 [ カール(カヲル32) ]
わたしは全国各地にある庚申(こうじん)様というものが、とても気になっています。
なぜ、庚申(かのえさる)だけ問題になるのかと。
陰陽五行の基本になるものは「甲(きのえ)」なのですが
庚と申は、陰陽五行の法則では、
甲が一番弱くなるところなんですね。
「一番弱くなる」のと、「まつる」ことの間に関係があるのではないかと思っています。
2014/5/19(月) 午前 1:13 [ カール(カヲル32) ]
思い出しました。赤坂山王日枝神社に行き始めたのは、3年前の正月だったと思います。
3年前に、なぜ、赤坂山王日枝神社に行き始めたのかというと・・。
正月の初夢で、「巨大な神社」の夢を見たからなのです。
どこまで続いているのかわからないくらいの、巨大な神社の神殿が見えて、そこに、「白地に金」のお守りが二つ並んでいるという初夢でした。
その時は、何かのお知らせだろうかと考えてしまって、どこの神社かわからなくなって、とりあえず行ったのが、赤坂山王日枝神社。
「白地に金」のお守りを二つ頂いて帰りましたが^^
今思うと、夢知らせだとしても、山王日枝神社のことではなかったかもしれないと思います^^
2011年から、縁がありそうな?神社に色々行ったので・・・・。
でも・・今でも・・・あの時夢で見た神社は、どこかにあるのではないかと、夢想してしまいます。
2014/5/19(月) 午前 1:20 [ カール(カヲル32) ]
カヲルさんは山王様に良くお参りされていたのですね。
ここも本当に独特の雰囲気があります。東京というのは、震災や空襲で江戸時代とは様変わりしているはずなのですが、じっくり歩いてみると本当に不思議な街です。
徳川家康は、よほど安堵したのか、豊臣家を滅ぼした後に亡くなっています。
大坂の陣なんか、いちゃもんというか、あくどい方法で戦っていますからね。
最初はただ単に申の方角だからお猿さんなんだと思っていたのですが、日枝神社=日吉神社で、秀吉にサルなどという仇名が無いらしい以上、やはり日吉丸=日吉神社を意識したと私には思えるんですよ。
2014/5/23(金) 午前 2:05
カヲルさん、庚申様というのは、まさにお猿さんで山王様の猿田彦の神と習合しているので、後日そのことについて書こうと思っていたところです。
支那の道教から来ていますからね。
戦国時代の教科書だった孫氏の兵法も、易経同様、陰陽道の方位として日本人はとらえていました。
お相撲も『八卦良い』で軍配が上がりますからね。
2014/5/23(金) 午前 2:11
カヲルさん、江戸と言えば、やはり天下祭りの神田明神と山王様で、山王様は今も政(まつりごと)=祭りごと=政治の中心の国会議事堂や首相官邸がありますからね。山王様が椛山からいったん、最高裁判所の近くに引っ越してからここに来たので、そういった怪しい気配がある神社ですね。
初夢をきっかけにお参りされたというのは、やはりカヲルさんを引き付ける力があったのでしょうね。
2014/5/23(金) 午前 2:17
いろいろ勉強になります。ありがとうございます。
2014/6/3(火) 午前 3:46 [ カール(カヲル32) ]
うん、江戸は風水的にもかなり計算されて作られた都市だからね。その考えに激しく同意!徳川家はそのあたりも意識してたはず。実際は迷信だと思っていても、他の人がそれを封じ込めのためだと思えばそれで良かったはずだし。凸
2014/6/6(金) 午前 1:09
カヲルさん、本当に、東京は調べれば調べるほどいろいろと出てきますよね。
とても面白い都市だと思います。
歴史のないアメリカなんか、これは50年前にできた建物だって、自慢したりするようですからね。
2014/6/15(日) 午前 0:20
むにゅさん、本当に江戸の風水的な仕掛けは面白いですね。
戦国時代は孫氏の兵法とか風水が出てきますし、勝負事は運の要素が強いので、家康あたりだとかなり風水は意識していたと思います。
そうですね。特に信心深い町人に対するデモンストレーションもあったでしょうし朝廷、貴族、大名に対する威信を示すという意味もあったのでしょう。
ポチありがとうごさいます。
2014/6/15(日) 午前 0:25
この記事にトラバしようと思ったんだけど、何故かできない・・・たぶん、URLのコピーがうまくできないのか??firefoxにしてからヤフーブログのトラバができなくなってしまいました。。。。
2014/6/18(水) 午後 10:12
むにゅさん、firefoxもそうですか?Google Chromeもそうですよ。
『トラックバック先を追加』するときのURLのコピーはYAHOOの認証が必要で、この認証はInternet Explorerでなければ、行えないようです。
ですから、私はトラバするときにはInternet Explorerを開けて行っています。
Internet Explorerだと、トラックバックしたい相手の記事に『URLをクリップボードにコピー』という表示がされます。
この文字のクリックによるURLの保存でしかトラバはできないようなのです。
お手数ですが、よろしくお願いします。
2014/6/18(水) 午後 10:30
今、IEに切り替えました。IEはやっぱり遅いですね・・・トラバさせていただきますね!
2014/6/19(木) 午前 0:10
むにゅさん、そうですよね。IEはいろんな機能がついているし、遅いのは仕方がないのですが、その上に、今回の脆弱性騒ぎ。
トラバありがとうございます。こちらからもトラバさせてくださいね。
2014/6/22(日) 午前 2:14
山王日枝神社には、国常立神(クニトコタチの神)が祀られています。
実は・・日枝神社にお参りしてから、国常立神、あるいは国常立尊と
関係あるかもしれないことが続いたので・・。
初夢から直観して、生まれて初めて山王日枝神社に詣でたのは満更、当て外れでもなかったのかもしれません。
そのような神秘的な考え方をしてもよければ、ですけど。
2015/3/31(火) 午前 2:49 [ カール(カヲル32) ]
> カール(カヲル32)さん
お返事遅れてすみません。
STAP騒動の問題とかにかまけて、本当に皆さんにはご迷惑をおかけしています。私はこの問題は日本の科学の浮沈に関わる大きな問題だと思っていますので。
国常立神は、神代七代の最初に現れた神で、本当の根源の神様ですからね。
出口王仁三郎の大本教も国常立神を「艮の金神」と恐れられる祟り神として重視するなど、あのあたりのところは結構新興宗教を考えるうえでも大きな問題なのだと思います。
私は一見不合理な神話も現実にあるものとして、興味を持っていますよ。
合理的な観点から言えば、人間の存在ほど不合理なものはありませんから。
2015/7/5(日) 午後 3:10